6月号
浮世絵にみる 神戸ゆかりの「平清盛」 第6回
中右 瑛
源平外伝 馬琴の冒険小説に豪傑・為朝登場
源氏方の棟梁・源為朝(1138〜1170?)は、身の丈2メートル30センチ。左手は右手より12センチ長く、そのため天才的な弓術の名手として誉れ高い。「保元の乱」(1156)では、義朝とたもとを分かち崇徳上皇方に加担、その活躍は縦横無尽であったが、無惨にも敗北を期し、伊豆大島に流された。
この稀代の豪傑・為朝は、さまざまに脚色され、講談、芝居、浮世絵劇画に登場する。
江戸時代の冒険小説家・曲亭馬琴によって、無敵無双、波瀾万丈のスーパーヒーローとしてよみがえった。
その破天荒な冒険小説『椿説弓張月』によると︱。
為朝は少年期よりの傍若無人な振る舞いで、13歳のとき、父・為義の激怒にあい、遠く九州・肥後に追放された。
肥後の豪族・阿曾平三郎忠国の知遇を得た為朝は忠国の娘・白縫と結婚、一子・舜天丸をもうける。
3年のちには北九州一円を平らげ、みずから“鎮西八郎為朝”と名乗った。
ある日、為朝は狩りに出た。その山中で、親にはぐれた2匹のオオカミに出会った。オオカミの子は人懐こく、為朝につきまとう。為朝は哀れに思い家に連れて帰り、山雄、野風と名づけて可愛がった。山雄、野風は日ごとに雄々しく育っていく。
あるとき、為朝は家臣の須藤重季をお供に、山雄を連れて狩りに出た。山中での狩りの真っ最中、突然、山雄が重季に、理由もなく吠えついたのである。
「山雄、どうした!」
不審に思った重季。
もとは野生育ちのオオカミだっただけに、山雄の唸り声はすさまじい。それどころか、為朝の頭めがけて飛びかかろうとしたのである。
重季は、
「日ごろの恩を忘れて、ついに野性に戻ったか…」
と、刀で山雄の首を討ち刎ねた。山雄の首は空中高くすっ飛んで、大木の上で為朝を狙っていた大蛇に噛みついた。
「ズドーン!」
大音響とともに落ちた断末魔の大蛇。その喉もとに食らいついた山雄の首。
危機一髪! 山雄は自分を犠牲にして、恩主・為朝の危機を救ってくれたのである。為朝も重季もただただ驚き、山雄の忠節に涙するのであった。
上図は『椿説弓張月』のワンシーンが浮世絵劇画となったものである。
画面中央に、断末魔の巨大なオロチ(大蛇)が描かれ、その首根っこにオオカミの首が食らいついている。左右に為朝、重季が驚いた表情で対峙する。破天荒な物語に相応しい、迫力のある画面である。
恩に報うオオカミの奇想譚に、江戸庶民は酔いしれた。テレビや映画のなかった時代の冒険物語の劇画として、大いに人気があったのである。
中右瑛(なかう・えい)
抽象画家。浮世絵・夢二エッセイスト。
1934年生まれ、神戸市在住。
行動美術展において奨励賞、新人賞、会友賞、行動美術賞受賞。浮世絵内山賞、半どん現代美術賞、兵庫県文化賞、神戸市文化賞など受賞。現在、行動美術協会会員、国際浮世絵学会常任理事。著書多数。