5月号
⊘ 物語が始まる ⊘THE STORY BEGINS – vol.18 平山 秀幸さん
新作の小説や映画に新譜…。これら創作物が、漫然とこの世に生まれることはない。いずれも創作者たちが大切に温め蓄えてきたアイデアや知識を駆使し、紡ぎ出された想像力の結晶だ。「新たな物語が始まる瞬間を見てみたい」。そんな好奇心の赴くままに創作秘話を聞きにゆこう。第18回は映画監督の平山秀幸さん。
創作で大切なのは〝種を撒き続けること〟
いつか必ず実る…と信じて
奇跡は起こる
「コロナ禍や、ロシアによるウクライナ侵攻…。周りを見れば嫌なことばかりのこんな時代だからこそ、〝ポワッ〟とした明るく、ほのぼのとした映画を撮りたかったんです」
現在、全国で公開中の新作「ツユクサ」は、「見ている瞬間だけでも、とにかく明るい気分になってほしい…」と、平山監督が願いを込めて完成させたヒューマンドラマだ。
だが、ただ明るいばかり―ではない。
「結局、構想から完成までに10年もかかりました」と明かすように、〝難産〟の末にこの世に生み出された作品からは、生きることの厳しさ、つらさ、そして、これらの困難を乗り超えた先に、ようやく見えてくる希望や未来が描かれている。
海に面した田舎町が舞台。一人暮らしの芙美(小林聡美)は断酒会の帰り道。車に乗って海岸線を走っていると、突然、隕石が落ちてくる…。町へ引っ越してきた吾郎(松重豊)との〝運命的な出会い〟など、この日を境に、芙美の周りで奇跡が起き始める。
「実は脚本の構想は10年以上も前に、すでにあったものなんです」
平山監督はそう打ち明けると、こう続けた。
「隕石に遭遇する確率は、1億分の1といわれています。この事実を聞いたとき、実は〝意外と結構、高い確率だな〟と驚いたんです。もっと、低い確率だと想像していたから。これなら、身近でそんな人がいてもおかしくないでしょう」と苦笑した。
大林宜彦監督の40年前の名作「転校生」(1982年)で、16歳のときに主演デビューを果たした小林を「芙美のイメージにぴったりだと感じ、芙美役をお願いしました」と言う。
「彼女は年を重ねても変わらぬ〝永遠の少女〟のよう。10年前も今も、小林さんは私が思い描く芙美像のまま。逆に10年もかかったから、よかったのかもしれませんね」
3年前にメガホンを取った話題作「閉鎖病棟―それぞれの朝―」では、厳格な看護師長役に小林を指名している。ただ、このときは、「絶対に患者に優しくしないで下さい」と役作りを依頼している。今作とは真逆で、彼女の〝魅力的な笑顔〟を封印させたのだ。
芙美と運命的な出会いを果たす吾郎を演じるのは日本を代表する名バイプレーヤー(脇役)の松重豊。
「芙美との恋が突然、始まる吾郎…。自然体で吾郎を演じることができる俳優は、松重さんしか思い浮かばなかった」と平山監督は配役の理由を語る。
この指名に対し、松重は「俳優としても実生活でも恋愛とは無縁という自覚を持っていたが、新たな恋路に旅立つ期待と不安を抱きつつ喜んで引き受けた」と打ち明ける。
監督、俳優として旧知の仲。2004年、グリコ森永事件をモデルに描いたサスペンス映画「レディ・ジョーカー」で監督を務めた際、松重を配役して以来、20年近く信頼関係を築いてきた。
「長年、映画監督を続けてきたからこそ、この配役、スタッフで撮ることができた作品と言えるかもしれませんね」と、平山監督はしみじみと語った。
構想10年でもあきらめない
1950年、洞海湾に面した港町。福岡県北九州市戸畑で生まれ、育った。地元の県立戸畑高校を卒業後、上京し、日本大学芸術学部放送学科へ進学する。
「映画学科ではなかったのですか?」と聞くと、「高校時代、深夜ラジオのディスクジョッキーに憧れていましてね」と笑った。
大学卒業後は、「大好きな音楽の仕事がしたい」と、東京の音楽関係の会社に就職するも、約2年で会社は潰れ、飛び込んだのが映画の世界だった。
「面接を受けて、初めて採用されたのが長谷川和彦監督のデビュー作の現場だったんです。いい意味でも悪い意味でも衝撃的な撮影現場で、この経験が今の監督としての人生につながっている。そう思います」
