9月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から 52 語り・コーヒーカップの耳
今村 欣史
書 ・ 六車明峰
尊敬する人に立命館大学名誉教授の木津川計さんがおられる。
第46回菊池寛賞ほか受賞歴豊富。芸術選奨文部科学大臣賞選考委員主査、上方お笑い大賞審査員など多くの選考委員を歴任。『朗読・語り文化の地平』など著書多数。約半世紀にわたって『上方芸能』(2016年に200号をもって終刊)を発行して来られた関西芸能界の恩人である。
84歳になられるが、今も各地で「木津川計の一人語り劇場」の舞台活動を続けておられてお元気だ。わたしも「無法松の一生」「番町皿屋敷」などいくつかの舞台を見せていただいたが、その度に新たな感動を受けた。
その木津川さん、わたしの書くものに注目して下っていて、これまで何度かご自分のラジオ番組で紹介してくださったことがある。そして又この度である。
近著『完本コーヒーカップの耳』を二回にわたってNHKの「ラジオエッセイ」で語って下さったのだ。
氏の語りは単なる朗読ではない。芸である。講談、浪曲、落語などのように一つの芸なのだ。語ってくださった作品をちょっと紹介しましょう。これは落語の枕のような口頭詩の紹介。
――きよさん九つの時です。お父さんの今村さんにこう言ったんです。「もしもお父さんがね、いまのお母さんと別れてね、よその、子どもが三人ある奥さんと結婚したらね、わたしとお兄ちゃんとでその人たちをいじめるからね、覚悟しといてよ。わたしはほんまにやるからね。わたしはきつい女やねん」であります。笑いました。これは九つの女の子の本心です。それをパッと捕らえて文章にすると詩になる。――
木津川節独特の抑揚をつけて巧みな間を取りながら語られる。
単に文章を読んだだけでは聴取者には解りづらい。なので最低限の解説を加えての語り。
そんな風にして『完本コーヒーカップの耳』から、氏お気に入りの作品をいくつか語って下さった。その中から二篇だけ紹介しましょう。
――西山さんという女性が戦争中の思い出をマスターの今村さんにこう話すんです。手紙という題です。「終戦前、航空隊におる時やった。日暮れ時に白いマフラーをした若い隊員が、そのあたりをウロウロしよるんが気になってね、見てたの。そしたら、人目をはばかるようにスッとわたしに近づいて来てね、手紙を手渡したの。そのころ、わたしも若い娘やったから驚いてね。なにかと思ったら、小さな声で、あなたの名前で投函してほしいって。そしてサッと行ってしまったの。後でその人の両親がわたしを訪ねて来られてね、その時の様子を涙を浮かべながら、何度も何度も尋ねられたの。」であります。涙の出る思い出です。その若い隊員はどこかの戦場で戦死したんです。その最期がどんなことやったのか、知ったところでどうなるものでもないんですが、尋ねずにはおられない親御さんの気持です。――
面白いのをもう一篇。
――『コーヒーカップの耳』は辛い話だけではありません。今の巷の庶民の面白い話、世知辛い話、びっくりする話などいろいろ集められているんです。その中のこれは原さんという人の「悪友」という話です。「マスター、ちょっと聞いて。この人、ほんまひどいんや。こないだ休みの日ィ、一緒にパチンコ行ったんですわ。この人、負けてスッカラカンになって、奥さんに電話して軍資金持って来させはりますねん。ぼく、久しぶりに奥さんに会うたから挨拶しましてん。ほんで、奥さんが帰らはった後ですわ。この人、うちの嫁はん歳いったやろて言わはるから、いやそんなことない、て言うたんです。あんまり変わってはらへん、て。そやのに、いや遠慮せんでええ、ほんまのこと言うたらええ、て、しつこいんですわ。ぼく、しまいに面倒くさくなって、誰かてちょっとぐらい歳行きまっせて言うたんです。そしたら、帰って奥さんに言うてはるんですわ。原さんがお前のこと齢いった言うてたぞ、て。ムチャクチャでっせ」であります。無茶苦茶です。奥さん歳いった言うてへんのに言うたことにされて、そら奥さん怒りますがな。――
さぞ、お聞きになったリスナーは楽しかったことだろう。
木津川さんの今後とものご活躍をお祈りいたします。どうかお元気で。
■六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。
■今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)ほか。