8月号
⊘ 物語が始まる ⊘THE STORY BEGINS – vol.21 五十嵐 匠さん
新作の小説や映画に新譜…。これら創作物が、漫然とこの世に生まれることはない。いずれも創作者たちが大切に温め蓄えてきたアイデアや知識を駆使し、紡ぎ出された想像力の結晶だ。「新たな物語が始まる瞬間を見てみたい」。そんな好奇心の赴くままに創作秘話を聞きにゆこう。第21回は映画監督の五十嵐匠さん。
時間を費やした意味はある…
コロナ禍に挑んだ映画「島守の塔」が問うメッセージ
最長の製作時間
「一本の映画製作にこんなに長い時間をかけたことはない。でも、無駄な時間はなかった。キャストもスタッフも、私にとっても…。時間を費やしただけの成果、手ごたえを実感することができましたから」
こう自信を込め、五十嵐匠監督が語る渾身の新作映画「島守の塔」が全国で順次公開中だ。
製作時間がかかったことには理由がある。
コロナ禍により撮影が一度、延期されたからだ。
2022年夏の公開を目指し、2020年3月、沖縄県うるま市でクランクイン(撮影開始)した。ところが…。
「撮影4日目に休止することを決めました。苦渋の決断でしたが…」
コロナ禍が急速に広がり始めていたのだ。
「キャスト、スタッフには、必ず撮影を再開するからそれまで待っていてほしい。そう伝えました」
五十嵐監督はこの言葉を守り、約1年8ヶ月後、昨年11月に撮影を再開し、翌12月、沖縄県名護市でクランクアップ(撮影終了)した。
「何とか、すべてのシーンを撮り終えることができました。絶対に撮影は再開する覚悟でしたが、コロナはなかなか収束しないし、実は内心は毎日、とても不安でしたよ」と打ち明けた。
戦争映画ではなく…
沖縄県糸満市にある平和祈念公園に、県職員や有志らが建立した「島守之塔」と命名された慰霊塔がある。
1945年、第二次世界大戦末期。沖縄に上陸した米軍など連合国軍の包囲網から県民を守ろうと、その先頭に立って塹壕を転戦。しかし、連合軍に完全に包囲されたことが分かると、最後に「絶対生きのびるんや…」と言葉を残し、塹壕を出た後、消息を絶った戦中最後の沖縄県知事、島田叡。そして島田と最後まで行動をともにした沖縄県警警察部長、荒井退造ら県職員を祀った塔だ…。
映画のタイトルは、この「島守の塔」に決めた。
映画の舞台は、県民の4人に1人が亡くなった激戦地、沖縄。戦争末期、本土から二人の内務官僚が沖縄県に着任する。一人は神戸市出身で学生野球の名プレーヤーとしても名を馳せた内務省のキャリア、島田知事(萩原聖人)。もう一人は栃木県出身で、巡査となった後、苦学し内務省に入り警察官僚となった荒井警察部長(村上淳)。二人は県民に「玉砕」を強制する軍部に抵抗し、最後まで県民の命を守り抜こうと奮闘する…。
なぜ、今作を撮ることに決めたのか?
「あるプロデューサーから、興味深い男がいる。彼を主人公に映画を撮ってみないか…。そう勧められたのが島田叡さんでした」
当時、島田について知らなかったというが、調べるうちに次第に興味が沸きあがってきた。
「すぐに沖縄へ飛びました。島守之塔、読谷のチビチリガマなどを訪れ、島田さんが亡くなるまでの行程を辿りました。それまでも沖縄は好きでよく行っていたのですが、観光地ではない沖縄を巡ることになりました」
さらに、島田が育った神戸も訪れた。
「島田の母校、県立兵庫高校がある長田区、開業医の生家のあった須磨区など島田さんゆかりの地を訪ねました。彼が何を考え、どう成長したのか、その背景に思いを馳せながら…。須磨海岸で白い砂を手にしたとき、沖縄の海岸の砂の色と同じことに気づきました」
次に荒井の故郷、栃木県を訪ねた。
「地元の新聞社や親戚の方のお宅にお邪魔し、荒井さんの話を聞くことができました」
島田叡と荒井退造。
二人の故郷を訪ね歩くなかで、「なぜ、この二人が広く日本で知られていないのだろうか? この二人の人生を映画で描いてみたい。戦争映画でもなく、偉人伝でもなく…」。そう心の中で決意していた。
映画化の準備を始め、二人のゆかりの地元企業をはじめ、市民の賛同者、島田の故郷の神戸新聞社、荒井の故郷の下野新聞社、沖縄の沖縄タイムズ、琉球新報などの協力も取り付けていった。毎日新聞が初めて映画を配給することも決まった。
