9月号
対談/進化する名門私立中学校 第1回 灘中学校
予想もできない変化に対応する〝グローバル力〟を養う力
日能研関西本部 代表 小松原 健裕
灘中学・高等学校 校長 和田 孫博
名門私立中学へ多くの塾生を合格させている日能研関西。
代表の小松原健裕さんと、関西の名門校の校長とが対談する「進化する名門私立中学校」。
第1回目は灘中学校・和田孫博校長にご登場いただきました。
灘中・灘高生気質
小松原 灘中学校は地元の酒造会社の協力を得て開校されたそうですね。
和田 大正末期から昭和にかけ、阪神間は教育熱が非常に高い特殊な環境にあり、中学進学希望者が全国平均を大きく上回っていました。私立中学開設の機運が高まり、西宮に甲陽学院、岡本に甲南学園が創設されました。さらに魚崎、住吉界わいからの要請を受け、酒造業を営む嘉納治郎右衛門、嘉納治兵衛、山邑太左衛門によって灘中学校が設立されました。嘉納家の親戚筋で、講道館の創設者であり、東京高等師範学校校長を長く務められた嘉納治五郎先生にご尽力をいただき昭和3年(1928)、開校に至りました。今年で89年目を迎えます。
小松原 私は、日能研から灘中へ進学した子どもに会って話したり、町中でも普段の灘中・高生を見かけたりする機会がありますが、みんな楽しそうですね。自分の興味のある分野に徹底的にのめり込んでいます。例えば、虫にはすごく詳しいとか、建築物ばかり見て歩いているとか、興味のない人から見ると「何の価値があるのだろう?」と思うことでも、周りの子たちが、「コイツすごいねんで!」と認めています。必ず「ちょっと変わってるけど…」と枕詞が付きますが(笑)。
和田 小学生時代になると、周りのことを考えなくてはいけません、他人と違うことはやってはいけません、自分勝手な質問をしてはいけません等々の制約を受け我慢してきた子どもが多いように思います。本校に入って解放されているようです。尖った個性はせっかく良い個性だから、丸くしないで伸ばしてあげようと本校では考えています。そうは言ってもお互いの個性がぶつかり合ってトラブルが起こってはいけないので、個性を尊重し合って伸びていく、認め合いながら協力していくという姿勢を教えています。これは嘉納治五郎先生から頂いた校是「精力善用」「自他共栄」の精神で、自分の力を最大限に活用し、全体のバランスを取って皆で幸せになろうという考えが基本です。
小松原 自分の楽しみとして、毎年、文化祭にも来ていますが、「さすが灘の文化祭!」と感心します。
和田 本校の文化祭はおもしろいですよ。生徒会主導で動いているのですが、昨年もある生徒が沖縄の修学旅行で戦時中の遺品を収集されている方にお会いして感動し、今年の文化祭のテーマにすると決めてきました。勝手にですよ!さあ大変です。初めて沖縄から出る貴重な品の数々を運んでくるのですから。それでも戦後70年に関する良い展示ができ、反響も良かったですね。関西一円の他の場所でも展示させてほしいと要請があり、本校生徒が作ったパネルごと貸し出しをしました。
日能研、灘中、それぞれの指導方針
小松原 日能研は中学受験専門の進学塾ですが、最初から具体的な目標をもって頑張ろうと入って来る子ばかりではありません。ですから一方的に勉強を押し付けるのではなく、一人ひとりの様子を見ながら、長い目で見て指導しています。中学受験はあくまでも通過点であり、そこから始まる中高生活で、自分一人で勉強できる習慣を付けることを指導においての第一の目的としています。
和田 本校にも日能研出身の生徒も多いですが、確かに中学に入ってから自分のスタイルを見つけるのが早いかなと思いますね。
小松原 今春は灘中受験者の約60%が合格しました。灘中全体の倍率が約3倍ですので、よく合格してくれました。私どもの教育方針が入学後に結果を出していると言っていただけるのは嬉しいですね。灘中を目指す男の子の様子を見ていると、頑張っている子を見て自分も頑張ろうと思うようです。「相手を蹴落としてまで」という雰囲気は全くなく、皆で受かろうという気持ちが強いと思います。
和田 切磋琢磨ということでしょうね。柔道場でも一人だけ飛び抜けて強くても、それ以上は強くなれません。同じぐらいの強さの人がいて競い合えるわけですからね。そういう教育を日能研でしていただいているお陰でしょうか…、高校3年生で大学受験を見据えて勉強を始める頃、放課後の時間にお互いが教え合いながら伸びていっています。誰もが狭き門を目指すライバルであるにもかかわらずです。これは本校伝統のひとつだと思います。
