10月号
語るように歌う。歌うように語る。そんなシャンソンに憧れて。|歌手 クミコ さん
日本初のシャンソン喫茶として語り継がれる『銀巴里』(1951-1990)。その舞台で歌手デビューし、その舞台で愛された名曲を歌い続けるクミコさんに、お話を伺いました。
クミコさんが惹かれたシャンソンの魅力とは…。
『銀巴里』とは
昭和25年。まだ混沌とした日本で始まりました。銀座は憧れの街で、その銀座にパリの名前をくっつけた、憧れが詰まっているお店でした。
階段を下りていくと、壁にはパリの街が描かれ、まるでパリの街角のような作り。カルテットがいて、歌い手さんがいて、お客さんは、満杯で100人くらい入れる店にポツポツ。シンプルなお店でね、新人のギャラは入場料と同じにする決まりがあったんです。誰でも払えるお金でドリンク付き、何時間でもいていいの。
ふらりと入っても、いつだっていい音楽が聴ける。文化を保つ、広がることを意識したお店だったなと思います。
銀巴里の歌い手さんたち
銀巴里はいつも、知らないシャンソンがいっぱい流れていました。聴きたくたって、今のようにすぐに聴くことはできない時代。歌い手たちはレコードを取り寄せたり、他にもシャンソンを聴かせるお店がありましたから、そこでお運びのアルバイトしながら聴いたりして、必死に覚えて、必死に勉強していました。本当にシャンソンが好きで、そして銀巴里で歌いたくてオーディションを受けるんです。
夢の舞台ですよね。そう、いわゆる“舞台”はないの。お客さんとの段差がない。そこは怖くもありました。
憧れた歌手金子由香利さん
金子さんの歌を聴いた時は、驚きというかショックというか。それまで聴いていた圧倒されるようなシャンソンとは違って、さりげない、まるでポエムのような、お芝居を見ているような…。大人の恋の歌。泣けちゃった。
声量はないけれど言葉と言葉の間に余白があって、歌の中にお客さんが入っていける余白というか間を作る。ということなのかな、と後になって気づきましたけれど、そういう金子さんの芸の力に惹かれました。語るように歌う、歌うように語るシャンソンの奥深さを知り、大きな影響を受けました。
銀巴里の歌『時は過ぎてゆく』
「眠ってる間に 夢見てる間に 時は流れ 過ぎてゆく」そんな感覚って若い頃はわからなかった。ようやくわかってきたんですよね。原題は「もう遅すぎる」。時間は巻き戻せないから。だから身にしみてわかる。
気分は暗くはないんです。「それはそれでいいじゃない。巻き戻すのも嫌でしょ」って。時に対しての種々雑多な気持ちが、歌に込められる年齢になったということでしょうね。
銀巴里の歌『ヨイトマケの唄』
美輪明宏さんが作った、日本産の最高のシャンソンです。歌うことは畏れ多いとも思いましたが、歌うことで教えていただけることもあるかもしれないと思いました。
昭和初期に生きた人たち、町も職業も見えるドキュメンタリーみたいな歌。今、令和の時代に伝わるのか、と考えたこともありましたけれど、余計な心配でした。人間の愛はいつの時代も変わりはないと、この歌が教えてくれました。
銀巴里の歌『わが麗しき恋物語』
「人生ってなんて愚かなものなの」。その歌詞の意味することを、最近特に切実に感じています。父と母と自分の生活に、今、てんてこまい。私はどうしてもっとちょっと大きな愛を持てないんだろう。愛の歌を歌っているのに。こんなに長く生きてきたのに。
この歌は原詞とは全く違う新しい物語を、詩人の覚和歌子さんが書いてくれました。ジブリ作品『いつも何度でも』を作った方です。
愛に奥行きがあることはわりとわかると思うんです。愚かの奥行きを知るのは年齢を重ねたからこそかもしれません。
銀巴里の歌『幽霊』
この曲からはなんか強い力を感じて、高野圭吾さんの日本語詞の世界観も好きで、コンサートでは必ず歌っています。“潰れたトマト”“萎れたキャベツ”が、歌の中で深い意味をもつことになるとはね…。
タイトルは『幽霊』ですけれど、なんか小洒落ていて、「どっこい生きてるぞ」と元気になれるんです。こういうことを重々しくならずに歌にできるのもシャンソンらしさでしょうね。
神戸でのコンサート
すごく若かった20代の頃、神戸には親しい人がいてよく通ったんです。北野の坂道、異人館のある街並み、ジャズが聴けるお店がいくつもあって、人の密度があった。なんて素敵な街なんだろうと思っていました。神戸に来ると、今でも北野を歩きたくなります。
思い出のある神戸なので、震災の朝はとてもショックでした。「昨日」と「今日」は繋がってはいないのだと。そして「明日」も同じく繋がってはいないのだと思い知らされました。人生観みたいになるけれど、何一つ確かなものなんてない、「今」がどれだけ尊いものか、あの朝、思い知ることになりました。
混迷の時代に聴いてほしいと選んだ歌を、神戸で歌うことになりました。素晴らしい機会をいただいたと思ってます。まだまだ、もっともっとがんばらないといけませんね。
シャンソンを歌い続けていま、思うこと
若さが武器にならないジャンルを選んでいたことは幸せでした。歌い始めた頃は意識してはいませんでしたけれど。歳を重ねることで得られるものがある。歳を重ねたから歌に込めたい思いがある。歳をとって声が出なくなっても、そこに人生が見え隠れしたら、その歌は唯一無二のものになる。
だてに生きてきたわけじゃないもの。しんどかったことも、めんどくさかったことも表現したい。もしかしたら歳を取ることが、最高の手段と言えるかもしれません。老いていくことをそんなふうに肯定しています(笑)
それと、シャンソンってお酒を恨み酒にしない。落ち込もうと失恋しようと、お酒に逃げない。あくまでも、ワインは愉しむために。そこ、好きなんです(笑)
撮影協力:オステリアカリメロ(神戸市)