11月号
文学を生み出す、夙川
“美しさ” に包まれて 夙川千歳町の暮らし
阪神間には住吉川、芦屋川、夙川という三つの川があり、中でも夙川沿いには古くから多くの文化人が暮らし、小説の舞台としても度々登場する。その魅力を河内厚郎さんにお聞きした。
上流から下流まで変化に富む
山の上から一望できる夙川の沿道は美しく、井上靖原作の映画『猟銃』冒頭には松林とカトリック教会とお屋敷町が描かれています。異なる顔を持つのが夙川です。上流から下流まで阪急、JR、阪神の線路を境にして景色が変化に富んでいます。海の手の住宅街は陽光の明るさがあり、井上靖や宮本輝の小説によく描かれています。田辺聖子の『女の日時計』や谷崎潤一郎の『卍(まんじ)』の舞台も香櫨園辺りです。阪急の北側は緑が多くて木陰のイメージ。その中間の阪急とJRの間は、堤が小高くなって武庫川までの西宮市街を一望できます。ほんの3キロメートルはどの間にいろいろな景色が開け、作家たちが舞台に選びたくなるのでしょう。井上靖に「小説の冒頭はいつも夙川にしてしまう」と言わせたほどです。
戦前から豪邸だけではなく高級アパートもあった夙川辺りは住む人もバラエティーに富み、物語のネタにするモデルが豊富だったこともあります。『細雪』では四女が一人暮らしをするという設定で登場し、恋愛模様が生まれます。
景色の変化を楽しめる川沿いを散歩する人が多いのも夙川。湯川秀樹博士も歩いて気分転換をしていたそうです。
ジャーナリスト文士が選んで住む
阪神間には何故多くの文化人が住むのか?震災後、東京から移り住んで来たといわれているのも確かです。しかしそれ以前、阪神が開通した明治の終わりから大正にかけ、薄田泣菫(すすきだきゅうきん)、菊池幽芳(ゆうほう)をはじめ、作家や詩人が住み始めました。後の井上靖も含め、大阪で毎日新聞社に勤めていた彼らは住居を阪神間に求め、夙川を選びました。ジャーナリスト出身の文士が多く住み、大人の文学が成熟するという下地が既にできていたのです。地元の公立小中学校校歌の作詞者にその名前を見ても納得できます。
キネマ旬報の編集拠点が香櫨園にあり映画人も住み、小松左京が育ち、画家の須田剋太がアトリエを置き、歌舞伎役者も居を構え…、今でもいろいろなジャンルの著名人たちがこの夙川を選んで暮らしています。近代の文学や文化にこれほど関わり続けている川は全国でも珍しいのではないでしょうか。
河内 厚郎 さん
文化プロデューサー