2021年
7月号
(実寸タテ17㎝ × ヨコ8.5㎝)

連載エッセイ/喫茶店の書斎から62 「触媒のうた」余滴、「天秤」

カテゴリ:文化人

今村 欣史
書 ・ 六車明峰

「これは書かないでくださいよ」と言われていた話。宮崎修二朗翁が生前に語ってくださった秘話である。
赤裸々に書けば傷つく人があるということだった。だけどもうそろそろ許されるでしょう。とはいっても、聞いたすべてを書くわけにはいかない。いつも宮崎翁が言っておられたように、わたしの耳にフィルターをかけて。

昔、神戸から「天秤」という雑誌が出ていた。足立巻一先生や宮崎修二朗先生が力のこもった作品を発表しておられた同人誌である。その「天秤」の終刊に際してのこと。
「天秤」には借財があったのだという。しかし終えるについては後始末をつけなければならない。その工面を宮崎翁が懇意にしておられた作家の田辺聖子さんにお願いしたのだと。翁が所持していた島崎藤村の直筆掛け軸を50万円で買ってもらったというのだ。田辺さんはそれが特に欲しかったというわけではない。なので、「困っているぼくたちを助けてくださったんです。だから掛け軸はそのお礼として差し上げた、という形なんです」。
田辺さんは大阪文学学校で足立先生の教えを受けておられる。宮崎先生には幾たびもの旅行を経験させてもらっておられる。そしてこの時、すでに売れっ子作家になっておられたのだ。
この話は足立先生と宮崎先生しか知らなかったことなのだろう。

その「天秤」。
何の会だったか、いつのことだったか、どこだったか覚えがない。随分昔のことである。
その会が終わって部屋を出たところのテーブルに、バックナンバーがズラリと並べて置かれてあった。「自由にお持ち帰りください」と書かれて。
詩を書き始めてまだ間もないころのことで、わたしには遠慮があった。何冊でも欲しかったが、新参者のくせに図々しいと思われないかと思い、29号、31号の二冊だけを戴いて帰った。B5版の上質紙による立派な冊子である。表紙にはどちらも津高和一の抽象画。
遠慮したことをわたしはのちに悔やんだ。もっと厚かましく、もらえるだけもらっておけばよかったと。
その二冊には、後年、河出書房新社から出版され文部大臣芸術選奨を受けることになる足立先生の「やちまた」の連載が載っていて、本には掲載されなかった貴重な写真がたくさん載っている。司馬遼太郎も読んでいた宮崎先生の力作「ある俘囚の記録」もたっぷりとした分量。経費がかかるわけだ。
その「天秤」の創刊号をこのほどわたしに提供してくださる人があった。
明石の詩人、渡辺信雄さんである。
神戸の詩の歴史の貴重な一冊であろう。
「亡くなられた伊勢田史郎さんの大量の本の中から出てきたものです。思い入れのある今村さんに託したいと思いました」と。わたしが足立巻一先生と宮崎修二朗先生を尊敬しているのをご存じなので。渡辺さんは、親密にしておられた伊勢田さんがお亡くなりになった時、書斎の整理に入られたのだった。
伊勢田さんならわたしにも縁がある。お会いした時はいつも未熟なわたしを励ましてくださる人だった。また、33年間にわたって営んできたわたしの店の名、「輪」は、伊勢田さんが参加しておられた詩誌「輪」をヒントに名づけたもの。さらに阪神・淡路大震災の時には、その直後に電話してきて下さり、安否を尋ねてくださった。ご自分の家の方が大変な中でのこと。ほかにもいろいろと思い出がある伊勢田さんのところから出たものということで縁は巡るを感じる。
その創刊号(昭和三十三年十月一日発行)、わたしが所持しているものとは体裁が大きく違っている。大きさはB5で同じだが、たった一枚の紙が三つに折られて六ページ仕立て。一見粗末である。しかしこの大きさで三つ折りとは見たことがない。しゃれているのだ。
詩作品を載せている同人は、米田透、田部信、静文夫、足立巻一、正木利雄、亜騎保の六人のみ。そしてカット絵を津高和一。足立先生の「やちまた」の連載も宮崎先生の「ある俘囚の記録」もまだ始まってはいない。

さて田辺聖子さんの手に渡った藤村の軸だが、
「ぼくがある詩人から戴いたものでした」と宮崎翁。
その詩人の名前はわたしにも教えてはくださらなかった。
「わたしが死んだら形見にもらってください、と言っておられたのです」
ものに頓着しない翁だが、その軸はきっと大切になさっていたものだったのだろう。

(実寸タテ17㎝ × ヨコ8.5㎝)

■六車明峰(むぐるま・めいほう)

一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。

■今村欣史(いまむら・きんじ)

一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。西宮芸術文化協会会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)ほか。

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