2月号
触媒のうた 24
―宮崎修二朗翁の話をもとに―
幸田文さん
出石アカル
題字・六車明峰
前号で中川一政について書いたがもう少し。
中川は画家として著名だが、実は詩や書にも優れておられ、『見なれざる人』という詩集もある。
というよりも歌人であった。宮崎翁からお借りした『雨過天晴』という立派な歌集には神戸に関する歌が50首ばかり載っていて、その「後記」にはこんなことが。
―當時私を尾上柴舟、太田水穂、斎藤茂吉、石川啄木、前田夕暮、若山牧水等へ伴っていってくれたのは富田(砕花)である。富田は實に交際家であるが、私は交際家ではない。夕方になると誘いにきた。―
中川は、中学時代から与謝野晶子選の新聞に投稿するなど早くから文芸に親しんでいる。また、『私の履歴書』(中川一政・日経ビジネス文庫)にはこんなくだりがある。
―富田砕花からハガキがきた。自分は今、摂津芦屋浜の斎田の家にいる。遊びに来ないかと書いてあった。―
で、中川はこの後、一年間ほど芦屋で若き日の砕翁と暮らすことになる。砕翁もこの時、斎田家の食客であり、中川は言わば、“居候の居候”というわけだ。
ということで前号にも書いたが、中川は、宮崎翁の師、富田砕花翁とは親友であった。
そしてなんと、この芦屋時代に画家への転機が訪れる。
たまたま神戸で船員をしている友人に会い、その友人から、当時世界一上等と言われていた“ニュートン”の絵具をもらった。それで油絵を習作し、神戸深江で描いた「酒倉」が岸田劉生の目にとまって画家への道を歩むことになる。
この辺りの話、面白いのだが、興味のある人は『私の履歴書』をお読みください。
* *
さて本題。
宮崎翁が案内なさった文人に、幸田文さんがある。言わずと知れた幸田露伴の娘さんだ。
露伴は「五重塔」などで有名な作家である。佐佐木信綱、横山大観などと共に第一回文化勲章を受けている。
文さんは露伴の晩年を充分に看取ってから作家になった人である。が、その文章は美しい。「父」という作品の中にこんな個所がある。露伴の死の床での誕生日を祝う魚のことである。終戦直後、なにもない時代だ。
―つくづく見るそのちいさい魚。生きは極上だった。えも云われぬ美しい整ったすがたをしている。鰭の薄い膜は人体のどこにもない美しさ。穏やかな眼つき。一枚も損じていない鱗。魚のからだ中の表情がすなおだった。―略― これは親魚に云いつけられると何の疑うところもなく忽ち、はいと云ってまっすぐうちへやって来た魚だ。あわれに美しく、あまりに可憐な魚だった。秋の快気祝いには、この親兄弟一族がずらっとやって来るつもりだろう。この幼い魚をおとうさんにおあげしよう。―
どうでしょうか、見事ではありませんか。でもこの文章は、彼女まだ作家として書いたものではない。父親、露伴の病床日記のようなものである。
宮崎翁はその文さんを姫路に案内したとおっしゃる。「中央公論」主催の文化講演会だったと。
「多分、昭和30年代初めだったと思います。いや、お美しい方でした。もう50歳前後になっておられましたが、ぼくがお会いした女性の中で最もお美しい方でしたね」
しかし、文さんは、お若いころ、自分のことを決して美しいとは思っていない。むしろ悲観して「きれいになりたい頃、私は鏡から失望と悲しみをうけとった」(『ちぎれ雲』所収「れんず」)などと書いている。ところが露伴に「一体どんな顔になりたいんだね。キリストのようなのか楊貴妃のようなのか。なるほどおまえは美人ではない、佳人というものでもないらしい。さればと云って人を驚かせるほどの醜女でもなし、まして悪女の力量もありはしない。親から見ればただ哀れなやつに尽きる」と言われる。
文さんの書かれた「こんなこと」に詳しいが、露伴は、この文さんを徹底的にしつける。掃除の仕方は、はたきかけから雑巾がけのやり方まで、微に入り細に入って仕込む。男女の閨房にまで立ち入って。当然、立ち居振る舞いなどはいうまでもない。
そうして宮崎翁のおっしゃる見事に美しい女性が出来上がるのである。
「講演会で文さんは、舞台の袖からではなく花道からお出ましになられました。そのお歩きになる姿がなんともいえず美しかったです。地味な和服姿でしたが、会場は溜息をつく思いでした」
文さんの書かれたものを読むと、さもありなんと思わされる。
そして、興味深い翁の話。
「露伴さんの書の真贋の鑑定などなさることはないですか?とお尋ねしました。どうして見分けなさいますか?と。するとね、『父親の姿を思い浮かべて姿勢を真似るのです。父が筆を運ぶ様子を思い浮かべて、その書を前にし、腕を動かす。すると分かるのです』とおっしゃいました。ずっとお父さんの姿をそばで見て来られた方ですから、お分かりになったんでしょうねえ」
出石アカル(いずし・あかる)
一九四三年兵庫県生まれ。「風媒花」「火曜日」同人。兵庫県現代詩協会会員。詩集「コーヒーカップの耳」(編集工房ノア刊)にて、二〇〇二年度第三十一回ブルーメール賞文学部門受賞。