2月号
神戸鉄人伝(こうべくろがねびとでん) 芸術家女星編 第25回
剪画・文
とみさわかよの
兵庫県日本画家連盟理事長
山田 美耶子さん
ハイカラ神戸の地にも、日本画は根付いています。2年ごとに行われている神戸ビエンナーレの会場を、兵庫県日本画家連盟の皆さんの作品が飾っているのを、ご覧になった方もあることでしょう。そのリーダーの山田美耶子さんは、様々な画材や技法が乱立する現代にあって、古典的な日本画の手法を伝えることに重きを置く作家です。「基本はきっちり教えます。でも生徒の絵に、手を入れたりしませんよ。必ず自力で仕上げてもらいます」と、温厚なお人柄とは一味違う、かなり厳しい指導法ですが、そんな山田さんを慕う人たちが後を絶ちません。山田さんに、日本画への想いを語っていただきました。
―日本画の道に進まれたのはなぜですか?
もともと小さい時から絵が好きで、母によると、幼稚園でほかの子がお絵描き帳1冊描く間に、私は5冊描いてたそうです。中学の美術部の先生に「美術大学へ行け」と言われ、京都の大学へ進学しました。勧められるままに日本画を選考しましたが、周囲は皆絵の上手い人、ほとんどが男子で、「なんで女子がこんなとこへ」と言われました。「同じ成績なら、男子を採る。女子は結婚したり子どもを産んだりしたら、絵をやめるから。税金使って教育するからには、続く人材でないと」と、今なら問題になるような発言が、まかり通っていたんですよ。でも絵描きになりたくて進んだ道ですから、なんとかがんばりました。
―様々な画材を多用する現代、日本画・洋画の境は曖昧になっていますね。そのあたりはどのようにお考えでしょうか。
もともと「日本画」という言葉は、明治に上陸した「西洋画」に対して付けられた呼称です。これだけたくさんの画材や道具が氾濫している時代に、岩絵具か油絵具かと、使用する絵具だけを問題視しても始まらないと思いますよ。伝統的な日本画は、膠(にかわ)で絵の具を固定するのですが、今ならボンドで定着させることもできる。ボンドを使うことを、否定はしません。美術は、いろんなものがあっていい。ただ私自身は、世界でも珍しい、正統な日本画の技法を、後世につないで行きたいと願っています。画材を正しく使いこなす技術も含めて、奈良時代から続いてきた、日本文化ですからね。
―伝統的な日本画の表現は、どういった点が洋画と違うのでしょう。
日本画の表現の要は、「線」でしょう。太い線と細い線、濃い線と薄い線、速く引く線とゆっくり引く線、それでいろいろなものを表現するんです。学生時代に矢車草を描く時、榊原紫峰先生に「この茎は、水を吸い上げて、この花を咲かせているんだよ」と言われました。そういう茎を、わずか二本の「線」で表わさないといけない。これも学生時代の話ですが、卵をデッサンしていた時、立体感を出そうと描き込んでいたら、先生から「君、卵は白いよ」と言われました。洋画は陰影で表現するけど、日本画は影無しで量感を出すわけですね。古典を踏まえて描く日本画って、とても奥深いんですよ。
―初期の頃は、やはり花鳥風月や草木図、あるいは美人画などを?
それが若い頃は、岩絵具をたっぷり乗せた、等身大くらいのヌードを描いていたんですよ。まあ、当時の流行で。もう展覧会に、上村松園のような絵を出品しても、評価されない時代に入っていました。「これが日本画なの?」と疑問に思いながらも、出品するからには入選したいし。でも先輩から「我慢してこの路線で行けば、いずれ好きな絵が描けるようになるから」と言われて、「それはない」と確信しました。自分は時流から離れて、描きたいものを描こうと決めたんです。その頃に教員の職を紹介されて、神戸へ戻りました。
―神戸で活動する決意をなさったわけですが、当時は絵を書くなら京都でないと、という空気があったのでは?
神戸へ戻る時には、「なんで京都で頑張らないんや」とさんざん言われました。あの頃は、京都は文化都市、神戸は文化面では田舎、と思われていましたから…。神戸へ戻ってからは、教員の仕事も熱心にやりました。でも、絵描きになるためにがんばってきたのにこれではいけない、と退職して、今は作家活動と日本画の指導に専念しています。あのまま京都にいたら、今の絵に転向できなかったかもしれない。神戸に帰って来て、本当によかったと思います。
―今日まで描き続けてこられて、作家として、そして女性として、夢かなえた人生と言えますか?
最初に言ったような「男尊女卑」に反発してやってきたところもありますが、絵を続ける女性は、結果として少数でした。私はその少数派なんですが、子育て中はもちろん大変でしたよ。私たち世代は皆、それを超えて来ているんです。育児に追われている頃、恩師から「今の自分を保つ努力をしなさい、上へ行こうとするな」と諭されたのを覚えています。でも描く時間が不足して、デッサン力が落ちると、すぐわかりますからね、悔しいじゃないですか。絵描きは、まず自分の絵を描けないといけませんから、永遠に努力が必要です。だけど、絵の世界ーー表現する世界が好きだから、しんどいとは思いません。しっかりと自分の絵を描いて、そして伝統的な技術も含め、日本画を継いでくれる人を育てたいと思っています。
(2011年12月27日取材)
とみさわ かよの
神戸市出身・在住。剪画作家。石田良介日本剪画協会会長に師事。
神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。
日本剪画協会会員・認定講師。神戸芸術文化会議会員。