5月号
神戸で始まって 神戸で終る ㉗
東京上野の近く、台東区谷中にスカイザバスハウスという現代美術の画廊がある。この画廊は元銭湯で、今でも入口には暖簾がかかっていて、高い煙突が立っている。その画廊で個展を依頼されたのは2004年だった。画廊の内部は天井が高く、話すと声が辺りの空間に反射して、まるで風呂場で話をしているようにエコーがかかって面白い。この銭湯には川端康成や吉永小百合も来たという。だったら一層のこと、かつての銭湯時代の喧騒を取り戻したいと考えた僕は、銭湯を主題にした絵画作品を並べたらどうだろうと発案して、オーナーの白石正美さんを納得させた。
江戸時代の銭湯の絵を資料にして、現代の銭湯に芸者などを登場させた。僕の子どもの頃は、母に連れられて女湯に行っていた。かなり大きくなるまで女湯に入っていたので中学に入って男湯に入った時、なんだか慣れないので恥ずかしい思いをした記憶があるほど、どっぷり女湯につかっていたというわけだ。4時頃の早い時間に行くと、町の料亭に呼ばれる芸者達が風呂に来るので、僕はそこで芸者を見ていた。江戸時代の芸者の銭湯の絵は、僕にとってはある意味ではフィクションというより、むしろリアリティのある風景でもあった。今から思うと芸者達に囲まれて湯船に浸かっているというのは実に不思議な体験であったかもしれない。
そんな銭湯の絵を見た友人の編集者が「次は温泉に行きませんか?」と誘ってくれた。だけど僕には温泉は何だか年寄りじみていてそれほど興味が湧かなかった。当時、帯状疱疹の後遺症で、首から肩にかけて、神経痛のような痛みに半年近く悩まされていた。当時、病院の先生が「温泉治癒という手もありますよ」と言ったのを思い出して、まぁ物は試しだと思って、友人の誘いに乗ってみることにした。
毎月1回、フリーペーパーの雑誌で温泉を夫婦で訪ね、温泉風景を絵にするという仕事を先ず引き受けることにした。
最初に行ったのは草津温泉だった。そして、その翌朝、奇跡が起こった。半年近く、首を曲げるのも痛かったのが、突然、あの激痛から解放されたのである。それ以来、気がついたら3年近く温泉旅行を続けていて、すっかり温泉マニアになって「温泉主義」と題する旅行記まで出すことになった。
そんな銭湯と温泉をテーマにした絵を集めて展覧会を構成したらどうだろうと、学芸員の林優さんからの提案で、「じゃ、やるなら美術館を温泉に変えてしまうような展覧会にして欲しい」と注文して実現したのが、第15回展の「ようこそ!横尾温泉郷」展であった。先ず会場を温泉地独特の解放された歓迎ムードと祝祭的なイメージを盛り込んで、美術館を温泉施設に見立てた。美術館の職員はハッピを着て、コスプレによって観客を迎えることで、一種の演劇空間をも現出したのである。
温泉地に這入ると先ず目に飛び込んでくるのは、ソフトクリームを型取った大きいオブジェである。僕はそれを見ると、ついフラフラとソフトクリームに導かれて、食べたくもないのに必ずソフトクリームを買うのが儀式になってしまっていた。だから、このソフトクリームの模型を会場にたくさん展示したいと林さんに注文して、小部屋いっぱいにこの彫刻群(?)を並べてもらった。
美術館2階の第1会場では〈温泉シリーズ〉の絵画を展示し、遡ること1973年から74年にかけて日本全国を旅しながら制作した過去の絵画作品「日本原景旅行」のシリーズを展示しながら、また観光地を彷彿させる各地のY字路など、日本各地を舞台に制作された絵画、版画、観光ポスターなどを交えて展示された。さらに、取材旅行時のスナップ写真を展示し、順路に沿って北から南へと作品を観光するという、もうひとつのシミュレーション旅行をも演出した。
そして3階の第2展示室では大浴場に見立て、湯浴みする女性たちを描いた〈銭湯シリーズ〉を展示。会場中央には大きい湯船を設置し、ロッカーや脱衣かご、天井扇や体重計、洗面器といった銭湯に関するオブジェを並べるなど、作品世界と現実空間とを結び付ける展示を行った。ここまで書いて、フト気づいたことであるが、銭湯の中の人の話声や桶などがカランコロンと音を立てるエコーのかかった擬音を会場内で流して、銭湯の臨場感を出せばよかった、と思った。
また1階のエントランスには卓球台を設置して、来館者が自由に温泉卓球を楽しめるスペースを設けたり、ミュージアムショップや併設のカフェを「お土産処」「お食事処」などとしてのぼりを立てるなど、展覧会のテーマにあわせて館内全体を仕立てるという、観光と創造と遊戯が一体化した、美術展を超えた美術展を現出。展覧会観客をそのまま観光客にメタモルフォーゼさせてしまうという演出は、身体に染み付いた従来の美術観のアカを洗い流すに充分な演出を見せてくれたように思う。僕は常に、いい意味での悪乗りをしてもらいたいと希望しているが、回を重ねる度にエスカレートしているのは非常に嬉しいと思う。
そしてこれらの関連イベント「横尾温泉卓球大会」では、通常のラケットの他、スリッパやナベブタ、お盆やチリトリなど様々な日用品をくじ引きでラケットとして用いた。必ずしも経験者が有利になるとは限らない。下は10代から上は80代まで、幅広い年齢層の参加者がラリーを楽しんだ。
美術家 横尾 忠則
1936年兵庫県生まれ。ニューヨーク近代美術館、パリのカルティエ財団現代美術館など世界各国で個展を開催。旭日小綬章、朝日賞、高松宮殿下記念世界文化賞受賞。令和2年度 東京都名誉都民顕彰ほか受賞・受章多数。
横尾忠則現代美術館にて4/9より、開館10周年記念「横尾忠則 寒山拾得への道」展を開催。3/24、小説「原郷の森」(文藝春秋社)が刊行された。
http://www.tadanoriyokoo.com