11月号
弓削牧場 有限会社箕谷酪農場 代表取締役 弓削 忠生さん・弓削 和子さん|11.22いい夫婦の日
違った個性で補い合いながら、1+1=3になる〝いい夫婦〟
生き残りをかけて挑んだチーズづくりから始め、酪農家の新しい形の先駆けとなってきた弓削牧場。3人の子どもさんを育てるご夫婦として、また弓削牧場を育てる同士として歩んできたお二人です。
お互い思いもよらない返しがくる。そんな会話が楽しくて
―お二人の出会いは?
和子 私は学校卒業後1年働いた会社を、自分の可能性を探したいとすっぱり辞めました。次第に親に守られている自分の無力さに気付き、その反省もあって親孝行にと、父の知り合いの紹介でお見合いをしました。その相手が主人だったんです。その頃は創作人形を作っていましたので、革のジャンパーにダボダボのズボン、ベレー帽をかぶってお見合いの席へ…。
忠生 第一印象はアーティスト(笑)、話をしているうちに「おもしろい人やな」と。私がつっこむと、意外な反応で返してくる。自分というものをしっかり持っている人なんだと思いましたね。
和子 友達との会話なら「なるほどその通りやな」という返しがくると思っていましたから、全く違いました。それが良かったのでしょうね。それぞれに個性があって、1+1=3になる結婚でないと意味がないと思っていましたから。チーズづくりも、私一人でも当然無理、主人一人でも無理だったかもしれないと思います。
―酪農家に嫁ぐのには大きな覚悟がいったのでは?
和子 当時、広大な空間には家と牛舎があるだけで他に何もありませんでした。が、町から来た私には、宝物がいっぱいあるような気がして…。この牧場を私の〝キャンバス〟にしようと決めました。心の中に鬱積するものがあるからいいものができる。結婚して子育てして、その中で創作活動をしたらきっといいものができる…とはいえ初めは驚くことばかりで創作活動どころじゃなくて。結婚前、うちに弓削一家を初めて招待したときなんと遅刻!結婚してから、約束の時間に家を出る「弓削タイム」というものが理解できました。
忠生 農業というのは、ものを作り始めたら全てを完結しなくてはいけません。水を飲みたい牛は待ってくれませんし、植物は人間の意志に関係なく育ちます。あの日は直前に牛が一頭脱走して…。
和子 トラブルが起きると、主人は全て自分で直したり、解決したり。ごく普通の家庭で育った私はびっくり。一家に一台、便利ですよ(笑)。
チーズ工房では、いつも真剣勝負
―結婚してすぐお二人でチーズづくりを?
和子 7年間は父と母も健在でしたので家業には関わらず、いろいろ教えてもらいました。初めて作ってもらったのがテールスープ、クリスマスには鶏を丸ごと焼いて、それまで知らなかったお料理をいろいろ。ところが、3人目の子どもを妊娠した直後、豪放磊落で楽しくて主人がとても頼りにしていた父が亡くなりました。ちょうど高度成長期、この辺りは市街化区域で宅地化の波が押し寄せていました。
忠生 父が残した7ヘクタールの土地を守らなくてはいけない、自分に何ができるのか?悩みました。一つのアイテムとして考えたのがチーズづくりでした。マンションを建てても私には何もできない。子どものころから牛乳を搾り、バターやチーズを作る父を見てきましたから、真似することぐらいはできるだろうと。
和子 そこからが大変。私は3人目の子どもが生まれたばかりだったので関わらないと思いながらも、すっかりのめり込んでしまいました。時として意見が合わない二人、その上、主人は決して自分を曲げない頑固な〝こって牛〟。それを何とか動かそうとチーズ工房では大声をあげて対抗することも。当時のパートさんたちには「この夫婦、明日は離婚か?」と思われていたようです(笑)。夕食時は子どもたちがいても、夫婦の会話はチーズのことばかり。何度も失敗を重ねながら「フロマージュ・フレ」が完成しました。このキャンバスで創作した作品です。
忠生 ところが、生チーズの食べ方など全く知られていない。そこで三角屋根の「チーズハウス・ヤルゴイ」を開いて、牛乳とチーズを食べていただくスペースにしました。横にテラスを広げ、囲いを付けて今の建物になりました。レストランメニューを作り、ウエディングやカルチャースクールなどを始めましたが、生産、加工製造、販売までを手掛けることは農業としては認められていない時代でしたから、心ある多くの神戸の皆さんに応援いただきました。
―素敵なロケーションですね。
忠生 窓の枠の一つを額縁だと思って、それぞれに違う絵を見るように楽しんでいただけると思います。実は、レストランや販売など素人ですから、失敗したら牛舎にしたらいいかと思って…。
和子 そんなこととはつゆ知らず…この建物ができ、「ここで弓削の食文化を作ろう!」と私は必死でした。料理を教えてくれた亡くなった父の「ホエイを使う」という言葉と弓削の味で育った主人の舌だけを頼りに「ホエイシチュー」を作り、その後のホエイ商品開発へとつながりました。
忠生 私にできるのはチーズの種づくりだけ。それを大きく育てるのが彼女の役割です。
目標を決めたらやるしかない二人で新たな挑戦を始める
―ずっと「いい夫婦」でいられるのはなぜでしょう?
和子 夫婦というより〝同士〟といったほうがいいかもしれません。私はすごく元気だったり、どーんと落ち込んだり…。そんな時、のん気にどっしり構えて笑っている主人を見ると安心するんです。私にとっては〝船着き場〟みたいなものですね。
忠生 作物が台風で倒れてしまったら、また一から始めるより仕方がない。起きてしまったことは仕方がないから、元に戻す方法を考えるしかない。人間には「五気」というものがあります。やる気、根気、元気、勇気、そしてもう一つ、のん気が必要。酪農家はそういうものです。
―これからは子どもさんたちに任せてお二人で悠々自適?
和子 いつまでも口出しすると若い人たちにとって鬱陶しい存在になってしまいますからね。私たちは新しいチャレンジを始めています。チーズづくりで失敗を重ねましたから、少しは賢くなっていることに期待して、次の目標に向かっています。
忠生 廃棄物と思われていたホエイを有効利用してきた延長上にある発想です。牛の糞尿を使う小規模酪農家向けの超小型バイオガスプラントの開発と実用化を神戸大学との共同研究で7割まで完成し、どういう使い方をするかを検討し始めています。まず、この牧場内でエネルギー利用するところまで私たちの手で仕上げたいと考えています。
和子 多分二人とも長生きするでしょうからボケ防止(笑)。
―またそのころ、お二人でどんな新しい挑戦を始めておられるか取材させてください(笑)。