2014年
6月号
石上 金絲縫当世鹿子 おなつ 清十郎 錦絵間判

第四回 兵庫ゆかりの伝説浮世絵

カテゴリ:文化・芸術・音楽



中右 瑛

お夏・清十郎悲恋物語

芝居や映画でお馴染みのお夏・清十郎の悲恋物語は、356年前の万治元年(1658)六月に、姫路を舞台として実際に起こった実話である。十六歳の但馬屋の娘お夏と同家の手代・清十郎との不義密通から、遂には殺人事件にまで発展し、清十郎は打ち首、お夏はそのショックで狂乱し、町中を彷徨い歩く・・・というショッキングな事件だった。
それに着目したのが元禄の巨匠作家・井原西鶴と近松門左衛門だった。西鶴は事件の二十数年後の貞享三年(1686)『好色五人女』に、近松は『お夏清十郎五十年念歌念仏』に、各々、書きとどめた。
“お夏・清十郎悲恋物語”は、史実、虚説など様々に脚色され、芝居、映画、小説に登場し、今に伝わっている。

播磨室津の造り酒屋・和泉屋清左衛門の息子・清十郎は、美男の誉れ高いが、まだ十九歳だというのに放蕩三昧、女遊びも度が過ぎて、挙げ句の果てには室津の遊女と深い仲となり、父に反対されたことから心中未遂事件まで引き起こしてしまうありさま。相手の遊女は死亡、清十郎は助かったものの、他に思いを寄せる遊女も多く、その後も女道楽はおさまる様子もない。見かねた父・清左衛門は、清十郎を勘当し、室津から追い出してしまったのである。
その後の清十郎は、知人を頼って姫路にやってきて、本町の米問屋・但馬屋で手代として奉公することになった。それからの清十郎は人が変わったように真面目に働き、但馬屋では信頼され人気者になっていた。
但馬屋の当主・九左衛門には十六歳になる一人娘がいた。“お夏”といって評判の美人娘だった。
奉公人といえども色白でハンサムな清十郎と、この家の美しいお夏との間に、何も起こらぬはずはない。いつしか二人は深い仲となってしまっていたのである。
そうした折も折、思いもよらぬ事態が巻き起こった。清十郎が但馬屋の大金を盗んだという嫌疑がかかったのである。これは、お夏に思いを寄せる番頭が嫉妬に狂い、清十郎を憎んだあまりに仕組んだ罠で、但馬屋の金を使い込んだその罪を清十郎に負わせたものだったのである。
その真相を知った清十郎は憤怒のあまり逆上し、番頭を刺し殺してしまった。
「しまった!」
清十郎は人殺しの罪におののいた。死罪は到底免れない。
「いっそ死んで・・・」
清十郎は自殺を企てるが、そうと知ったお夏は
「私一人を残して死ぬのはイヤ、いっそ私も殺して・・・」
とすがった。
「お夏さまに迷惑はかけられない」
という清十郎に
「いっそ二人で逃げよう・・・」
お夏は清十郎の手をとって、但馬屋を後にしたのである。 (つづく)

石上 金絲縫当世鹿子 おなつ 清十郎 錦絵間判

■中右瑛(なかう・えい)

抽象画家。浮世絵・夢二エッセイスト。1934年生まれ、神戸市在住。
行動美術展において奨励賞、新人賞、会友賞、行動美術賞受賞。浮世絵内山賞、半どん現代美術賞、兵庫県文化賞、神戸市文化賞、地域文化功労者文部科学大臣表彰など受賞。現在、行動美術協会会員、国際浮世絵学会常任理事。著書多数。