8月号
有馬の地に遺す 数寄屋普請
中村外二工務店代表中村 公治さん×高山荘華野館主駿川 武志さん
有馬に数ある旅館の中でも、花とアートで独自の世界を創る高山荘華野に、このたび、数寄屋づくりの和室をメインとした温泉付スイートルーム「双葉葵」がお目見えした。手がけたのは伝説の数寄屋大工、中村外二工務店の三代目、中村公治さんと、依頼主の駿川武志さん。完成までの経緯やこだわりについて語っていただいた。
22年を経て夢叶う
─いけばなとの出会いは。
駿川 1998年の2月のことです。たまたまテレビを観ていたら「花を愉しむ」という講座をしていてとても感激しました。明くる日にテレビ局に問い合わせたところ、池袋で講座があるというので、4月から通い始めたのです。先生が花を生けている姿も凛として美しく、一目惚れしました。
─東京まで通ったのですね。どんな講座でしたか。
駿川 最初の1年は実技なしの講義のみ。「涙あふれる花」、記憶が思い出されるような花というお話を聴いて、「なげ入れの花」はいわゆる「華道」とは違うなと思いました。それが「茶花」というのは後でわかったのです。
中村 我々も「凛とする」という部分は共感できます。背筋が伸びるような、緊張感がある世界というのは、建築の世界にも通じるものです。
駿川 1年後、実技指導になるのですが、ある日先生が「狩野絵画のような秋の世界の花を生けてください」と言うのです。ですから、狩野絵画のイメージがないと一輪も生けられない。お恥ずかしい話ですが、学び始めのころは狩野派を知らなかったのです。それで日本の美術を学び直し、いまも勉強を続けています。また、掛け軸、器、それを置く場所も学ばなければならないのです。
─それで、数寄屋との出会いに結びつく。
駿川 先生の作品集を見て、その背景が気になりました。どこで撮影したのかを調べたら、畠山記念館というところでした。先生のお話には、俵屋や美山荘もよく出てくるのですが、これらを手がけたのが中村外二工務店でした。今から22年前に京都のお店を訪問し、お話を伺いました。その時は勉強不足を痛感し「今の自分には及ばない世界だ」と思いましてね。もっと学んで、成長してその時が来れば、改めてお願いしようと思って帰ったことを思い出します。2019年、再度連絡を取って京都の料亭「十牛庵」ではじめて公治さんにお会いして、また半年後に旅館に来ていただいたんです。そこで「お手伝いしていただけませんか」とお願いしました。
中村 それでお請けすることになったのですが、その時は他の仕事が入っていて2年ほどお待たせしてしまいました。正直、ここに一歩入って、我々のやっている数寄屋建築とは全く違う世界の建物だと感じましたが、お花や美術品のコレクションを拝見して、センスや感覚は我々と通じるものがあるので、良い結果になるのではないかと思いました。
駿川 承知していただいた時は、長年の念願が叶うと、信じられない気持ちでした。
立派さよりも美しさ
─依頼するにあたって、お願いしたのはどんな点ですか。
駿川 寝室はロックフェラー邸のイメージを伝えました。
中村 アメリカで一番の富豪の邸宅で、ニューヨーク郊外にあるんですよ。昭和37年頃に祖父、中村外二がここに茶室をつくっていまして、それが評価されて親父(二代目・中村義明)が現場監督として住宅を建てたんです。寝室は完全な洋室ではなく和を感じる方が良いのではないかということで、ロックフェラー邸のイメージでいこうとなったんです。
─和洋が合わさるというのは、神戸っぽいですよね。
中村 山の中で落ち着いた有馬の空気感と、神戸の粋な感じを合わせられたらなと思いました。駿川さんにすごく信頼していただいたので、いろいろな提案をさせていただきました。
駿川 骨格は中村さんにお任せして、ここにどんな和紙を貼るとか、そういう細かいところは何度も打合せして好みを伝えました。
中村 座敷と寝室、お風呂を造って、それをどう繋いでいくかが一番難しかったけれども、2畳の次の間を設けたことでうまいこといったかなと思います。
駿川 座敷の寸法は茶室の寸法になっています。壁にもこだわりました。聚楽土です。
中村 今どき3ミリしか塗らないとか、聚楽風のクロスとかが多いのですが、しっかりと12ミリ塗っています。部屋を印象づける床柱は、何がお好みかをうかがい、赤松になりました。
