8月号
玉置さんの80歳を見てみたいね
玉置 浩二 ミュージシャン
横尾 忠則 美術家
歌手・玉置浩二さんが取り組んでいる、オーケストラとのコラボレーション「ビルボード・クラシックス」シリーズ。4年目となる今年の「THE GOLD RENAISSANCE」が開幕した。ポスターを手掛けたのは現代美術家の横尾忠則さん。異なる世界のお2人の、夢の対談が実現した。
玉置さんはドラキュラ
―ポスターをご覧になったご感想は。
玉置 横尾先生には、2年前にもポスターを描いていただいたのですが、また先生とお仕事ができて、ああ、歌っていて良かったなと思いました。
横尾 今回、玉置さんの写真や資料をもらったとたんに、すぐにビジュアルが浮かんできました。天地を逆に2人の玉置さんを置いて、非常にこう、マジカルな感じでと。玉置さんの中に、そういう要素があると思うので、そういう要素を描きだした。あとは前にも一回やっていますからその延長上にね。一回、二回は連携して、もし次があるとすればガラッと変えて、観客を裏切るようなものにしようとか。
玉置 先生の中に流れがあるんですね。見た瞬間、ハッという驚きがありました。あとは嬉しさと。僕がマントを着たドラキュラみたいなポーズだったので、先生がそれに乗ってくれたのかな、とすごく嬉しかったです。
横尾 玉置さんはドラキュラだと思うんですよね、ファンの血を吸っちゃうんだからさ(笑)。それで、唇を赤くしたの。
玉置 指輪を“ゴールド”にしてくださって。
横尾 ファンも、玉置さんに血を吸われて喜んでるんですよね(笑)。
マエストロの船に乗る
―玉置さんは、「THE GOLD RENAISSANCE」がスタートしましたが、6月の関西公演を終えられて、いかがでしたか。
玉置 母が5月に他界したんです。ずっと去年から病と闘ってはいたのですけど、そういうようなことがひとつの作品にもなったかと思います。悲しいというより、歌ってて良かったなと、また聴かせてあげたかったな、というのがあるんですよ。逆に、なんていうか、歌の力に、自分でも考えてもいなかった力が、ワーッと来ました。
僕は今年ちょうど60なんですけど、このビルボード・クラシックスに出会ってなかったら、いろいろなことがスムーズに進んでいなかった気がして、今とてもおもしろいです。いろいろなマエストロとやると、曲は同じでも全然ちがうんです。
安全地帯の頃の歌も、オーケストラと歌うとまた全然ちがって、良いものができることもあります。以前は、こうあるべきじゃないか、というのがあったのですが、だんだんストライクゾーンが広くなってきて、「マエストロの船に乗る」という感じですか。今、何がきても大丈夫というふうになってきました。
先月、母親の他界がありましたけど、母ががんばっていた頃は、自分ももっと音楽をがんばっていた、みたいな感じでした。その母が逝ったんだなと思うと、自分の中で、なんとなくじんわりと、ここから始まっていくんだなと感じました。
横尾 お母様は亡くなっていません。すぐそこにいらっしゃいますよ。肉体はなくても心だけの世界だから、玉置さんが心で思えば、その瞬間通じています。ところで、指揮者によって、歌い方も変わります?
玉置 変わりますね。
横尾 同じ曲でもちがうんですか?
玉置 ちがいますね。だんだん年を重ねるごとに、クラシックも4年目ですが、同じ曲でも初めよりだいぶ伝え方が変わってきています。より届くようになって、より人の中に入っていくようになってきている気がします。
横尾 クラシック専門の指揮者とオーケストラでしょう? 古典的な技術をそのまま使っているのかな、新しい技術を取り入れたりしているんでしょうか。
玉置 どっちでしょうかね。僕はオーケストラの中に入っているだけなんですが。あとは、オーケストラや指揮者の方の感想もなるべく聞かないようにしてまして、終わるとハヤテのごとく消えていくんです(笑)。そうすると、次会うときも新鮮ですしね。良い緊張感の中でやれればと思っています。
横尾 本当に本番勝負なんですね。
玉置 お客様が入ってからの、ですね。お客様も関係あります。お客様も入って、みんなで作っているという感じです。
横尾 お客様はクラシックのファン? 今までの玉置さんのファンが多いの?
