2月号
兵庫県洋菓子協会 65年記念史発行記念座談会 次世代のパティシエに向けてのメッセージ
兵庫県洋菓子協会比屋根 比屋根 毅さん[(株)エーデルワイス]
安藤 明さん[(株)ユーハイム]
高橋 純子さん[モロゾフ(株)]
佐野 靖夫さん[(株)レーブドゥシェフ]※司会
坊 佳樹さん[ル・プレジール]
小山 進さん[パティシエ エス コヤマ]
津曲 泰弘さん[ケーキハウス ツマガリ]
大鶴 直樹さん[ホテルオークラ神戸]
佐野 当協会の前身である兵庫県洋菓子協同組合は、戦後、日本で初めてできた洋菓子の業界団体でした。阪神・淡路大震災など大変な事もありましたが、逆境もみんなが力をあわせて乗り切る事ができ、更に神戸スイーツを全国に発信するきっかけにもなりました。
比屋根 兵庫県洋菓子協同組合が設立されたり、戦後の日本を代表する洋菓子メーカーが兵庫から誕生したりしたのは、神戸がハイカラで自然に洋菓子が育まれるような風土だったということでしょう。そして「兵庫に洋菓子あり」と言われるようになったのは、協会が土壌作りを行ってきた成果だと思います。
佐野 会長が洋菓子の世界に入られた頃と、今とではかなり状況も違うのでしょうね。
比屋根 私は昭和28年からこの業界にいますが、今では考えられない製造環境でした。最初は故郷の沖縄で、カステラやせんべいを作るアルバイトをしたのですが、当時はガスや電気のオーブンなんてありませんから、炭火でお菓子を作っていました。それから故郷を離れ、大阪で本格的なお菓子修行に入りました。それ以来55年、この道一筋に生きています。
佐野 みなさんはいかがですか。
安藤 私は昭和44年にユーハイムに入社しました。創業者のカール・ユーハイムはドイツ人で、最初は中国の青島で店を開きましたが、第一次世界大戦中に捕虜として日本に来て、収容所でバウムクーへンを作ったそうです。それが日本人の口にあってとても美味しいというので、明治屋のお世話で東京でお菓子を作り始め、次に横浜でお店を開くのですが、関東大震災の影響で神戸に移り住んでバウムクーヘンの製造販売を始めたのが当社のルーツです。創業以来「見た目は素朴だが食べると美味しい」という伝統的なドイツ菓子を作る事を目指していますが、最近は見た目が派手な、目で楽しむお菓子がもてはやされる傾向がありますね。
髙橋 私はモロゾフに入社し、開発に携わって17年になります。心掛けているのは、「ベーシックなものを作っていこう」という姿勢です。ただ、安藤さんがおっしゃったように、最近は見た目が派手なお菓子が喜ばれる傾向がありますよね。いかに見た目に振り回されず、根本をおろそかにすることなくアレンジするかを心掛けています。
坊 私は中学校卒業後、フランス料理をやりたいと思って調理師学校に入りました。卒業後はレストランに就職してデザートを担当し、そのうち料理よりもお菓子に興味がわくようになりました。そしていくつかのお菓子屋さんで働いた後、22歳の時に本場のお菓子を学ぶためにフランスに渡りました。フランスで教えてもらったことで一番印象に残っているのはこんな言葉です。「頭の中で味が描けるパティシエになりなさい」。頭の中で味をイメージできるようになるには、ただお菓子作りばかりやっていてもダメなんですね。しっかり働くだけでなく、遊んだり飲んだり食べたりすることで、自分が理想とする味が分かってくるんです。
小山 僕はひとつのケーキ屋で16年修行してから独立しました。製造のほか半分は営業や開発などの部署も任せられ、少し変わった経歴を持っています。坊さんがおっしゃったように、これからのパティシエは美味しいお菓子を作る技術をしっかり身に付けることはもちろん大切ですが、商売の形態やパッケージなど多岐にわたりプロデュースする能力が必要です。現在の日本のスイーツ業界は競争が激化傾向にあります。ですから、マンパワーを磨きあげるということが重要になってきます。パティシエを志して修行を始めるのは早い人で19歳くらいというのが一般的ですが、もっと早い時期から感覚や自立心を磨く教育が必要になってきています。
安藤 ドイツ、フランスなどでは中学になると義務教育を受けながら専門職の学校にも通って働くという徒弟制度が今もあります。良い人材を育てるにはそういった制度も必要ですよね。
小山 最近は小学生くらいのお子さんがお母さんと一緒に、「ケーキ屋になりたいのですが、どうしたら良いですか」と聞きに来られることも多くなりましたが、「子供のうちは、しっかり遊んでいろいろな経験をすることが大事」と答えるようにしています。パティシエ志望の高校生にも「大学に行けるなら行った方がよい」といつもアドバイスします。経験したさまざまなことが、パティシエの世界に入って役立つと思うんです。
高橋 当社は4年制大学出身者が多い傾向があります。新入社員にこの仕事の良さをどう伝えていったら良いか?というのが今の私の課題ですね。入ってくる子はみんな頭が良いのですけど、考えた事と実際にやった事のギャップが大きいと「こんなはずじゃなかった」と思ってしまうみたいです。これからお菓子の世界に入る人には食べることから楽しんでもらいたいし、「味覚の視野」を広げてもらいたいですね。
