1月号
創業50周年を迎え、シュゼット・ホールディングスの新たな挑戦
日本を代表する洋菓子メーカーへと成長を遂げたシュゼット・ホールディングス。芦屋で産声をあげて2019年に創業50周年を迎えた。蟻田社長に新たな挑戦について伺った。
世界一のフィナンシェ
─フィナンシェが年間販売個数で4年連続ギネス公認の世界一になりましたが。
蟻田 おかげさまでフィナンシェは年間約2500万個売れ、売り上げは約30億円になります。しかしそれは先代の苦労も含め、それまでの歩みがあったからです。私がやっていることは、先代の資産をもっと良くするための努力と工夫です。
─社長就任当時は赤字で、それを回復させましたが。
蟻田 それはフィナンシェに全部詰まっていると思います。我々は我々以上でも以下でもありません。ですからこれまであったものを磨いていくしかなかったのですね。初心を忘れなかったことがお客様に再評価されたのではないかと思います。
─先代の蟻田尚邦さんは創業者であり父である訳ですが、類い希なる商品プロデュースの才能がありましたよね。
蟻田 先代はもともと料理人でパティシエではなかったんですよ。厨房に入っていたのは昔のレストラン仲間の方々で、自身はあまり菓子をつくっていなくて、売ることと好まれる商品や喫茶メニューを考えることで貢献しようとしていました。
─いよいよ今年、創業50年を迎えますが。
蟻田 最近のIT企業など1年ももたない企業が多い中で、50年も生き残っているという意味は小さくないと思います。ですが、50年だからといって気合いを入れすぎて違うことをやるという訳ではありません。確かにお客様は新しいものにも反応してくださいますが、これまで我々がやってきたことに反応していただくことが普通だと思うので、これまで50年やってきた自分たちの資産や強みに改めてシフトして伸ばしていこうと。
─フィナンシェもその資産ですね。
蟻田 ですからフィナンシェに代わる新しい商品を次々と出すのではなく、フィナンシェを次の50年も愛顧していただけるようなことを先ずは考えなければいけないと思います。
「できることをやる」精神
─アンリ・シャルパンティエのフィナンシェはなぜ人気なのでしょうか。
蟻田 技術的には、我々ができることですから他社さんもできると思うんです。だけどそれをやるかやらないかです。日頃からこの商品で一番になると言い続けると、実行に移すものです。世の中は誰も想像がつかないようなことをするより、できることをやるかやらないかだと思うんですよね。夏休みの宿題だって1日1ページずつやるのが一番良いとわかっていても、やらないじゃないですか(笑)。一方でフィナンシェを真面目につくるのは良いことなんですけれど、水や空気のように当たり前過ぎる存在になって、その大切さを忘れてしまってはいけない。そのことを経営陣が伝え続けることで、現場からさまざまな提案があがって、進化しているのです。
─具体的に、どのように進化しましたか。
蟻田 フィナンシェはこの5年、お客様の手に渡る時点では同じように見えますが、実はバージョンアップしています。例えば、主原料のアーモンドは油分が多いので収穫した時点から酸化しやすくなります。酸化すると美味しくなくなるんですよ。フィナンシェをつくるにあたってアーモンドは挽き、パウダーにしますがパウダーにすると酸化が進みやすいんです。酸化を最小限にする為にアーモンドを挽く機械をラインに据え、生地をつくる直前にパウダーにするようにしたのです。そういう姿勢は間接的にお客様に伝わるので大切です。
─大変な苦労ですね。
蟻田 私は周りの人に恵まれていて、ここ数年一緒にやってきたメンバーが大変な苦労をしてくれたと思うんです。これくらいやらないと自分たちのフィナンシェじゃないし、これくらいやらないと生き残れないという思いがあったからこそ、より良くするための提案が出てきたのではないでしょうかね。ここ何年かでスイーツはコンビニも駅も空港もどこでも販売されるようになり、チャンスが広がったことは確かですが、参戦するプレイヤーも増えましたし、競争環境は厳しくなってきています。弊社にとってあまり喜ばしくない環境ですが、その中でも努力を重ねてきたメンバーの存在が力になってくれているし、彼らこそ競争力を生み出す弊社の資産ではないかと思います。
