2011年
7月号

[海船港(ウミ フネ ミナト)] グリーンランドの極北に住むイヌイットたちは今!④

カテゴリ:文化人

文・写真 上川庄二郎

【グリーンランドのイヌイット】

グリーンランドの先住民は、イヌイットとされている。シベリアに端を発するさまざまな原始イヌイット民族が何段階かに分かれ、アラスカやカナダを経由して数千年前にグリーンランドにやってきて、極北の自然と調和した生活を築いた。ところが面白いことに、その頃ノルウェーのヴァイキングがグリーンランド南部に移住してきて漁猟と牧畜生活を始め、この土地をグリーンランドと名付けた。だが、その寒さに耐え切れず、彼等は14世紀には消滅した。
その後、15~16世紀になって大航海時代が訪れ、グリーンランド周辺にも鯨やセイウチ、アザラシに目をつけた西欧人が押し寄せてきて、イヌイットの生活は西欧の略奪経済に巻き込まれてしまう。彼らは、西欧人の毛皮捕獲人にされてしまい、結果として自分たちの食料にも事欠く事態を招いてしまった。加えて、キリスト教の強圧的な普及によって日々の暮らし、食べ物や仕事や妻さえも共有するという彼らの共同社会をぶっ壊してしまい、その上天然痘や性病などの疾病を持込むなど疫病で多くのイヌイットが犠牲になりイヌイットの人口は激減してしまう。
そればかりではない。西欧人は、これ以外にもアルコールや麻薬を持ち込んだため、彼等の家庭や社会生活をも蝕んでしまった。もともとイヌイット人は、西欧人と接触するまでアルコールを醸造したり飲んだりする習慣はなかった。それだけにアルコール依存症や麻薬中毒が増え始め、これらが災いして家庭内暴力や若者の自殺が大問題になっている。

【イヌイットとエスキモー】

イヌイットというよりも、エスキモーというほうが一般的には聞き慣れた言葉かもしれないが、エスキモーという言葉には、「生肉を食べるやから」の意味で欧米の価値基準からすると非文明的で、一種の侮蔑との認識から、カナダ、グリーンランドでは20世紀後半からイヌイットに改められた。しかし、ロシア、アラスカではエスキモーが公称となっている。

【北極探検の時代に入ってグリーンランドは?】

19世紀に入り、漁猟から新航路の開拓に目が向けられるようになり、新たな探検航海時代が幕を開ける。北極海をめぐり、北西航路、北東航路の開拓に始まり、やがて北極点を目指す競争が激化して、俄然北極探検の時代に移行する。
北極探検で最も知られているのは、最初に北極点に到達したといわれているアメリカ人のロバート・ペアリーである。しかし、イヌイット人にとって彼ほど悪い人間はいなかった。つまり、グリーンランドの鉄鉱石を横流ししたり、生きた〝人間資料〟としてイヌイット人をアメリカ本国に連れ帰り博物館に売り渡して、自分の探検に必要な資金にしたという。
アメリカに連れて行かれたイヌイット人は、北極地方とは全く異なる暑さと湿気に犯され、その生活に馴染めず次々と倒れてゆく。その亡くなったイヌイット人の骨格を博物館で「人類学?」の標本として陳列するという途方もないことまで仕出かしている(詳しく説明する紙面がないので、興味のある方は、「父さんのからだ返して」(2001年・早川書房刊)をお読みいただきたい)。
この後、ペアリーは、1909年に北極点に到達したと宣言したが、これも真偽のほどが疑わしいとされている。
このように、北極点に最も近い位置にあるグリーンランドは、さまざまなかたちで西欧人に蹂躙されてゆく。

【グリーンランダーが3/4を占める】

1605年にデンマークが領有宣言をしてからグリーンランドはデンマークに実効支配されるところとなり、デンマーク人が植民地支配的な形で移住して来、次第に混血が進んで、現在では、6万人の3/4がグリーンランダー(イヌイット人とデンマーク人の混血)だという。少数民族の悲哀と言ってしまえばそれまでだが、人種までも変えられてしまったのである。
今では、純粋のイヌイット人は、グリーンランド北部にごく少数が住むのみとなってしまった。
そのグリーンランダーたちも本国から移住してきたデンマーク人に比べれば、貧しい生活を余儀なくされている。
教育もデンマーク本国と同様の教育基準で行なわれているが、グリーンランダーの教師が少ないため、多くはデンマーク人の教師が本土からやってくるという。

