7月号
Maestro YUTAKA SADOと兵庫芸術文化センター管弦楽団
佐渡裕さんが芸術監督を務める兵庫県立芸術文化センター(以下、芸文センター)には、専属の管弦楽団があります。通称PAC。オーケストラの普及活動も担い、全国各地で演奏をしています。メンバーは世界各地のオーディションで選ばれた若手奏者たち。アカデミーとしての顔をもち、在籍期間はプロフェッショナルとして技術をより高め、最長3年で各々が次の舞台へ旅立ちます。今回は佐渡さんとPACの「わくわくonlineオーケストラ教室」YouTube配信について、お話しを伺いました。
プロジェクトを起ち上げた経緯を教えてください。
コロナ禍、僕が心を痛めていたのは、学校で音楽の授業をするのが難しくなった、ということでした。みんなで歌を歌うこと、リコーダーを吹くことも難しくなりました。
そこでPACと一緒に、学校の先生を助けることができないか、と考えたのが始まりです。僕たちが作る動画を使って音楽の授業をしてほしい、と。そこで、数年前に芸文センターで行った定期演奏会の映像を元に、様々な解説、楽器紹介、それからオーケストラを分解して、詳しい曲の意味なども盛り込んで、なるべく皆さんにオーケストラの醍醐味を感じてもらおうと思いました。
2006年から中学1年生を芸文センターに招き「わくわくオーケストラ教室」を開催しておられますね。今回はそのYouTube版?
ちょっと違うんです。僕たちにとってもっと多くの意味を持つプロジェクトになりました。
芸文センターには、管弦楽団の他にもスタッフがいます。照明、音響、大道具。普段は舞台裏を支えてくれている人たちです。公演がキャンセルになり、彼等は本業ができなくなりました。これは何とかしなければいけない、と各セクションから人が集まって話し合いました。
リモートでも話し合いはしてきましたが、人と人が顔を合わせて話し合うって本当に大切なことだなぁと、心から思った、いい時間でした。昨年取り組んだ「HPACすみれの花咲く頃プロジェクト」(*1)もそこで生まれましたし、本来、劇場は夢を届ける場所。心の広場でなくてはいけない場所。しんどい時こそ、劇場から何かを届けなければいけない、と再確認することができました。そして、芸文センターから音楽を届けよう!と、それぞれのジャンルを越えての動画作成が始まりました。妖精パックのデザインもスタッフ。撮影もスタッフ。台本は僕。このプロジェクトは、中学1年生だけではなく、大人にも楽しんでもらえる内容の動画になりました。
今回、ベルリオーズ作「幻想交響曲」を選んだ理由は?
まずはシンプルに曲がいいこと。長い曲ですが、特に第4楽章、第5楽章はカッコイイですよ。それから、物語が魅力的で面白い。ちょっとドロドロしたところもある恋愛のお話ですが、実は、ベルリオーズ自身の失恋が元になっているんですよ。第4楽章では、とんでもない大事件が起こりますが、最後はハッピーエンド。そんな物語を楽器で表現しているわけです。
子どもには難しい曲のような気もしますが…。
子ども向けの音楽会って考え方は、やめた方がいいと思うんです。音楽に、子ども用も大人用もない。大人が聴いていいな、と思う曲は、子どももいいな、と思うんです。大人がカッコイイと思うものは、子どももそう思うでしょ。複雑なものを聴かせてもいいし、ちょっと大人の物語を伝えてもいい。そんな時は、少し大人が解説してあげたらいいんですよ。それは僕たち大人の役目。
スタジオジブリの映画ってそうですよね。宮崎駿さんは、子ども向けの映画を作っているわけじゃないはずです。テーマは難しいし、物語はとっても複雑。そして大人が夢中になって観ています。僕はそういうのが理想です。子どもに何かを伝える、ってそういうことなんじゃないかな。
僕は若い時から子どものための芸術鑑賞教室を行ってきましたが、スメタナ作「我が祖国」では川や森を通じて自然のこと、シベリウス作「フィンランディア」ではフィンランドという国の悲しい歴史、少しでも考える機会になればいいな、と思って解説をします。音楽を聞くことで何かを感じることができると思っています。
YouTubeやSNSを使って、日本だけでなく、世界に発信できますね。
「HPACすみれの花咲く頃プロジェクト」もそうですし、「サントリー1万人の第九」(*2)も多くの方がみてくださり、感激しました。この時代だからこそ得られた喜びです。でもね、数にしたら小さいけれど、もっと身近な場所でも大きな喜びがあったんですよ。
芸文センターの前に、昨年横断幕を張ったんです。「みなさんにホールでお会いできる日を心待ちにしています」って、僕からのメッセージを入れてね。同じくポスターも作って、商店街や商業施設に貼ってもらいました。いつも応援してくれている街の人たちに気持ちを伝えたかったから。歩いている人が、ふと目にする場所を選んで貼ってくれたんですね。その効果がすごくあって、「見たよ」「元気が出たよ」と、街の中で前向きな言葉を直接かけてもらったんです。それはもう本当に嬉しかったなぁ。人が人と顔を合わせる、直接言葉を交わすことが、人間にとってどれだけ大切なことか、思い知らされた出来事でした。
やはり「ホールで会える」ことが一番の願いですね。
もちろん!劇場に足を運んで、僕たちの演奏を劇場で聴いてほしいです。ミスをするかもしれない、他人の咳払いなんかも聞こえるかもしれないし、他にも雑音が入るかもしれません。でも多くの人とひとつの場所で、同じ音楽を聴くことは、何にも代えられない、素晴らしい体験だと思っています。YouTubeを見て、演奏会に行きたいな、と思ってもらえたら、僕はとっても幸せです。
*1 2020年春、PACメンバーが自宅で演奏した動画に合わせ、楽器、歌、ハミング、ダンスなどで参加した動画を投稿してもらい作成したYouTube動画。
*2 2020年12月、師走の風物詩「サントリー1万人の第九」は無観客開催となり、市民1万人の合唱は事前投稿された動画での参加となった。
佐渡 裕(さど ゆたか)
1961年京都市生まれ。
京都市立芸術大学卒業。故レナード・バーンスタイン、小澤征爾らに師事。2015年9月より、110年以上の歴史を持つトーンキュンストラー管弦楽団(オーストリア)音楽監督に就任。欧州の拠点をウィーンに置き、パリ管弦楽団、ベルリン・ドイツ交響楽団など、欧州の一流オーケストラに多数客演を重ねている。国内では兵庫県立芸術文化センター芸術監督、シエナ・ウインド・オーケストラの首席指揮者を兼務。著書「僕はいかにして指揮者になったのか」(新潮文庫)、「僕が大人になったら」(PHP文庫)、「棒を振る人生~指揮者は時間を彫刻する~」(PHP新書)など
photo. 兵庫県立芸術文化センター提供