地域と社員を大切に
─店舗展開について教えてください。
蟻田 国内では北は札幌から南は熊本まで展開し、海外ではシンガポールに進出して先日3店舗目がオープンしたところです。我々がやってきたSPAみたいな仕組みが日本以外でも機能するのか実験している段階で、まずはシンガポールにおいて、ほかの国で展開する「型」をつくっているところです。洋菓子のSPA的な仕組みって日本にしかないものだと思っているので、ぜひシンガポールで成功させてこのシステムを輸出していきたいと思っています。
─世界に目を向ける一方で、地元も大切にしていると感じますが。
蟻田 お菓子づくりは機械化がなかなか難しく、労働集約型の域を出ていませんので、地元の方々に弊社の工場で働いていただかないと続かないんです。ですから格好付けている訳ではないですけれど「シュゼットは良い会社ですよ!」と地域の方々に訴えかけているところはあります(笑)。西宮のみならず兵庫県は教育施設が多いのにもかかわらず、地元で就職する人は2割程度だそうです。当社が地元の方々の就職先として魅力的であることを目指し続けたいんです。
─労働力確保や働き方改革は社会的課題ですが、早くからその対策に取り組んできましたよね。
蟻田 ポストにより時短社員を配置しています。以前は派遣社員や契約社員に頼っていましたが、店や工場の知識がないと慣れるまで時間がかかることがわかってきたんです。それならば働くのにちょっと制限があるけれど経験がある社員にお願いした方が、会社にも社員にもメリットがあると考えました。子育ての間に勤務を離れている数年で会社の内部は変わりますから、復職したときに不安があるという話も聞いていたので、時短勤務や在宅勤務で働き続けてもらえる環境にしたんですよ。おかげさまで昨期は定着率が約85%と過去最高を記録しました。課題はさまざまですが社員のニーズや不満に耳を傾け、駄目な要因を一つひとつ解消していく。それもできることをやるかやらないかだと思うんです。
新たなニーズにも挑む
─前職は某広告代理店でコンビニスイーツの担当だったそうですが。
蟻田 たまたまですけれどね。関西ではケーキは百貨店や個人の路面店で買うものという先入観があると思うんです。でも近所のコンビニで自分がパッケージデザインを担当したシュークリームが売り切れていたり、販売スペースが広がっていたりしているのを見て、これから甘い物はこういうところでも売れると感じたんです。そういう経験がなかったら、百貨店のことばかり考えていたと思うんですよね。もちろん百貨店は今後も高級品を売るという意味において本質的な最重要販路、それはまったくぶれることはありません。しかし、ほかのところでもお客様のニーズがある訳ですから、それに対応していかないと競争から取り残されてしまいます。新しい市場にも挑戦していかなければいけないと自分の中で思えたということは、広告代理店勤務時代の仕事の意義は大きかったですね。
─創業50年で何か企画はありますか。
蟻田 50年の歴史の中で、チョコレートはまだ本格的に手を付けていないんですよ。昨年11月にチョコレートの世界選手権「ワールドチョコレートマスターズ2018」があり、弊社のテクニカル・アドバイザーである垣本晃宏がファイナリストになりましたが、50年の記念事業として彼を中心に新しいブランドを創ろうと考えています。主にチョコレートクッキー等を展開することになりそうです。
─次の50年に向けて、どのような方向を目指しますか。
蟻田 販路の広がりとともに、お客様のニーズも細分化されていくでしょう。百貨店やショッピングセンターの洋菓子売場に対して際限ない欲求を持たれているお客様も多いと思うんです。ですから新たにチョコレートのブランドも加わりますし、ブランドを複数展開することでお客様のニーズにお応えしたいですね。また、ブランドの複数展開で、流通先の方にも喜んでいただけるような高級菓子の複合体となり、ワンストップサービスを提供していける会社を目指していきます。