6月号
触媒のうた 40
―宮崎修二朗翁の話をもとに―
出石アカル
題字・六車明峰
先ず前号についての補足。写真で紹介した白川渥さんの文学碑のことである。
木守り柿 一つが空を 彩りぬ
白川渥
俳句だが、わたしは前号に何気なく載せた。ところがその直後、思わぬところでこの句に関する文章に出会ってその偶然に驚いた。
足立巻一先生が編集しておられた「木」という美術雑誌がある。これの「小磯良平画伯文化勲章記念特集」(昭和59年)に白川さんが「柿一つ」と題して一文を寄せておられる。その書き出し。
―わが裏庭では採り残して置いた木守り柿が一つ、いま歳末の風に吹かれている。
柿一つ空の遠きに耐えにけり
現在伊豆の湯の出る山荘で、ヤモメ暮しをしている石坂洋次郎の句だが、昔小磯良平が竹中郁と共にわが家に来た時、この庭の甘柿がたわわに実ってちょうど食べ頃だったので、
「少し持って帰るか?」
と訊くと、「いやうちの庭にもちょうど同じ種類がある」とのこと。いまも御影の家で見られる樹であろうか。愛妻に先立たれた現在、彼も又、「柿一つ」の寂しい晩年に直面しているのではあるまいか。―
というものだが、偶然この文章に接したわたしは「木守り柿…」の心にやっと気づいたのだった。
* *
「ぼく、旅行作家と言われていたことがあるんです」
翁、またまた意外なことをおっしゃる。
「いや本当なんですよ。日本の旅行作家十五人衆のうちの一人と言われたこともあったんです。週刊誌三誌ぐらいに毎週のように書いてました」
たしかに、日本中くまなく旅をしてこられた翁なら書けないことはないでしょう。だけど批判されたこともあったという。
「不愉快なのは旅行作家という奴、それが神戸に一人いる、なんて書かれたこともありました。でもね、単に物見遊山の旅ではいけない、事前にキチンとその地の歴史や文化を勉強してから行くべきだというのがぼくの持論でね、そんな人のために書いてました」
翁の旅には、わたしも何度かご一緒させて頂いたので、そのことはよく解る。
「甲斐達太」というペンネームを使っていたのだと。「書いたった」というわけだ。翁らしいユーモア精神。因みにこの欄の題字を書いて下さっている六車明峰さんだが、宮崎翁とも旧知の人。昔、翁が六車さんに提案された雅号が「六車六」だったと聞いたことがある。これはなかなかいいと思うのだが、諸事情で実現しなかったという。
「田辺(聖子)さんがね、毎日放送でラジオ番組を持っておられたころのことです。対談相手に甲斐達太さんが面白そうだからと指名されたんです。ぼくが書いてた旅行記事を読まれてたんですね。それでぼく知らん顔して、「カイタッタです~っ」て行ったんです。そしたら田辺さん、「なんだ、宮崎さんやったの」てなことがありました。それを機により仲良くなったんです」
それからは折に触れて、田辺さんを旅行に誘いだしたと。というのも、「田辺さんはお御足も少し不自由だったし、僻地へのご旅行の経験はあまりないだろうと思ったんです。そのころ売れてた作家、松本清張や井上靖なんかは、評価された理由の要因の一つが、時間と空間の広がりだったと思うんです。それを作家として体得するためには旅の経験がなくちゃ、と考えたんです」
ということで田辺さんとの旅行のエピソードが数多く生まれることになる。そのうちのいくつかを。
「一度こんなことがありました。カモカのおっちゃんの奥さんが亡くなった後のことでね、田辺さんと結婚することが決まってたころのこと。たしか足摺岬へ行った時のことです。中突堤から高知へ行く汽船に乗って甲板に居ったら、なんとなく田辺さんがそわそわしてはる。船が出る間際のこと。そしたら車がサーッと走ってきたんです。カモカのおっちゃんでした。たくさんの人がいる中で、口に両手を当ててメガフォンにしてこう叫んだんですよ。『みやざきさ~ん。聖子の貞操を守って下さいよ~っ』と。そういう面白いおっちゃんでした。いや、二人旅じゃあないんですよ。あの人にはちゃんと女性の秘書がご一緒でした」
田辺さん、すでに芥川賞をお受けになった後のことでお忙しかったでしょうが、まだ余裕がおありだったんでしょうね。
「その旅で感心したことがありました。足摺岬の宿で、朝、女中さんが『今朝、何時にオドロかれました?』て言ったんです。普通なら、何のことかと訝りますよね。ところが田辺さんはちゃんと理解しておられました。思わず二人で顔を見合わせました。そして『残ってるんやねえ』とおっしゃったんです。オドロくという言葉は、目覚めるという意味もあるんですが、それは奈良平安朝の文学に出てくるんです。その時にぼく、ああ、この人はよく勉強して来られた方だなあと思いました」
つづく
■出石アカル(いずし・あかる)
一九四三年兵庫県生まれ。「風媒花」「火曜日」同人。兵庫県現代詩協会会員。詩集「コーヒーカップの耳」(編集工房ノア刊)にて、二〇〇二年度第三十一回ブルーメール賞文学部門受賞。