【デンマークの対グリーンランド政策は】

1953年、グリーンランドはデンマークの植民地から正式なデンマーク領となる。これに伴い、デンマーク政府はグリーンランダーたちの生活環境改善に乗り出した。そのこと自体、発想は悪くなかったが、行なった政策が彼等に受け入れられるものではなかった。小さな村々に点在して暮らしていた人々をタラ加工工場のある都市部に集め、近代的?な集合住宅に移り住ませた。
しかし、自給自足の狩猟生活をしてきた彼等にとって、都市部での生活には馴染めなかったばかりでなく、元住んでいたところから隔絶された孤独な生活を強いられることになり、次第にアルコールに入り浸るなど生活は荒れていった。

【デンマークのEEC加盟から脱退】

1972年、デンマークはヨーロッパ共同企業体―EEC(現在のEU)―に加盟した。グリーンランダーはこの加盟に反対だったが、何せ、多勢に無勢。それは、彼らの領海をヨーロッパのトロール船に開放することを恐れたからである。しかしそのとおり、間もなくドイツやイギリスの漁船団によって野放しの漁業活動が行われるようになった。自分たちの領海で漁をするのにもブルッセルのEEC本部に許可を願い出なければならなかったのは、いたたまれないことだったに違いない。
怒ったグリーンランダーは、自治政府発足に立ち上がった。1979年自治政府発足を勝ち取ったグリーンランド自治政府は、デンマークの一部という立場のまま、EECと掛け合い脱退を勝ち取った。現在、沿岸700万㎢の漁業権水域は自治政府の貴重な漁業資源となっている。

【これからのグリーンランドは?】

しかし、グリーンランドが膨大な財政援助をデンマークから受けている現状を見るにつけ、独り立ちするには、まだまだ道程は長い。
紙面の制限から、これ以上詳述する余裕がない。詳しくは、拙著「グリーンランドー巨大氷河とアイス・フィヨルドの島&そこに暮らす人たち」(神戸っ子出版刊)をご覧いただきたいと思う。

【《飛鳥》と《アマデア》】

最初に《飛鳥》がどんな船に変身したのか、といっておきながら、話の中心がグリーンランドにばかり向いてしまった。最後に少し触れよう。
煙突をはじめ船体の外装は、《飛鳥》色から変わり、明るいグリーンの帯を配した船体に塗り替えてられている。
しかし、船内に入ってみると、随所に昔の《飛鳥》のままのところが見受けられる。さすがに、大浴場は撤去されサウナに変身していたものの、和室はその典型。入り口には、「遊泉」(『郵船』の当て字)と漢字で書かれた表札までもとのままである。
嬉しかったのは、私たち日本人に対して、毎朝の食事は和食やざるそばを特別に用意してくれ歓迎してくれたことだった。乗り合わせた外国人たちも興味を示してご相伴に預かりにやってきたのは、日本食ブームといったところだろうか。(完)

イヌイットの親子家族が、一日の狩猟を終えて帰る。子どもが橇で運ぶのは、アザラシだろうか。(首都・ヌークの博物館で見た絵画。当時のイヌイットの生活を知る手掛かりとして貴重なものだ)


首都・ヌークの博物館で見たグリーンランドの氷河を描いた絵画。今の姿とは違う。


氷山を縫ってグリーンランドにやって来るヨーロッパの商船隊。
(首都・ヌークの博物館で見た絵画)


海辺で暮らすイヌイットの住居(首都・ヌークの博物館で見た絵画。アザラシや鯨の油で暖をとり明かりを灯していたのだろう)


首都・ヌーク郊外の住宅地に隣接して設けられたグリーンランダーたちの共同墓地。安らかに眠れるのでしょうか。


首都・ヌーク郊外で案内されたイヌイットの住居跡


町中で日向ぼっこをしながら老人たちが手製のチェスを楽しんでいる。最もイヌイットらしいと思われる人たち


大都市ヌークにやってくる大量の移住者を受け入れるために造られた粗悪なアパート群


首都・ヌークの沖合いに停泊して私たちの帰還を待ってくれている≪アマデア≫。手前は、高台に立つ高級住宅。

かみかわ しょうじろう

1935年生まれ。
神戸大学卒。神戸市に入り、消防局長を最後に定年退職。その後、関西学院大学、大阪産業大学非常勤講師を経て、現在、フリーライター。