撮影再開への執念
映画の撮影が休止されている期間中、監督として何をしていたのだろうか。
「ひたすら脚本を書き直していましたよ。延期によって製作費をだいぶ使ってしまっていたため、どうやったらシナリオの中で人間ドラマとして深く描くことができるのか、悩みに悩みました。また、コロナに対応するため、撮影の規模と仕方を変えました」
エキストラの人数やコロナ対策、ロケ地選びやスタッフ、キャストのスケジュール調整など、課題は山積し、試行錯誤は続いた。
「最終的に計16稿まで脚本を書き直すことになりました」と苦闘の様子を明かすが、時間をかけながら細部にまで魂を込めた脚本に仕上げた。
劇中の印象的な場面に往年の名女優、香川京子が登場する。
沖縄戦で看護婦として最前線に立ち続けた「ひめゆり学徒隊」を描いた戦争映画「ひめゆりの塔」(1953年)の中で、看護婦の一人を演じたのが香川さんだった。
「沖縄戦を映画で撮るのですから、〝ひめゆり〟を演じた香川さんには、何としても出演してほしかったんです」。そんな五十嵐監督からの熱いラブコールに、香川さんは快く出演を了承してくれた。
「香川さんは『ひめゆりの塔』に出演以来、今までずっと沖縄の人たちと交流を深め、連絡を取り合っているんです。だから、『私が出なければね』と決意し、撮影のために沖縄へ駆け付けてくれました」
ドキュメンタリーで修業
青森県で生まれ、地元の県立弘前高校から上京し立教大学へ。
大学では自主製作映画にのめり込み、卒業後は映像スタッフとしてテレビ番組を制作していた。
制作していたのは1959年から90年まで約30年続いた人気番組「兼高かおる世界の旅」だ。
「私が参加していたのは長寿番組の最後の頃。兼高さんが監督兼通訳を務め、後はカメラマンと助手の私。撮影スタッフは実はこの3人だけだったんですよ」と苦笑した。
3人で海外を旅しながら、ドキュメンタリ―の制作手法を身につけ、現場で鍛えられながら映画の世界へ。
ドキュメンタリー映画「SAWADA 青森からベトナムへ ピュリッツァー賞カメラマン 沢田教一の生と死」(1996年)、浅野忠信が報道カメラマン、一ノ瀬泰造を演じた「地雷を踏んだらサヨウナラ」(1999年)など、これまでベトナム戦争をテーマにした映画も撮ってきた。
かつて取材した際、五十嵐監督は「沢田、一ノ瀬という人間像に迫りたかったから」と映画を撮った理由を語っていた。だから、新作の「島守の塔」も、「決して戦争映画でも、偉人伝の映画でもないのです」と強調する。
一方、ソ連によるウクライナ侵攻のニュース映像などを見ていて、今、こう考えるようにもなったという。
「ウクライナの製鉄所の地下で戦いながら生活する市民の姿が、沖縄戦のときのガマ(塹壕)の中で戦いながら生きていた沖縄県民の姿と重なって見えた…」と。
島田、荒井が命懸けで沖縄県民を守ろうと生き抜いた人生を、現代を代表する実力派俳優の萩原と村上が、まるで二人が乗り移ったかのような鬼気迫る臨場感で熱演する。
「撮影前、二人は沖縄を歩きながら、島田さんと荒井さんが、どう最期の時を過ごしたのかについて、ともに思いを馳せていました。撮影延期の間も、二人はずっと島田さん、荒井さんのことを考えてくれていたようです」
満足げに語る五十嵐監督。その安堵に満ちた笑顔が、完成までの重圧がいかに大きかったかを物語るようだった。
(戸津井康之)
五十嵐 匠(いがらし しょう)
1958年(昭和33年)9月16日 青森市に生まれる。弘前高校、立教大学文学部卒。大学時代シナリオセンターに通う。岩波映画・四宮鉄男監督に師事、助監督として修業する。以後、TBS「兼高かおる世界の旅」制作のため、アラスカをはじめ、世界各国を回る。
〈監督作品〉
1996年、長編ドキュメンタリー映画「SAWADA」。1999年、映画「地雷を踏んだらサヨウナラ」。2001年、劇映画「みすゞ」。2003年、劇映画「HAZAN」。2005年、劇映画「アダン」。2006年、映画「長州ファイブ」。2009年、日本初の陸軍少将桐野利秋の生と死を描く劇映画「半次郎」。2014年、直木賞作家重松清原作作品劇映画「十字架」。2018年、映画「二宮金次郎」。2022年、映画「島守の塔」。