11月号
神戸鉄人伝 第83回 牛丸 好一(うしまる こういち)さん
書道団体飛雲会会長・兵庫県書作家協会参事
牛丸 好一(うしまる こういち)さん
兵庫県立芸術文化センターの中ホールに響き渡るジャズピアノ。舞台にセットされた巨大な紙。そして大きな筆を抱えて振るうのは、前衛書道家の牛丸好一さん。刻々消えていく音と、そこに残る書が不思議な空気を醸し、ホール空間が作品になったかのよう。「ピアニストのクリヤマコトさんに“立場は五分五分、自分は自分の表現をする、お互いにぶつかりあいたい”と言いました。6×8メートルの紙を用意し、舞台上で3枚書いたんです」と語る牛丸さんに、お話をうかがいました。
―書との出会いはいつですか?
小学生の時、近所にお住まいだった出口草露先生に習いに行ったのが始まりです。高校では書道部に籍だけは置いていたものの、テニスに夢中でした。大学に進学して上京する時、出口先生が兵庫県出身の宇野雪村先生に紹介状を書いてくださいました。偶然にも僕の下宿は宇野先生宅の近所でした。これはもう、運命ですね。学生時代は先生のお宅に入り浸り、書庫やコレクションの整理もやらせていただきました。僕の蒐集癖は、先生からの強い影響ですよ。
―書の世界で生きると決められたのは?
宇野先生のおかげでたくさんの先生方と直に接し、前衛書の祖とも言うべき上田桑鳩先生にもお目にかかることができました。学んだことは計り知れません。東京国立博物館で中国拓本の展示を見た時には、心が震えました。さらに赤坂の雪江堂という中国工芸の店でアルバイトをし、拓本や硯を扱ったことでますます書道が楽しくなり、書家になる決意を固め、高校の書道の教員免許を取りました。
―そして関西で、本格的に活動を開始されたのですね。
神戸に戻ってからは、個展をしたり飛雲展や奎星展に出品する一方、京都へ出向いて中田勇次郎先生の書論の勉強会に参加するなど、研鑽を積みました。京都女子大学や神戸市立赤塚山高校などで教鞭も執りました。忘れられないのは、書家として行き詰っていた時に、須田剋太先生に出会ったことです。先生の描かれた縄文記号をモチーフとした抽象画は、書の原点のように感じられ、強く魅かれていました。先生から「君の書は良いよ」と手紙をいただき、迷いが吹っ切れて再び研究や創作に精力的に取り組むようになりました。
―よく中国へ行かれ、拓本を持ち帰っておられますね。
1978年以来、訪中はもう50回を超えるでしょうか。書の古典である漢から唐代の石碑を調査し、更に拓本を得ました。漢字でもかなでも前衛でも、基本は古典です。私は前衛書を創るためには、古代に回帰する必要があると考えています。ジャズピアノとのセッションのテーマは、荘子の思想でした。書の始原を知った上で、最先端をいくものを追求するのが前衛書だと思います。前衛書には、書画同源ということで抽象絵画に近いもの、ミロやタピエスの作品を想起させるような作品もあります。
―前衛書は、絵画とどう区別すればいいのでしょう?
古典を学び、文字造形を知るのが書道です。私たちは文字を、伝達の道具ではなく美のある芸術と捉えます。書としての訓練を受けた線をもとに作り上げられた「かたち」は、絵画的であっても書なのです。書の根底には古典があり、古典には品格の高さがある。これが書芸術の最も大切なところで、前衛書も同じです。抽象絵画との違いは、その作品の中に、書の古典の品格があるかどうかということですね。
―これからのお仕事の抱負は?
飛雲会会長としては、兵庫県が輩出した前衛書の先達の業績を検証しなくてはならないと思っています。自分自身としてはできるだけ見聞を広め、少しでも新しい書を生み出していきたい。書が僕の人生そのものですから。 (2016年8月17日取材)
研究と指導、そして新しい挑戦で前衛書を支えてきた牛丸さん。その背中を追う、多くの後進がこれからの書道県、兵庫を支えるのでしょう。
とみさわ かよの
神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。平成25年度神戸市文化奨励賞、平成25年度半どんの会及川記念芸術文化奨励賞受賞。神戸市出身・在住。日本剪画協会会員・認定講師、神戸芸術文化会議会員、神戸新聞文化センター講師。