11月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から ㉚ メエメエハナハナ
今村 欣史
書 ・ 六車明峰
アッ!と思う文章に出会った。
必要があって「編集工房ノア」のPR誌『海鳴り・3』を読んでいた時のことである。
丁度40年前の1978年発行。B6版、60ページほどの小さな冊子だが読み応えのある随想などが並んでいる。
知りたい情報を確認したあと、わたしはパラパラと他のページに目を移していた。すると、「父のトンビ」と題された藤田富美恵という人の文章に「父・秋田実のこと」と副題があった。
秋田実は、戦後に漫才を復活、興隆させた上方演芸の功労者であり、著書に『秋田實 私は漫才作家』(文藝春秋)などがある。
わたしがなぜアッと思ったかというと、昨年出した拙著に、宮崎修二朗翁と秋田実氏との不思議ともいえるエピソードを載せているからである。戦後間もない昭和二十年代前半のことだ。以下、一部引用します。
《宮崎翁、若き日の国際新聞時代は、とにかく会社が貧乏で苦労したと。
「予算がなくてね。でも新聞に連載小説がなくては格好がつかないので、上司から『なんとかせい』と言われまして、秋田実さんに泣きつきました。すると秋田さんは、『キミ、困ってるんやろなあ。わかった』と言って、ロハで書いて下さいました。忘れもしない「メエメエハナハナ」という題でした」
当時京都にお住いの秋田さんのお宅に毎朝原稿を戴きに通ったのだと。
秋田実、本名林廣次は、東京帝国大学支那哲学科中退で、戦後は「上方漫才の父」と呼ばれた漫才作家。(略)その秋田さんに宮崎翁はことのほか可愛がられておられたのだ。 (略)
当時大いに売れっ子だった秋田さんが無償で小説を書いたとは信じられない。(略)》
(『触媒のうた』神戸新聞総合出版センター)
早速わたしは藤田富美恵さんの「父のトンビ」を食いつくように読んだのだが、正に宮崎翁が若き日に通ったという京都のお宅の様子が詳しく書かれていた。
《母の実家は、京都独特の細長い造りの家で石畳の通り庭が、家を二つに分けるように裏庭まで続いている。左側に水屋、井戸、炊事場が並び、右側に部屋が三つある。一番奥の裏庭の見える部屋が、父の仕事場になっていた。
日本手ぬぐいではちまきをしめた父は、窓ぎわに置いた小さな机の前で、一日中書きものをしたり、本を読んだりしていた。》
(『海鳴り』3・編集工房ノア)
かつて宮崎翁が語ってくださった秋田さんとのエピソードを、その時わたしは他人事のように聞いたのだったが、こうしてご息女の文章を読ませていただくと、一気に現実感が増し、宮崎翁の若き姿までが髣髴としてくる思いだ。
ところで、藤田富美恵さんである。今どうしておられるだろうか?と思ってネット検索してみた。すると、これまた驚くなかれ、昨年、著書を出しておられた。『秋田實 笑いの変遷』(中央公論社)というもの。お父上の評伝である。
わたしはすぐさま入手し、読んでみた。懐かしい時代の写真とともに、戦後の上方芸能界の歴史と秋田実の一生が情愛を込めて語られている。わたしは、もしやと思って読み進めていたのだが、その「もしや」があった。
《しかし一方で、藤沢(桓夫)さんや武田(鱗太郎)さんたちが小説で活躍されるのを見ていると、時には「私の本業は漫才と違う。小説を書かなければ」という思いが起こったのも本心で、現に戦地の長沖(一)さんに出した手紙にも、小説のことは書いていた。
整理していた資料の中に(略)大きな封筒の裏面に太マジックで「小説・コント」と書き、余白一面に万年筆で自作の小説のタイトルがぎっしりと書き連ねたのがあった。(略)
これらを見ると(父は)常に「小説を書きたい」と思っていたのも確かで、戦前は週刊誌に、戦後も新聞に「夫婦漫才」「めぇめ・はなはな」(国際新聞)などの小説を連載していたし、企業のPR誌に読み切り短編小説を連載するなど、目立たなかったが小説は絶えず書き続けていた。》
(『秋田實・笑いの変遷』中央公論社)
「めぇめ・はなはな」(国際新聞)とある。間違いない。改めて宮崎翁の記憶力に感嘆する。
わたしは、編集工房ノアの社主、涸沢純平さんに電話して、藤田富美恵さんの住所をお聞きし、手紙を添えて『触媒のうた』をお贈りした。するとほどなく返事があった。
《父が国際新聞に書いておりました「メエメエハナハナ」という連載小説、書くにあたりましてのエピソード、とっても興味深く読ませて頂きました。大阪高校で出会った藤沢桓夫さんにあこがれていた父は、小説を書きたかったようです。それで宮崎修二朗さまの依頼は喜んで引き受けたのだと思いました。》
そうか、そうだったのだ!と思った次第。
ほぼ70年の時を経て、若き新聞記者と作家の息遣いが聞こえてくる気が、わたしにはする。
■六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。
■今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)ほか。