11月号
兵庫県医師会の「みんなの医療社会学」 第八十九回
年金不安論がもたらすもの
~社会保障は政争の具か?
兵庫県医師会医政研究委員
おじま眼科クリニック院長
尾島 知成 先生
─年金不安論にはどのような背景がありますか。
尾島 日本では近年、出生率が下がって子どもの数が減り、経済成長率が1%前後の低成長でいわゆる成熟社会となっています。そのような状況下で年金システムの将来に対する不安が広がり、これまで選挙の争点にもなってきました。2009年の総選挙ではそれが政争の具となり、民主党政権誕生に繋がったことは記憶に新しいところですよね。民主党は政権交代の際、年金制度を抜本的に見直し新制度を作ると主張していましたが、実現しませんでした。年金システムに対する不安としては、年金債務超過論、積立方式移行論、世代間不公平論、年金未納で破綻論などが出ています。
─実際のところ、年金システムは破綻しているのでしょうか。
尾島 結論から言いますと、それは違います。年金のシステムには積立方式と賦課方式の2種類あります。前者は自分が現役時代に積み立てた保険料とその運用益を将来自分で受給する方式です。後者は現在の現役世代からの保険料を現在の高齢者に支給する方式です。日本の年金は数年分の積立金を有していますが、基本は賦課方式です。厚生年金のバランスシート(図1)では積立金だけで見ると確かに約660兆円の不足があり、これを指摘した一部の識者が、年金は債務超過で破綻寸前だと主張し年金債務超過論を唱えました。しかしこれは賦課方式と積立方式を混同したことから来た誤解でした。660兆円は今後の保険料で充当されるもので不足と考えるべきではないのです。
─しかし、少子高齢化社会で賦課方式は成り立つのでしょうか。
尾島 減少している現役世代から保険料を徴収し、増加している高齢者に分配する賦課方式にこだわるべきではないという根強い意見があります。生涯に納めた保険料と受給する年金を計算した給付負担倍率は若年者の方が低くなるのです(図2)。つまり、高齢者は納めた保険料の割に多額の受給を受け、若年者は納めた保険料に比べて受給する年金は少額になります。これは世代間不公平論というものです。一方で積立方式は自分が積み立てた保険料を受け取るのでそのような不公平は起きません。
─では積立方式に移行した方が良いのではないでしょうか。
尾島 積立方式にはインフレによる価値の目減りという弱点があります。チリやアルゼンチンなどは積立方式に移行したものの、1990年代アジア経済危機などで運用が悪化しています。つまり、積立方式と賦課方式は一長一短なのです。わが国で積立方式に移行するためには、過去期間分の給付に対する保険料を納めるため660兆円の二重の負担が生じますので、非現実的です。
─年金未納により年金が破綻する可能性はありますか。
尾島 国民年金の納付率は60~70%で、過去24か月間納付なしの人は平成27年度で206万人と確かに少ない数ではないのですが、割合では年金加入者全体の約3%で影響は軽微です。また、未納者は将来年金の給付を受けられないので、これによる年金破綻はあり得ません。
─では、年金への不安は全くないのでしょうか。
尾島 これからの年金不安として、年金の給付水準の低下、低年金者の増加が考えられます。
─給付水準はなぜ低下するのでしょうか。
尾島 平成16年度の改正で保険料の上限を固定し、給付と財源の均衡を図るためにマクロ経済スライドが導入され、入ってくる保険料の範囲内で給付を行うため少子高齢化の進行にともない年金は減額されます。年金の額を現役世代の収入で割った所得代替率は平成26年度には60%あまりでしたが、今後の経済社会情勢によっては50%程度に低下する可能性があります。この低下を防ぐには経済成長での賃金向上がベストですが、成熟社会では高成長は望めないでしょう。政府はいくつかの試算をしており、厚生年金に加入する労働者の範囲を広げることで所得代替率は改善することがわかっています。そのほかマクロ経済スライドの適用の方法、基礎年金の給付を45年に延長するなどでも所得代替率は改善しますので、今後制度改正が行われる可能性があります。
─低年金者が増加するのはなぜですか。
尾島 国民年金の納付率は近年やや回復傾向ですが、その背景に免除者の増加があります。所得その他の状況で国民年金の納付を免除された場合は未納とはならず、減額されますが年金はもらえます。また、国民年金の加入者は従来、資産をもち定年のない自営業者が中心でしたが、最近ではパートタイム労働者の割合が増加しています(図3)。したがって今後これらの低年金者が増加する可能性があります。前述の厚生年金の適用拡大はこの問題に対する解決策となります。
─今後も年金不安は政争の具となるでしょうか。
尾島 年金をはじめ社会保障制度は今後、社会情勢の変化に対応していかなければなりません。将来の社会保障の姿をどのように描くのか、政治家、有権者ともに丁寧に議論していくことが必要ではないでしょうか。