9月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から ④ 読書遍歴
出石アカル
書 ・ 六車明峰
出久根達郎さんのファンである。1944年生まれというから、わたしと同年代だ。1993年に『佃島ふたり書房』で直木賞を受け人気作家に。昨年には芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。
経歴がユニーク。私と同じ中学卒。出久根さんは茨城県の小さな村から東京の“書店”に就職する。新刊書店だと思っていたが、着いてみると古書店だった。そのまま住み込み店員となり、それが後の直木賞作家への扉となった。人生、面白いものである。
わたしは時にファンレターを出す。律儀にお返事を下さる。わたしが書く小文のコピーを厚かましく送りつけることもある。出久根さんはやさしくアドバイスを下さったりする。
小説は勿論面白いのだが、古本に関するエッセイも楽しい。今読んでいるのは、出久根さんの初期のエッセイ集『思い出そっくり』という本。1994年の出版だから、直木賞受賞の翌年のもの。こんなに面白いのをまだ読んでいなかったのだ。数えてみたら百一篇が納められている。どれも興味深いが、「カバヤ文庫」というのがある。その一部。
《自分の蔵書というものを持ったのは、小学三、四年 の時である。厚表紙の世界名作物語で、およそ五十 冊も集めたろうか。一箱十円のキャラメルをせっせとなめて、収集した。》
わたしと同じだ。カバヤキャラメルを毎日買った。キャラメルには飽きたが、親には少し後ろめたい気持ちを持ちながら毎日買って券を貯め、本をもらった。中でもはっきりと覚えているのが『安寿姫』という本。今、ネットで検索してみると実物写真があり、読める。発行は昭和28年2月1日。解説を川田順が書いている。川田順なら直筆ハガキをわたしは所持している。宮崎修二朗翁に宛てたもの。流麗な筆字である。ちょっと不思議な縁。
それはさておき、最後に書かれた一行。
《私は「カバヤ文庫」を卒業し、江戸川乱歩にのめり こんでいった。》
なんということ、これもわたしと一緒ではないか。
わたしは西宮図書館へ通った。そこで江戸川乱歩に出合い、せっせと読んだ。西宮図書館は、やがてノーベル賞作家になるだろう村上春樹も当時通ったとされる図書館だ。わたしも出会っているかもしれない。
その後わたしは中学生になると、学校図書を利用した。江戸川乱歩からコナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』へと興味が移っていった。そしてモーリス・ルブランの『怪盗ルパン』へ、さらにジョンストン・マッカレーの『地下鉄サム』へと。そんな中、『ああ、玉杯に花受けて』(佐藤紅録)を読んで涙したりもしていた。
そんなところがわたしの少年時代の読書遍歴である。
そうだ、もう一つ忘れてならないのがあった。
「麦藁帽子」という堀辰雄の短編小説。
そのころ『中二時代』とか『中三コース』という中学生向けの学習月刊誌があった。わたしは『…コース』の方を購読していたが、それに載っていた小説「麦藁帽子」を読んで衝撃を受けた。今思うと、それほど驚くような小説ではない。甘酸っぱい青春小説である。でも初めて大人の文学を読んだ気がした。印象に残る一行があった。「ただ麦藁帽子の、かすかに焦げた匂いがするきりで」
わたしにも多感な時期があったのだ。
その後わたしは、父が病気になったこともあり、本が読めなくなった。中学三年の時だった。学校を午前中で早退し、家業の米屋を助ける生活になったのである。それからほどなく父は死亡し、わたしは、恐らく日本で最も若い米穀店主になった。そのころのお米販売は制度が厳しく、たった17歳の経験のない者に営業許可が下りる筈はなかった。しかしなぜかわたしには下りた。当局が哀れんで下さったのだろう。わたしの下には三人の弟妹がいた。
それからまた、わたしは読書をするようになる。仕事を終えて毎夜読んだ。せめて読書をして、上の学校へ行った友人に負けない教養を身につけようと思ったのだ。
中学卒というコンプレックスから始めた読書だが、そんなことは忘れて今も毎日、書斎化した喫茶店で読書三昧。そんなわたしを見て、孫の咲友がある日こんなことを言った。
「ジーチは本とパソコンばっかり。バーパが死んじゃうよ」
家内の家事を手伝えというのだ。
「死んだらどうする?」と聞いたら、
「お参りする」と。
孫には勝てない。
■出石アカル(いずし・あかる)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。詩集「コーヒーカップの耳」(編集工房ノア刊)にて、二〇〇二年度第三十一回ブルーメール賞文学部門受賞。