11月号
兵庫ゆかりの伝説浮世絵 第四十五回
中右 瑛
源平女人哀史 室津の遊女
兵庫県西南・赤穂の近くに室津(兵庫県たつの市御津町)がある。古来より瀬戸内航路の重要な港町である。江戸時代、参勤交代の際、瀬戸内海を船で来た西国大名の上陸地として、また、長崎出島のオランダ公使・シーボルトも、朝鮮王国が国交回復のため派遣した朝鮮通信使(外交使節団)も、江戸に向け、瀬戸内海路を経てここから上陸したことでも知られている。海と陸との接点で港宿場町として発展した。
竹久夢二や井原西鶴、谷崎潤一郎、司馬遼太郎ら文士たちもこよなく愛した。西鶴の小説「西鶴好色五人女・お夏清十郎」の清十郎の生地でもあった。大正ロマンの画家・竹久夢二が恋人・彦乃とたびたび訪れたこともある。室津を画題にした絵を多く残した。この街にはなにかとロマンの匂いがただよう。
古い話だが、50年ほど以前に、私はこの港町観光に来たことがある。当時、旧遊女街の荒廃した建物が残っていた。港町には決まって遊女街が栄え、船乗り男たちのひと時の憩いの場所だったが、往時の賑わいが彷彿として伝わる、がいまはない。岬の方には重要文化財の賀茂神社があり、岬に立てば、播磨灘の眺望は素晴らしい。
この室津に遊女伝説がある。八百年以上の昔、源平最後の戦いといわれた、壇ノ浦合戦(山口県・文治元年・1185)で平家軍は敗北した。安徳帝はじめ平家の武将たちはことごとく海に散り、女人たちも次々と後に続いた。死にきれなかった女人たちは瀬戸内を放浪し、やがて室津に辿り着き、この地で遊女になったという。出家した平家女人は多いが、それは身分の高い貴人たちで、身を崩した下々の女人も多い。
図の浮世絵には、播磨灘を流浪する平家女人らが乗った船が描かれている。華やかな日々を過ごした女人たちの哀れな末期。世のうつろい、人間のはかなさ、盛者必衰の無常を伝えている。源平合戦では、あまり語られていない平家一族の影で支えた女人哀史である。
■中右瑛(なかう・えい)
抽象画家。浮世絵・夢二エッセイスト。1934年生まれ、神戸市在住。行動美術展において奨励賞、新人賞、会友賞、行動美術賞受賞。浮世絵内山賞、半どん現代美術賞、兵庫県文化賞、神戸市文化賞、地域文化功労者文部科学大臣表彰など受賞。現在、行動美術協会会員、国際浮世絵学会常任理事。著書多数。