8月号
歌うことが楽しい。 楽しいから歌い続けたい。
キリンカップサッカー2022「日本代表VSチュニジア」戦にて国歌独唱された秋川雅史さん。秋川さんのテノールはスタジアムに響きわたり、試合前の熱い会場をさらに熱く盛り上げました。お話を伺ったのは次の日。「歌っている時、雨が口の中に入っちゃってね…」と笑いながら聞かせてくださる裏話に緊張もほぐれ、楽しい時間となりました。
テノール歌手 秋川 雅史さん
『千の風になって』
秋川さんと言えば『千の風になって』。15周年記念盤をリリースされました。
人生を変えた歌です。それは歌う僕だけではなく、聴いてくださる方にとってもそうだったと、そういうお声をもう本当にたくさん、現在も変わらず頂戴しています。大切な人との別れは誰もが経験することで、その時に“寄り添う”歌であったと。そんなお話を聞いては、当時「これは責任重大だ」と怖い気もしていました。今は歌い続けることが私の使命と思っています。
作家・新井満さんがアメリカの詩を訳した曲ですね。
新井さんから重い言葉をいただいたんですよ。「ヒット曲を持つことは、歌手として幸せなこと。でもこの曲のヒットの向こうにはそれだけの別れがあって、亡くなった方の命がある。手放しで喜べないね」。
本当にその通り。だから僕も考えました。悲しい別れの後に残された人が “生きる”意味を。歌い手がそのことを「?」でいるのは良くないと思いましたから。15年前の僕なりに、ですけれどね。
答え、出ました?
いいえ。でも行きついたところはね、亡くなった人がこの世を見ているとするならば、大切な人が泣き続けている姿を見ていたいだろうか。大切な人が前向きに生きることをのぞむのではないだろうか。亡くなった人を悲しませないことが生きている人の責任なのではないか。供養ってそういうことなんじゃないだろうか。
災害や事故、この数年も個人的な事だけではない大きな大きな悲しみがありましたが、その度にこの歌を歌いながら考えています。
時を経て、歌い方に変化はありますか。
技術的に変えてはいないのですが、昔の録音とはやっぱり違ってきていますね。経験や考え、感性の変化が声に表れるんです。でも声には魂を入れますが、感情は入れすぎない。歌に感情を込めるのは聴いているお客様ですから。
8月、大阪でのコンサート
若手声楽家との共演ですね。
大阪公演では関西出身の3名と歌います。このツアーは各地で共演者を探していて、本当に一期一会。プログラムも私が決めるのではなく、それぞれの得意な曲や好きな曲、若手にどんどんアピールしてほしいと思っています。オペラ中心に活躍している実力のある子たちなので、クラシックはもちろん素晴らしいですし、ポピュラーの名曲も用意しています。お客様が気楽に聴くことができるよう聴き馴染みのある曲を選んでいます。
400年の歴史があるクラシックは、世代交代を行いながら繋いできた音楽です。私も次の世代に繋ぐ意識を持っていなければいけない。それが、このコンサートのテーマです。
クラシック音楽の未来、ですか。
2年余りの「考える時間」の中で大きくなった意識です。
音楽にとりつかれて、音楽と共に生きる道を選択した人が私のまわりにたくさんいます。音楽はなくなることはありませんが、お金にするのは大変なこと。コンサートをはじめとした演奏する場所がなくなったコロナ禍で、音楽で生きる道を諦めざるをえなかった友もいました。
「一緒に歌おう」。
それが私が今出来ること。
でも、クラシックにはこだわらない。
オペラを観てください、といっても初めての人はなかなか行きにくいでしょ。そこで、まずは、私のコンサートで美しいアリアを聴いて欲しい。でもアリアはストーリーありきの曲だから、やはり重くなりがち。もっと普通に聴いたことのあるポピュラー音楽を声楽家の歌声で聴きませんか?例えば「花は咲く」。いい曲でしょ、私はこの曲を聴いた時、歌いたいなぁと思いました。