玉置 クラシックのファンの方も多いですね。オーケストラのファンの方もたくさんおられますしね、コンサート会場の雰囲気もだいぶ変わってきました。
横尾 僕は何年か前から、難聴が激しくて、補聴器をつけているんですが、そうすると音は聴こえるけど、音楽になってない。ヘッドホンをすると半分以下しか聴こえず、自分の中にあった音楽が半分になったようで寂しくて、音楽を聴いてももったいないし、音楽から少し遠ざかっていたんです。
だけど自分なりに努力をして、今僕が聴こえる音をもとにして、自分で音を作ったりして、僕なりに、僕のために、僕に一番合う形で音楽を聴こうとしている。聴くことのクリエイターみたいなものです。これがおもしろいといえば、おもしろい。不思議なの、演奏者の一人にもなってる気がするわけ。音楽家が僕みたいな状態だったら、おもしろい音楽が作れる気がしますね。
神戸の印象について
―横尾さんは西脇市のご出身、玉置さんはコンサート等で兵庫県にも来られていますが、神戸の印象はいかがですか。
玉置 神戸というと、なんか、物ごとが始まっていくようなイメージです。西宮でのコンサートの後は、神戸のホテルにも宿泊しますけど、神戸なんか住んでみたいなあと思いますね。
横尾 僕が神戸にいたのは高校を出てすぐの頃で、1950年代かな。西脇から見たら神戸は大都会でしたね。僕はもともと、神戸新聞の「読者のページ」にカットを送ったりして、しょっちゅう掲載されていましてね、その常連の投稿者5人と集まって、神戸の元町の喫茶店で絵の展覧会をしたんです。
ある日、神戸新聞の図案課のえらい方と、イラストレーターの灘本唯人さんが元町を歩いていたら、のどがかわいたっていうんで、その喫茶店に入ったら2階で展覧会をしていた。そして僕の絵を見て、灘本さんが「この子、神戸新聞に入れたら?」とおっしゃったそうで、その一言で僕は神戸新聞に入ったわけです。
当時、神戸新聞の新聞会館はまだ元町にあって、1年後に神戸新聞会館が落成した、その7階建ての建物が、兵庫県下随一の高層ビルでした。そこで最初は誰かのアシスタントで、文字を書いたり、小さな広告を作ったりしていたのですが、事業部のポスターをピンチヒッターでやることになって、そこで作った僕の絵がとても評判が良かったということで、ポスターのデザインをするようになりました。
これがおもしろくてしょうがなくて、そうしたら灘本さんが、日本宣伝美術会(日宣美)という全国区の公募展に応募したら、と助言をくださった。そこで奨励賞をもらいまして、20歳のときに会員に推薦していただきました。日宣美は優秀なデザイナーが集結していて、当時はここの会員にならないとデザイナーとして仕事ができませんでしたからね、そして上京し、今の僕があるんです。子どもの頃は郵便局員になりたくて、デザイナーになんかなるつもりはまったくなかったんだけど(笑)。
年齢を重ねての挑戦
―今後の新しいチャレンジなどは考えていらっしゃいますか。
横尾 80歳を過ぎますとね、野望とか、野心とか、欲、願望、夢とかその手のものが無くなるんです。そうするとすごく楽です。何かのためという大義名分もなく、やっていることだけが目的なので、非常に楽、いろいろなことが自由にできます。これからは、アートではないアート、制度化されたアートの外に出ていく、そこの外にあるであろうアートに興味があります。外には何があるかわからない、宇宙ですよね。
ただ、自分の中に血肉化したものが知らずに作品に生かされることはある。僕は20年間グラフィックをやって、その後の35年ぐらいがペインティングをやってきたから、絵画だけをやってきた人とそれがちがうから、オリジナルになるのでしょうけど、玉置さんも安全地帯の頃の感触や記憶がクラシックにも出てくるんでしょうね。玉置さんはどうしてクラシックとのコラボレーションを始めたんですか。