駿川 いろいろ悩みましたね。お客様を緊張させないような雰囲気を心がけました。
中村 男っぽいのか色っぽいのか、これで方向性が見えました。雰囲気は色っぽいですね。北山丸太の床框とか。
駿川 先生からの命題だったんです。「セクシーな空間をつくれ」と。
中村 和室から正面に見える景色がいまひとつでどうしようかと思ったのです。しかし左手には秀吉の湯殿の跡を一望するんですね。それで腰をかけてそちらを眺められるように手すりを設けました。部屋の色気に合わせて竹をあしらっています。天井は赤杉の中杢と呼びまして、希少な板を大工が鉋できれいに削ったものを使っています。10年、20年経つと増々いい艶が出て良くなります。
─寝室の障子も素敵ですよ。
中村 建築家の吉村順三先生が発案した吉村障子です。障子を洋の空間に持ってくると違和感があるので、洋にマッチするように桟の間隔を広くして、組子と框が同寸法になっています。窓は紅葉の木を眺め視界が開けるよう、センターオープンにしています。
駿川 あの部屋のグレードや雰囲気に、家具はカッシーナしか合わないと直感的に思ったのです。それまで手が出せなかったのですが、今回は思い切って椅子からベッドサイドテーブルまで全部カッシーナにしました。少しでも備品を間違うと、空間全体が安っぽくなってしまうのです。
中村 ずいぶんと悩まれていましたよね。
駿川 座敷だけじゃなく、寝室もパウダールームもトイレもぜんぶ中村さんに施工をお願いして正解でした。
中村 温泉設備は専門じゃないと難しいので、浴室だけはほかの業者さんにお願いしました。
駿川 洗面の大理石の天板は中村さんが選んでくれたのですが、一発で気に入りました。
中村 お気に召していただけると思って少しスタイリッシュな石を選びました。
駿川 コンセントも、色や場所など考えぬかれています。完成後、従業員に感想を訊ねたら「美しい」のひと言。お客様も同じです。「立派」じゃなくて「美しい」。それが大事なんです。
本物は説明不要
─細かいところまでこだわっていることが、宿泊客にわかるのでしょうか。
駿川 わからないのが良いのです。世の中はわかりやすい物ばかりになっているので。
中村 親父の師匠の、大徳寺真珠庵の先代和尚さんは「わかる者だけわかれば良い」とおっしゃっていました。良い物は講釈不要です。
駿川 太閤や利休が来られた有馬という土地柄ですので、本物の日本建築をつくられる中村さんにお願いしたかったのです。
─外国の方にも、日本文化を感じていただけそうですね。
駿川 でもまずは日本人ですね。いま、日本の旅館では畳の上にベッドを置く和洋折衷が流行っています。
中村 畳の上にベッドって嫌ですね。畳はカーペットじゃないんです。
─今回のリニューアルを終えて、いかがですか。
中村 我々は、世の中から求められなければ滅びていくだけなので、本当に良い物をこだわってつくっていくことが大事だと思っているのです。旅館はいろいろな人に来ていただけるので、私たちの仕事をもっと知っていただけるのではないかと期待しています。本当にありがたいことです。私たちのこだわりを感じていただければ。畳ひとつでも踏み心地が違いますから。
駿川 数寄屋という日本文化の粋を集めた空間「双葉葵」で、いま忘れ去られようとしている本物の日本を、ぜひ感じていただきたいです。「花は野にあるように」とは利休の言葉です。私もその心を伝える花を入れて、お客様をお迎えしたいと思っております。
中村外二工務店代表 中村 公治さん
中村外二工務店
創業:1931年
伊勢神宮茶室、京都迎賓館などに携わる。
「建築とは施主の運命を伸ばすこと」初代中村外二のことばを、二代目義明氏と共に引継ぎつつ、中村流数寄屋スタイルを更に進化させている。
高山荘華野館主 駿川 武志さん
高山荘華野
創業:1956年
客室数:16室(和室 14室、和洋室「山荷葉」1室、銀泉付スイート「双葉葵」1室)
ラウンジ、レストラン、料亭、男女金泉銀泉大浴場
一泊二食付宿泊料金:「双葉葵」 13万2000円~(税サ込み)
有馬温泉 高山荘 華野
兵庫県神戸市北区有馬町400-1
TEL.078-904-0744
(お受付時間9:00~21:00)
https://www.arima-hanano.com/