10月号
神戸鉄人伝 第82回 石田 皓山(いしだ こうざん)さん
神戸三曲協会理事長 新都山流竹淋軒大師範
石田 皓山(いしだ こうざん)さん
邦楽演奏には欠かせない楽器で、最近は洋楽器との合奏にも登場する尺八。日本人ならどこかで見たことも聞いたこともあるはずなのに、実際に手に取る機会はあまりありません。「今は邦楽には厳しい時代。昔より放送枠も減り、聞いて頂く機会も少なくなって」と神戸三曲協会を率いる石田皓山さん。「子どもたちに、もっと邦楽器に触れてもらうことから始めなくては」と語る石田さんに、お話をうかがいました。
―尺八との出会いについて教えてください。
18歳の時、大学で先輩に誘われて尺八部に入ったのが始まりです。先輩の「音が出るようになったら箏の師匠のところへ連れて行ってやる、合奏ができるようになったら楽しいぞ」という言葉を励みに頑張りました。合奏を経験すると演奏会出演の機会を増やしたくなり、兵庫県学生邦楽連盟を創設、関西学生邦楽連盟の創設には準備段階から関わりました。
―邦楽の面白さに目覚め、卒業後も続けることに?
それが実は、部活には積極的でしたが自身の稽古は怠け気味で、「部長は在学中に名取りになる」という尺八部の伝統を途切れさせてしまいました。転機は卒業直後の1955年4月3日。宮城道雄直門の亀井琴正から「開軒40周年記念宮城道雄演奏会」の舞台係を命じられ、幕引きを担当したのです。宮城道雄の至芸を舞台袖で見たのですから、それはもう「感動」の一言に尽きます。それからは真剣に稽古に取り組むようになり、2年遅れの24歳で名取りになりました。
―まさに邦楽人生の幕が開いたという感じですね。
その2年後、私は琴正の次女・千代子と結婚し、舅、義姉・喜代子、妻と演奏活動を重ねていきました。芸術文化団体の設立趣意書を相次いで作成したのもこの頃です。神戸芸術文化会議の創設には、神戸市職員として関わりました。尺八の関係では神戸三曲協会、明石邦楽協会、そして市職員を中心とした神戸市邦楽倶楽部も立ち上げました。また宮城宗家の意を受け、宮城道雄生誕の地記念碑(中央区浪花町)の建立に関わるなど、多忙の日々を送りました。
―そんな活動を、奥様の介護のために休止されました。
妻が不治の難病に冒されて20年、後半は車椅子生活となり私は介護に専念したので、尺八関係の諸行事とは縁遠い生活が続きました。2012年、妻の他界を機に復帰しましたが、10年のブランクは浦島太郎のようなものですね。これからの自分の仕事は、邦楽普及に力を入れることではないかと考えています。
―邦楽の普及には、どんなことが必要でしょう?
邦楽演奏の機会を増やし、奏者を育てていくためには指導者が必要ですが、最近は「趣味なので免状は要らない」という人が増えており、免許制度で指導者を育成してきた邦楽組織には悩ましい事態です。幸い神戸・明石では、頼もしい次世代の奏者たちが頑張ってくれているので心強い。さらに先の世代である子どもたちには、まず邦楽を知ってもらうことが必要です。そこでこの2年間、小中学校の先生を対象に箏・三絃の実技研修を実施しました。また兵庫県の「伝統文化体験フェスティバル」にも参加させていただくなどして、邦楽に触れてもらう機会を増やしています。
―邦楽を体験した子どもたちは、将来の担い手になるでしょうか。
子ども向きの講座や教室に出向くと、練習用の樹脂製の尺八を欲しがる子もいます。でも興味を持ったからと、過度に期待してはいけない。現代の子は学校でも家庭でも、忙しい毎日を送っていますからね。束の間でも邦楽器を触ったことが、10年後に楽器をやってみることにつながってくれたら、それでいい。それくらい長い目で見て、地道に未来の邦楽ファンを増やす努力を続けていくことが大切でしょう。
(2016年7月20日取材)
大きなブランクを経て、この世界へ戻られた石田さん。邦楽の普及に急がず焦らず取り組む姿勢が印象的でした。
とみさわ かよの
神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。平成25年度神戸市文化奨励賞、平成25年度半どんの会及川記念芸術文化奨励賞受賞。神戸市出身・在住。日本剪画協会会員・認定講師、神戸芸術文化会議会員、神戸新聞文化センター講師。