玉置 お話をいただいたことがきっかけでした。
横尾 安全地帯の、他のバンドの人たちは音楽活動をしているんですか。
玉置 困ってますね(笑)。たまに連絡するんですけど。ただ、僕が今のスタイルで昔の曲をやっていると、安全地帯もまたみんな聴きたくなるようで、またバンドも聴きたいなと思ったりしてくれているようなんですよ。
玉置 バンドの他の方は、ボーカルがいなくてどうしてるんでしょうか。
玉置 僕に隠れてやってるみたいです(笑)。
横尾 そうなの。
玉置 ソロのバンドのスタイルもおもしろいですしね、音楽活動は、淡々とこれからも続けていきたいと思っています。もともと作品を作ることも好きだったのですが、最近はそっちはほとんどやってない。実演が多いです。公演のために、喉がへこたれないように生活して、自分の中のクラシックをオーケストラにやっていただいている、という感じです。
横尾 玉置さんはまだ、僕より20年若い。玉置さんの80歳を見てみたいですね。そのとき僕は100歳だから、ヨボヨボでコンサートに行きますよ、補聴器100個くらいつけて(笑)。
玉置 ビルボード・クラシックスではどんどん新しいことに挑戦させていただけて、7月の公演ではフランスの指揮者と、モナコの少年合唱団とコラボするんです。回を追うごとにどんどん良くなっているので、楽しみです。
横尾 玉置さんは100歳になっても、このルックス、スタイルは変わらないでしょうね。
(6月15日 横尾忠則さんのアトリエにて)
横尾 忠則(よこお ただのり)
1936年生まれ。美術家。1972年にニューヨーク近代美術館で個展を開催。その後もパリ、ヴェネチア、サンパウロなど世界各国のビエンナーレに招待出品。パリのカルティエ現代美術財団など国内外の美術館で相継いで個展を開催し、国際的に高い評価を得ている。2012年、神戸に横尾忠則現代美術館開館。2013年、香川県豊島に「豊島横尾館」開館。2015年、第27回高松宮殿下記念世界文化賞受賞。個展[アルバーツ・ベンダ、ニューヨーク][ヴィラヌフ・ポスター美術館、ワルシャワ]。2016年、個展[箱根彫刻の森美術館][メゾン・ダイユール(スイス)][ロシア国立東洋美術館、モスクワ]。第32回講談社エッセイ賞受賞。2017年、個展[町田市立国際版画美術館]。今後も世界各国の美術館での個展が予定されている。
オフィシャルサイト http:// www.tadanoriyokoo.com/
玉置 浩二(たまき こうじ)
1958年生まれ。北海道出身のシンガーソングライター。1982年バンド「安全地帯」としてデビュー。「ワインレッドの心」、「恋の予感」、「悲しみにさよなら」など80年代の音楽シーンを席巻。ソロ活動で作詞も手がけ始め、「田園」をはじめとする多くのヒットを生み出す。 デビュー30周年である2012年には、オリジナルレーベル「SALTMODERATE」を発足。安全地帯とソロの活動を並行して行いながら、2014年、7年ぶりとなるオリジナル・ソロ・アルバム『GOLD』、そして同じ時代を共有してきたアーティストの名曲を歌ったアルバム『群像の星』をリリース。2015年・2016年、国内外の主要オーケストラと共演するビルボードクラシックス公演を実施。2016年6月、バルカン特別編成交響楽団に管弦楽作品「歓喜の歌」を謹呈。 同作品は10月、スイス・ジュネーブの国連欧州本部における平和祈念コンサートで演奏され、欧州初演を飾った。 オフィシャルサイト http://www.saltmoderate.com/