2019年
1月号
1月号
連載コラム 「続・第二のプレイボール」|Vol.5
仕事の質とレベルを上げたい!元プロ野球選手・森本学さん
文・写真/岡力<コラムニスト>
「学んで悟る…が名前の語源です」。名刺を差し出しそう語るのは、かつて日本プロ野球界で活躍した森本学さん。
1978年生まれ、大阪市鶴見区出身。甲子園にも出場した兄の影響で小学3年より軟式野球を始める。中学に進学するとバッティングで頭角を現し大阪桐蔭高校から声がかかる。しかし当時は、PL学園最強時代。入学時に掲げた「甲子園出場」という目標は達成できなかった。だが強肩、俊足が評価され投手以外全てのポジションを経験。後のセールスポイントとなる。福井工業大学時代には全日本大学野球選手権大会に出場。いつしか都会での生活に憧れ在京の社会人野球チームに売り込みをかけた。その頃、シダックスが内野手を探していたところ他大学の監督が情報を提供し入部。都市対抗野球大会での活躍が目に留まり2002年に王貞治監督率いる福岡ダイエーホークスから6巡目で指名を受けた。
入団早々、ケガで泣いたが3年目には1軍へ昇格。ユーティリティプレーヤーとして通算375試合に出場しチームを支えた。その裏で現役時代は、6回の手術を行った。2011年、体力の限界を感じ9年間のプロ野球人生にピリオドを打った。
引退後は、大阪市内で介護福祉を行う株式会社フォレストブックを設立。リハビリ特化型デイサービスを軸に事業展開している。「野球選手は、独りで努力する職業。どの世界でも成功すると思い起業しました。今後の目標は、介護の仕事に関するマイナスイメージを払拭し人気職にしたいです。まだまだやれることがいっぱいあります」。現在、かつての古巣である福岡にも業務を拡大。今日もスーツ姿で介護のフィールドを駆け巡る。