2020年
4月号
4月号
連載コラム 「続・第二のプレイボール」 |Vol.10
史上最速と呼ばれた剛腕 山口高志さん
文・写真/岡力<コラムニスト>
引退後にさまざまな世界で活躍する元プロ野球選手の「今」をご紹介します。
「山口のストレートが一番速い」そう語り継がれる伝説の投手がいる。かつて阪急ブレーブスでプレーした山口高志さんは、1950年神戸市生まれ。
5歳の頃、兄の影響で野球を始め地元の市立神港高校へ進学。真冬の須磨海岸で砂袋を引きずる厳しい指導もあり3年時には春・夏と連続で甲子園に出場した。関西大学時代は、球速に磨きがかかり4年の春(全日本大学選手権)秋(明治神宮野球大会)と日本一に貢献。また第1回日米大学野球選手権ではパワーに勝る打者から13奪三振と好投した。卒業時、ヤクルトから指名を受けたが松下電器(現パナソニック)へ入社。全日本社会人チームでキューバへ遠征した事が自信に繋がり74年ドラフト1位で阪急に入団した。
1年目から12勝1Sを挙げ新人王、日本シリーズではMVPに輝いた。その後も上から叩きつける直球でブレーブス黄金期を支えるも故障が重なりわずか8年間(通算50勝43敗44S)で現役生活に幕を閉じる。
引退後は、阪急―オリックス―阪神のコーチ、スカウトを歴任。その経験からグランドに立つユニホームの着こなしや声の出し方でプロに行けるかどうかはだいたい分かると言う。16年から母校・関西大学野球部のアドバイザリースタッフに就任。チームは昨年47年ぶりに明治神宮大会決勝へ進出。惜しくも準優勝となったが今年にかける思いは強い。
「プロ野球選手として皆さんの記憶に残っているのは嬉しい。しかしフォームは理にかなっていないので真似して欲しくないですね」と笑いながら学生が待つグランドへと姿を消した。腕を突き上げマウンドに立つその勇姿は、今でもファンの目にしっかりと焼きついている。