1月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から ㊹ 井伏鱒二の筆跡
今村 欣史
書 ・ 六車明峰
出久根達郎さんの古いエッセイ集を読んでいる。
『残りのひとくち』(中央公論社・一九九七年刊)という本。これに「井伏氏の新しい顔」というのがあって興味深い。かいつまんでいうとこんな話。
未知の読者から井伏鱒二の筆跡鑑定を依頼される。出久根さんが、である。古本屋で求めた井伏の古い著書にペン字の署名が入っていたという。本は安かった。それのコピーが送られてきて、本物かどうか見極めてほしいと。署名が本物ならン万円は確実にする、とは出久根さんの見立て。えっ?そうなのかとわたしは思った。そんなに高いの?と。しかし誰かのいたずら書きだとすると安くて当然。だが、もしかしたら本屋が署名に気づかずに売ったのか?とも考えられる。
出久根さんは入手の次第を聞かされたためにかえって虚心に見ることができなくなった。その人の本音は「本物」と言って欲しいのだ、と推量した。
コピーの署名は「井伏鱒二」と四文字のみ。無造作なペン書きである。出久根さんは最初、「違うな」と思う。その根拠だが、実は出久根さん、若い日に井伏から直接もらった葉書を所持しておられるのだ。17歳の時だったというから昭和36年。それと見比べてみる。それは、
《太字の万年筆で記され、丸みを帯びた文字である。ブルーブラックのインクをポタリと垂らしたような、そんな文字である。以前、古書市場で目にした原稿も、これと同じ書体であった。》
因みに出久根さんは小説家であるが、元は古書店主でもあった。
《しかし一方、これまた昔に、井伏氏ファンのコレクターに見せられた、井伏氏デビューの頃の書翰は、付けペンで書かれたもので、丸みのない、急いで書いたような書体だった。依頼された筆跡は、記憶のそちらに酷似している。妙な言い方だが、本物のようであるし、本物のようでない。つまり、井伏氏のようだが、違う井伏氏のような気もするのである。井伏氏である、とも、ないとも断定するには、ためらわれる。しようがないので、私は、正直な所感を返事した。五分五分であると、言えばスッキリするのだが、そっけない言い方のような気がして、井伏氏の右と左側の顔という風に感じた、と書き送った。いずれにしろ、井伏氏には違いないが、井伏氏に間違いない、と断じるのとは微妙にニュアンスが異なるつもりなのである。》
しかし出久根さん、親切に応じられたものだ。
このあと、《井伏氏ほど自作に手を入れた作家はいない。》と、井伏の作家としての姿勢に話が及び、
《井伏氏は生涯に、実に膨大な数の作品を残された。雑誌に発表されたきり、単行本に収録しなかった小説が、驚くばかりある。私たちがこれまでの全集で読んだのは、おそらく全体の半分、いや三分の一程度だろう。今度ようやく、ホントの意味の全集が出るわけである。私たちの全く知らない井伏氏の顔を、見られるわけだ。さあ、どのような姿の井伏さんが、どのような語り口で、どのような物語を、私たちに語ってくれるのだろう。井伏鱒二の「新作」。考えただけで、ゾクゾク、と待ち遠しい。》
と結ばれる。出久根さんはこれが書きたかったのですね。
さてそこでだ。井伏の直筆書簡、実はわたしも持っている。葉書だが、随分古いもの。消印は昭和30年8月22日。わたしは12歳。まだ料金が五円の頃だ。
六十数年も昔のものだからすっかり変色している。大きさも今のものより一回り小さい。
いえ、わたしが直接頂いたものではありません。
ある人のものが、宮崎修二朗翁を経てわたしの手に。
筆跡だが、出久根さんは、ご自分がお持ちのものは、「丸みを帯びた、インクをポタリと垂らしたような」と言っておられる。そして依頼のものは、「丸みのない、急いで書いたような」と。
ところで、わたしのものの文面。どうやら若い人に宛てたもののようだ。
貴翰拝見しました。
暑さの砌、御用心のほど。
勉強なさい。
草〃不一
八月廿一日
井伏鱒二
インクがポタリと垂れたような、と言われてみればそのような、丸みを帯びた字であることはたしかだ。
「勉強なさい」が印象的。
■六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。
■今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)ほか。