10月号
ウガンダにゴリラを訪ねて Vol.12
【Gorilla Tracking】⑥
文・中村 しのぶ
なかむらクリニック(小児科)
実際一度も自らの手で束ねたことのなかった社会でいきなり民主主義による統治はできなかったのです。政治家や役人が今まで経験したことのない大きな社会の要職に就くことにより得られる利権は大きく、その乱用によって少数の個人が巨万の富をなしていく。民衆は社会としての基盤が無く社会を作るという意志も希薄で、民主制を確立しての国造りはとても難しく見えます。アミン大統領の虐殺を始め多くの内戦が繰り返されました。今のところ外部からの援助が国という単位に与えられているため国の態が残っているが、それが無くなれば国という単位は崩壊するのではないか、というのは現地の日本人のコメントです。
民衆の側から見た独立は貨幣経済の始まりでした。外国人がアフリカの資源を求めてたくさん流入し、人を雇い賃金を払う体制が始まりました。車を始めこれまで見たこともなかったし欲しいと思ったこともない‘物’がどんどん入ってきました。人々はそれらを手に入れるため一生懸命努力し身を粉にして働く、と思いますよね?ところがそうではないようなのです。先ほどの日本人の話です。彼はウガンダで事業を始め、現地の人を雇っているのですが、職を得てやっと現金収入を得られるようになった人もちょっとした理由で来なくなってしまったり、守衛として雇っても勤務時間に家に帰ってしまったり、石にしがみついても、という考え方は全く無いそうです。バナナとヤギはいつでも手に入り、本当の飢餓に結びついた貧困と縁のない暮らしを紀元前から続けてきたからではないかという彼の説明でした。頑張らない、協力もしない、という生き方に我々はそれではいけない、と考えてしまいがちですがそれでも生きていけると言うのは本当は幸せな人生なのではないでしょうか。頑張らない、けどお金は欲しい、ということから警察官に見逃してもらう末端の賄賂から政府の役人に至るまで正しくないお金の流れはいたるところにあり、町には大統領の家族の持ち物という大きなビルが見られます。(よく考えればどこの国も同じですが)本当に僅かではありますが飢える子どもや病気の子のための私の寄付はちゃんとその子たちに届いているのでしょうか?
現金収入を得て人々が手に入れたいものは子どもの教育、車、そして携帯電話であるように見受けられました。学校は初等教育7年(無料)、中学2年高校4年、その後大学や専門学校、職業訓練校となっており、初等教育は就学率90%と言われていますが農村部では学校は遠く、送迎の車も持たず就学年齢の子供たちを村で昼間たくさん見かけ、私にはそれほど学校に行けていないのではないかと思われました。学校に行かないと公用語の英語は学べず、賃金を貰う仕事に就くことが困難になります。子どもの家庭での労働力としての重要性も学校に行かない理由として見逃せない点です。話は戻りますが大家族への高い価値観、女性の地位の低さにも関係する夫婦の出生抑制への関心の低さ、加えてたくさんの子供を産むことを誇りとする女性も多く、このまま人口が増え続けると2050年にはウガンダの人口は1億に達すると言われ、国としての産業が伴わない場合は多くの余剰労働力を産むことになります。土地不足も深刻になりそうで、今は土地の登記制度などなく、どこにだれが住んでもかまわないようですが土地の奪い合いで最近殺人事件もあり、法の整備が待たれているとのことです。
本来人間は漠然とした本能での自然への怖れを持っています。日常生活でのひとつひとつの自然との関わり、そこに古くから守られてきた自然との約束があります。それらを短期間に踏みにじる文明の嵐。住むためだけでなく生活に必要な薪や炭のための森林伐採もすすみ、石油やレアメタル発掘に伴う所有権や道路整備など、ウガンダの利益のためとはいえ世間に疎い甘ったれ自然保護派の私には絶望的になってしまいそうな未来です。
(次回へ続く)