11月号
阪神間のステータスシンボル「いかりスーパーマーケット」
半世紀以上にわたり阪神間に住む人たちの厳しい目と舌を満足させてきた「いかりスーパーマーケット」。その歴史と今、そして今後を創業者の行光博志会長にお話しいただいた。
阪神間にぜひ「いかり」を
阪神間には既に1960年代、東京から引っ越して来られた方、輸入食品を使う食生活をご存知の方が多く住んでおられました。一方、兄と一緒に神戸の鯉川筋で洋菓子製造工場を営んでいた私は、日本初のスーパーマーケット、東京の紀ノ國屋さんに初めて足を踏み入れた途端、「こういう店を関西にも作りたい」と夢を持ちました。
以来、紀ノ國屋さんで学んだことを基に、扱う商品の厳選と人材育成に時間をかけ1961年、夢を実現しました。鯉川筋から見える「碇山」からとって「いかりスーパーマーケット」と名付け塚口にオープンした第一号店には、芦屋、西宮辺りから多くのお客さまに来ていただきました。
要望を受け12年後に夙川店をオープン、その4年後には、一等地・芦屋へ、満を持して新店舗をオープンしました。
いかり芦屋店のオープン
「芦屋店」のオープンにあたり、それまでに培った食に関する知識と最高の素材、新しい料理の提案のため、店内に当時まだ珍しかったデリカテッセンを設けました。芦屋は、お客様が食に対してレベルの高いこだわりをもっておられる地域です。そのお客様に満足していただける食材の提供を日々心掛けてまいりました。
また、お馴染みの市松模様のオリジナル紙袋を作ったのも、芦屋店オープン時のことです。私がイメージした市松模様を書き、社員にデザインを描いてもらいました。こうして生まれたデザインが今もそのままです。
現在では、いかり芦屋店は、ホームショッピングサービスや全国通販も行っています。地元芦屋の高級住宅地にお住まいのお客様をはじめ、幅広い地域のお客様にお越しいただけるお店となっております。
美味しさと安心・安全に手抜きは許されない
いかりでは現在、約8千品目の商品を扱っています。オリジナル商品は吟味した原材料だけを使い、食品表示管理士を置いて表示の徹底に努め、添加物は極力使わず、ほとんどを自社工場で製造しています。安心・安全の提供は食品を扱う企業としての責任ですから品質管理室や検査室でのチェック体制を整えています。輸入食品は、私をはじめ社長、社員たち自らが海外へ出向き、目と舌で確かめ扱う商品を決定します。
お客さまの厳しい目と舌で育てられ
創業以来半世紀以上、ずっと私の頭の中は美味しいものづくりでいっぱいです。社員たちも同じ考えを持って日々取り組んでいます。そんな私も高齢になり、さらにお客さまからのニーズも高まり、「健康に良いもの」もテーマに加えて品揃えを心掛けています。私共は阪神間のお客さまの厳しい目と舌で鍛えられ、育てていただきました。今後も満足いただける製品づくりと品ぞろえに努めてまいります。
行光 博志 さん
株式会社 いかりスーパーマーケット
代表取締役会長