クラシックの発声法は何百年もかけて作り上げられています。その魅力を伝える曲はどのジャンルでもいいはずです。
「千の風になって」で立証済みですね。
そうなっているといいですね。ご縁があって、クラシックを勉強してきた私が歌うことになり、歌の持つエネルギーが伝わったから、今、私はここでお話しているんですよね。
実は、ポピュラー音楽を歌うことに意欲的になったのにはきっかけがあってね。日本に三大テノールがやってきた時です。アンコールで彼らが歌ったのが「川の流れのように」。それが本当に素晴らしかった。魅せられました。ジャンルも国も関係ない。いい歌はいい!そう思いました。
彫刻家、秋川雅史
もうひとつ、力を注いでいる事についてお聞きしてもいいですか(笑)。
もちろん。彫刻家、秋川雅史ですね(笑)。
私は愛媛の西条市出身で、西条市には大きなお祭りがあります。私の人生には生まれた時からだんじりがあって、だんじり彫刻を見て育ちました。愛媛を離れても、彫刻を見るとだんじりを思い出して血が騒ぐ(笑)。それで、いつか自分も彫りたいと思うようになりました。
40歳になったある日、「よし、彫るぞ」と、木と彫刻刀を買ってみましたが、わからないことばかり。木との付き合い方も彫刻刀の使い方もわからない。そこで、「彫刻」「教室」で住所を入れて検索。近所に先生を見つけて習いに行きました。先生はすごくてね、初めは手の動きに見とれてしまいました。そして「もう一つ道をみつけた!」と思いました。
私は歌のプロになりましたけれど、「彫刻にもプロがいるんだ」と当たり前のことに感動した。世の中には色んな道があるってことに、ですね。
今では仏像の奉納もされていますね。そして昨年は「二科展」で入選。どんな作品ですか。
仏像は彫りたいと思っていました。シンプルに、好きな仏像をこの手で日々時間をかけてね。お寺に置いていただけるのは本望です。
大きな目標は楠木正成像でした。これは何年かかっても彫るぞ、と決めていました。ステイホームが彫刻に取り組むいい時間になって、タイミングよく最も好きな桜材が私の元にやってきました。材木もご縁なんですよ。結局3年で完成しました。この作品で嬉しい評価をいただくことができて本当に嬉しかったです。
歌と同じく本気ですね。
歌とは違う、また別の道ですから。彫刻は彫刻。もっともっと上手くなりたいし、何より、木に向かっている時間がとても好きなんです。楽しくて仕方がない。今は「龍」を彫り終えたところです。9月に東京で個展を予定しています。今からワクワクしています。
これから
歌手、秋川雅史さんのこれからはどうお考えですか。
生涯現役。声って成長が遅くて、20代30代ではまだ出来上がっていない部分があります。年齢を重ねると人として深みが増すように、声にも深みが増します。だから究極のテノールを追求しながら歌い続けることが目標。
どんな「秋川雅史」に変わっていくのか自分でも楽しみですねぇ。
目標としている音楽家はいますか?
最初の師匠である声楽家の父です。子どもの頃、父の歌うカンツォーネ「マンマ」が好きでした。「父のように歌いたい」。これが歌手としての原点。
現在84歳ですが、80歳の時にソロリサイタルを開きました。その時の声が変わらず良かった。私が大好きだった、お風呂で歌う父の歌声そのままでした。「マンマ」がね、やっぱりジーンときました。改めて、父に追いつきたいと思いました。
音楽でも彫刻でも「成長することが楽しい」。私にとって大切なのは、そういうことなんだと思います。
秋川雅史(あきかわ まさふみ)
1967年愛媛県西条市に生まれる。4歳よりバイオリンとピアノをはじめる。後に父の指導のもとに声楽へと転向。国立音楽大学・国立音楽大学院にて中村健氏の指導を受けた後、4年間イタリアのパルマで、デリオ・ポレンギ氏に師事。帰国後、第九のソロや数々のコンサートに出演。