2月号
ピアノ技術の道を切り拓き85年[神戸とモノづくり(4)]
東灘区魚崎で創業以来85年、「日本ピアノサービス」は最高の音色を神戸から生み出してきた。
調律師でもある三代目・磻田聖二さんに技術のこと、名器・スタインウェイのことなどお聞きした。
ピアノ工房の先駆けとして創業
ピアノの音色に魅せられた私の祖父は、当初輸入業を商っていました。持ち前の探究心で自ら製作しようと考え、1930年にこの地で、組み立てや修理等を行うピアノ工房「磻田ピアノ研究所」を創業しました。日本にまだピアノというものがほとんどない頃ですから工房としては先駆け、技術は手探り、職人たちが使う道具の多くは手づくりだったと聞いています。
父が二代目を引き継ぎ、時代のニーズに応えて販売やレンタル、修理、メンテナンスなど広く手掛け、社名を「日本レンターピアノ」、そして「日本ピアノサービス」へと変更しました。阪神・淡路大震災では非常に大きな被害を受け、現在の社屋と道向かいの自宅はその後建て替えたものです。
名器・スタインウェイに魅せられて
世界中のピアノのメンテナンスを多く手掛けるうちに父は、スタインウェイの魅力に取りつかれたといいます。理由はまず復元力のすごさ、修理後の蘇える力の素晴らしさです。場合によっては、いっそう素晴らしくなって蘇えってきます。その根拠は「設計の素晴らしさ」の一言に尽きます。父は「ヨーロッパのピアノを貴婦人と言うならば、元々ニューヨークで生まれたスタインウェイは舞台女優」と評していました。遠くへと音が飛ぶスタインウェイは真に〝コンサートホールで大勢の聴衆を魅了することができる〟ピアノなんですね。
私たちはピアノづくりに現在のようなハイテク技術が導入される以前の、設計者の意図がはっきりと作品に現れていた時代のスタインウェイにこだわってきました。その頃の作品ならではの、太く、伸びのある素晴らしい音色と、復元力に魅了されています。
「古きよき時代に製作され、時代を重ねてきたヴァイオリンの名器のように、真の名器として位置付けて欲しい」という強い思いがあります。本質を理解して可能性を十分に引き出せるオーバーホールや修理・メンテナンスをして、その証として「Art-Vintage」(アートヴィンテージ)の登録商標を取得しました。
これまでに蓄積した技術をもとに、よく見受けられる中古市場とは一線を画した視点でこの名器に携わっています。
そして三代目を私が引き継ぎました。現在の業務としては修理・メンテナンス、販売、レンタル、家庭やコンサートでの調律…ピアノに関することなら何でも引き受けます(笑)。また、ピアノの地震対策にも務めています。きっかけは1978年の宮城県沖地震にさかのぼります。ピアノが暴走、転倒する被害が多発したことを教訓にして耐震装置の開発を始めました。阪神・淡路大震災でも効果が発揮され、震災後は神戸市内全ての市立養護学校、幼稚園、小中学校に設置しました。地震は突然襲ってきます。ぜひ対策をとっていただきたいと、家庭や幼稚園などに引き続き設置を呼び掛けています。
調律はピアノの個性を生かし、方向付けをするもの
社屋向かいの自宅で育った私は、聞こえてくるピアノの音がとても好きでした。音楽も大好きで、中学、高校とブラスバンド部に入り、金管楽器のリペアに関心を持つようになりました。父は決して「家業を継げ」とは言いませんでしたが、「まずピアノからやってみてはどうだ」と勧められ、国立音楽大学で調律を学びました。ピアノは一台一台の素性を把握すると、その楽器がどうなりたいのかが見えてきます。人もそうですが、個性を生かして、決して無理をさせず、それぞれのピアノが「なりたい楽器」になるための方向付けをすることがピアノ技術者の仕事だと日々考えています。
日本ピアノサービスは三代続き、現在に至っています。ピアノ工房では恐らく日本でもほかに例を見ないのではないでしょうか。創業以来、多くの方々とのつながりや祖父・父が築いてきた信頼関係のお陰でここまでくることができました。さらに先代はスタインウェイの中でも本当に良いものにこだわり、道筋を立ててくれました。これから誰がどんなに頑張っても、こんなに素晴らしいピアノはつくれるものではありません。本物を求めておられる方に長く使い続けていただけるよう、力を尽くしていきたいと思っています。
日本ピアノサービス株式会社
神戸市東灘区魚崎中町2-6-19 TEL.078-453-2121
営業:9:00〜18:00
休業:日曜日・祝日