津曲 私が10歳の時に父が独立しツマガリをオープンしました。店が忙しかったので、私も洗い物などを手伝うようになりました。小学校の時には佐野さんのお店に修行に行かせてもらったりもしましたね。中学に上がる時に「厳しいのが嫌だから、中学、高校の間は働きたくない」と言うと父は許してくれて、「その代わりに部活で体を鍛えろ」と。それで柔道で体を鍛えた事が、今にとても役に立っています。高校を卒業して専門学校に2年行ったのですが、「しっかり遊ぼう」と思い、その通りの生活を送りました。(笑)。専門学校卒業後は、できるだけ厳しそうな会社を選んで就職しました。柔道での経験で、先に苦しんでおけば後が楽になるだろうという思いがあったんです。しかし苦しすぎて逃げ出そうかと思うようなこともありました。ツマガリに帰ってきて約7年が経ちましたが、今は人材の育成を考えています。子供の頃からお菓子屋で働くのは辛くて嫌だと思う事もあったのですが、今思えば洋菓子業界の情報を良く知っていたので、将来を見定めるのにとても役に立ちましたね。
大鶴 私は昔から「人に喜んでもらえる仕事がしたい」と思っていたので、人に感動してもらえる洋菓子に魅力を感じ、この世界に入りました。私はホテルオークラ神戸で、製菓長をさせて頂いておりまして、お料理の最後に召し上がっていただくデザートを作っています。いつも料理長から「デザートは、最後に召し上がるものだから、ダメだったらお客さんががっかりして帰られてしまう」と言われています。メイン料理を邪魔せずにデザートとしても存在感を示すメニューの組み立てを目指しています。後輩には「自分を信じて、ドンドン上手くなって僕を追い抜いて欲しい」といつも言っていますし、「感謝・反省・努力」が仕事の3つの柱だということも指導しています。
佐野 最近の若いパティシエ見習いの中には、長時間労働が耐えられなくて辞めたり、労働基準監督署に駆け込んだりしたなどいろんな話を聞きます。
比屋根 僕らが洋菓子の世界に入った頃は、上司や先輩から配合なんて教えてもらえなかった。工場長の自宅にお酒を持って毎日通いつめて、ようやく配合を教えてもらったものです。材料は全て元から作りました。今のように既製品のフォンダンなどないから、全て自分たちで作らないといけませんでした。夏の暇な時期に夏みかんを買ってきてジュースにしたり、ジャムやピールを作ったりしてきました。お菓子を作るだけでなく、先輩が作ったお菓子は後輩の私たちが全て売らないと、売れ残った分は給料から引かれたんです。1年365日休みなく、作る苦労、学ぶ苦労、売る苦労、の連続でした。こういった血のにじむような努力をしないと、自分の身に付かないんです。今の時代はそんな経験をしたくてもできませんから、逆にかわいそうですね。良いお菓子を作るには、にじみ出る感性、人間性が必要なんです。会社経営や社員を育てる事も同じです。そういった精神の有無が、22世紀の協会が発展するかどうかに関わると思います。今はちょっと努力したら、さっと成功することができます。しかし、それが明日に続く保証はありません。ベルギーのヴィタメール社では、今でも80年前に漬けたフルーツを使っているそうです。これから先、22世紀に向けてさらに当協会を発展させるためには80年フルーツを漬けるように、人材育成も長期的に種をまくということが必要なのではないでしょうか。
坊 私がこの世界に入った時と比べ、今ではフランスも日本も技術の差はないです。日本の若手パティシエがフランスに行く際に、どのように学べば良いか、その橋渡し的な役割をしていきたいですね。僕がヨーロッパで学んでよかったのは、今でもアプリコットを500㎏とか仕入れて、それを使ったお菓子を考える、といったことです。ナパージュ、フォンダンなどもフランスでは普通にはじめから作っていました。
安藤 会社が大きくなると一人あたりの生産性などを追求しはじめ、次第に既製品を使うようになりました。ところがそれでは技術者が育たないので、最近になってまた一から材料を作るようになりました。
比屋根 イギリスの製菓学校などに行ってびっくりするのは、みんな13歳くらいから入学するんですよね。スポーツと一緒で、理屈ではなく体でお菓子作りを覚える。頭で考えるといい物は作れない。日本も国がそういった事に力を入れていけば、もっと良くなると思います。
安藤 日本ではお菓子の技能検定が、意味をなしていませんね。ヨーロッパでは資格を持っている有名パティシエは、大学教授並みの地位と給料を得る事が出来ます。国がそれ認めることで、文化を大事にしているんですね。
比屋根 ベルギーにいくと、音楽、料理など12・3歳からその道に入って、専門家について学んでいますよね。
小山 お菓子屋さんには職人、販売員などいろいろな役割の方々が存在しますが、共通して大切な事は「人が喜ぶ企画をする」ということです。心から「人が喜ぶ顔を見たい」企画マンを育てたいですね。「最近の若者は…」という意見もあると思いますが、迎え入れる我々も一年間しっかり成長する。人が続かないのは迎え入れる側にも問題があると思います。
大鶴 ホテルでは個人店と比べると仕事外の時間が多いので、仕事以外での経験の全てをお菓子作りに活かすように指導しています。
佐野 お菓子屋は大変な仕事だと言われますが、世界に通用し、世界のどこでも働けるとても楽しい仕事だと思います。その魅力を若い人に伝えたいですよね。
比屋根 今の若者は良いものも持っているんですよ。彼らには愛情をもって接する事が大切ですよね。よい仕事をしたらほめる。正すべきところは厳しく指摘する。独立したら、生涯面倒をみて、愛し、夢を語り合う、そんな関係でありたいです。そして、僕たちは夢と感動を与える仕事をしているのですから、まずは自分たちが喜びを感じてウキウキして夢を語り合いながらいきましょう。