もうひとつは、勉強に限らず、何に関しても自分で考え自分で決める。私服もその例で、着ていく服は自分で決めなくてはいけません。薄着を選んで風邪をひくこともありますが、そんな経験をしながら自主性が育まれていきます。保護者の皆さんには「翌日の服を枕元に用意するようなことはしないでください」とお願いしています(笑)。
小松原 第一線で活躍している卒業生も、母校での教育に協力してくれているそうですね。
和田 授業のない土曜日の講座を、1年に6回ほど実施し、講義、場合によっては授業という形で進めてもらっています。例えば、iPS細胞をはじめ、ロケット、ロボットなど最先端の科学技術研究者、政治学の教授、中にはクラゲ研究の第一人者、プロとして活躍しているミュージシャンなどもいます。また趣味の世界では茶道や俳句、盆栽など、時には講師を紹介いただき、幅広い分野の講座を同日に複数開設し、生徒たちが興味に沿って自由に選び参加します。
灘中に合格するための秘訣
小松原 灘中を受験する子どもたちはある程度の学力があり、頭の回転の速い子ばかりです。その中でも合格する子の様子を見ていると、できなかったときに、「なぜなのか」と考えもう一度やってみる、たとえ正解しても、先生の解説を聞いて自分の解き方との違いはどこにあるのかと考えられる。「正解したからもうええわ」と思ってしまう子どもは壁にぶつかってしまいます。
和田 大学受験の指導も同じで、過去問題に取り組むときも、間違った問題を克服し、次に同じ傾向の問題が出たときに正解できるようにする「地に足をつけた勉強法」をしなければ意味がありません。模擬試験で90点取ったら10点分、50点取ったら50点分を克服する機会になります。100点取れたらうれしいけれど、受けた値打ちがないと言えるかも知れません。もうひとつは、本校の入試は2日間にわたりますから、1日目に失敗した場合、それを引きずらないことが大切です。
変化の激しい時代を生き抜く力を付ける
小松原 中高一貫教育の良いところは、高校受験がないことです。6年間で、勉強に限らず部活などいろいろなことに挑戦できることでしょうね。
和田 中学2年、3年は多感な時期です。勉強が手につかなくなることもあるのに、高校受験しなくてはならないのはとても負担になる子どももいますね。少子化の時代ですから、日能研さんとも協力して中高一貫教育の良さを広く知ってもらう努力をしなくてはいけませんね。
小松原 変化の激しい時代ですが、対応できる力を子どもたちに付けさせるにはどうしたらいいでしょうか。
和田 今の子どもたちが社会に出るころには今の職業の半分くらいがITやロボットに取って替わられ、新たに未知の職業が現れると言われています。想像もつかない変化が現れたとき、高等教育、つまり大学で学ぶ専門的な知識では対応できない可能性があります。変化に対応できる力はどこで付けるかといえば、それは初等・中等教育の段階です。大学入試のための勉強では駄目です。古典も漢文も家庭科も体育も…幅広く身に付けてから大学で専門分野の勉強をしなければ、変化に対応できる人間にはなれません。海外に限らず、今とは違う世界が必ず日本の中にも現れてきます。それに対応できる力が本当の意味でのグローバル力です。その根本になる初等・中等教育の現場で、まっとうな教育がなされるように努めるのも私たちの責任だと思っています。
小松原 私立校と学習塾の枠を越えて、ぜひ協力させていただきたいと思います。これからもよろしくお願いいたします。
和田 孫博(わだ まごひろ)
灘中学・高等学校 校長
昭和27(1952)年、大阪市生まれ。1965年、灘中学校に入学。1971年、灘高等学校卒業。1976年、京都大学文学部文学科(英語英文学専攻)卒業。同年、母校に英語科教諭として就職。中学高校の野球部の監督・部長を務める。2006年、同校教頭に就任。2007年、同校校長に就任
小松原 健裕(こまつばら たけひろ)
株式会社 日能研関西 代表
甲陽学院高校、慶応義塾大学と中高大を私学で学ぶ。同大学法学部卒業後、日本IBMに入社。主に金融機関システムの提案に携わる。事業承継のため日能研関西に入社。授業担当科目は算数。京都本部長、副代表を経て、代表に就任。日能研関西本部業務全般に加え、日能研グループとの連携、私学教育の振興にも携わる