映画のタイトルは「青春の殺人者」(1976年)。その年の「キネマ旬報」ベスト・テンで1位に選ばれるなど話題を集めたが、「毎日、撮影は大変で…。今、思い出しても、めちゃくちゃな現場でした。その現場で私は一番下っ端だったんですから」と苦笑した。
その後も大森一樹、崔洋一、井筒和幸、藤田敏八、伊丹十三…と日本を代表する監督たちの助監督を務めながら、映画製作の技術を修得していった。
「〝映画が完成したら、3年間は反省するな〟。藤田監督から言われた言葉です。つまり、現場の指揮官である監督は、その作品について3年間は反省の弁を語るな、という教えです。これはずっと守ってきました」
監督による反省の言葉は、そのままスタッフやキャストに対する悪口になってしまうからだという。
「ただし、3年過ぎたら、監督も反省していいんです。たとえ、実名を挙げてもね…」と、おどけるような表情で語った。
売れない落語家を、TOKIOの国分太一が演じ、国内映画祭の賞レースを総なめにした「しゃべれども しゃべれども」(2007年)。時代小説家、藤沢周平の原作で、豊川悦司が屈強な侍を演じた「必死剣 鳥刺し」(2010年)。孤高のアルピニストを阿部寛、彼を追う山岳カメラマンを岡田准一が演じた「エヴェレスト 神々の山嶺」(2016)など様々なジャンルの大作を手掛け、監督として華々しいキャリアを築きあげてきた。
「映画監督として重要なこと?作品を撮ることを絶対にあきらめないことです。そのためには種を撒き続けていくこと―ですかね…」
この言葉には説得力がある。
新作の「ツユクサ」は構想から公開までに約10年を費やしている。「5、6回企画が挙がっては潰れています」。その前作にあたる、笑福亭鶴瓶、小松菜奈、そして小林が出演した「閉鎖病棟―それぞれの朝―」は構想から8年越しで映画公開にこぎつけている。
「脚本の第一稿を書き上げたのは映画が公開される8年前。『閉鎖病棟』は映画化の話など、まだ、まったくない中で温めていた企画でしたから…」
長年にわたり大作を撮り続けてきた重鎮ヒットメーカーでさえ、思うままに新作を撮ることができない厳しい業界だ。
「依然として映画界は苦しい。この状況は数十年前から何も変わってはいません。大作を撮ったからといって、監督が自由に新作を撮り続けることなどできませんから。ただ、種を撒き続けていれば、それが芽を出し、『閉鎖病棟』や新作の『ツユクサ』のように、いつか実る…。だから、絶対に作ることをあきらめてはだめなんです」
エネルギッシュな表情、力強いまなざしで語る。
「新作ですか? 準備していますよ。まだ話せませんが…」と言いながら、ヒントをこっそりと教えてくれた。
「今、撮りたいと考えているのは、明治時代の物語。ただし、立身出世で活躍するヒーローの物語ではありません。市井を生きた庶民の人生を描きたい…」
「ツユクサ」のエンドロールで流れてくる曲は、人気歌手で女優、政治家も務めた中山千夏が1969年に歌って大ヒットした「あなたの心に」。中山のデビュー・シングル曲だ。
かつて、音楽業界で働いていた平山監督ならではの感性が生きる劇伴も見どころ。映像とともに音楽も聞き漏らせない。
「映画において、音楽はとても重要。私のこだわりで、この曲に決めました」と邦画界の重鎮監督は〝永遠の少年〟のような笑顔で語った。
(戸津井康之)
平山秀幸(ひらやま・ひでゆき)
福岡県北九州市出身。日本大学芸術学部放送学科卒業後、映画業界に入り、「マリアの胃袋」(90)で監督デビュー。「ザ・中学教師」(92)で日本映画監督協会新人賞を受賞したのち、「学校の怪談」(95、96、99)シリーズが大ヒットし、「愛を乞うひと」(98)はモントリオール世界映画祭の国際批評家連盟賞、日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞するなど国内外で評価された。その他の代表作に、「ターン」(01)、「笑う蛙」「OUT」(ともに02)、「魔界転生」(03)、「レディ・ジョーカー」(04)、「しゃべれども しゃべれども」(07)、「エヴェレスト 神々の山嶺」(16)などがある。19年に公開された「閉鎖病棟―それぞれの朝―」で、日本アカデミー賞の優秀監督賞と優秀脚本賞を受賞した。