5月号
「人とのつながり」を大切にして、 「書く文化の素晴らしさ」を広めたい
株式会社ナガサワ文具センター
代表取締役社長 長澤 宗弘さん
140th Anniversary
本年5月創業140年を迎える老舗「ナガサワ文具センター」。社会の変化に対応
しつつ、基本姿勢は守り続けている。五代目社長・長澤宗弘さんにお話を伺った。
大きく変わってきた
文具業界
―創業当時から文房具屋さんですか。
震災で写真や資料など全てを失ってしまい、当時のことを知るのは難しいのですが、明治15年5月に長澤力蔵が「日用雑貨商長澤紙店」を当時の葺合区に創業したと聞いています。文房具に限らず、例えばチリ紙など紙系の日用品を販売していたようです。
―140年!長い歴史ですね。
文具業界は守られてきたのでしょうね。私どもを含め、全国に多くの老舗の文房具屋さんやメーカーさんがあります。しかしここ二、三十年、流通の変化もあり商売の在り方が大きく変わる中、文房具屋の数はかなり減ってきました。
―どんなふうに変わってきたのでしょうか。
お客様の物の買い方が変わりました。法人市場では御用聞きのようなアナログ的な方法でご利用いただいていたものが、通販の占める割合が大きくなりデジタル化に向かってきました。「文房具は文具屋さんで買う」というのが当たり前だった小売市場では、30年ほど前から異業種の店舗展開や量販店での文具取り扱いが増え、お客様の文房具購入の選択肢が増えてきました。さらにディスカウント店が出現し、文房具屋は厳しい状況になってきました。
―2002年、厳しい状況下での社長就任だったのですね。
私の父である四代目・長澤基夫が急逝し、私は社長に就任することになりました。厳しい状況下、何の準備もなく引き継いだ私を仕入先様をはじめ多くの方々に気遣って頂きご支援頂きました。社外的には、ジュンク堂書店の工藤(恭孝)さんには公私ともにお世話になり、ジュンク堂三宮店増床のタイミングで、ナガサワ文具センター本店とセンター店を書店内に移転させていただきました。
―現在の店舗展開は。
三宮本店、西区のプレンティ店、明石のパピオス店は「ナガサワ文具センター」として、お客様が文房具店にあるだろうと思われる商品をお取り寄せも含めお買い求めいただける品ぞろえをしています。「NAGASAWA」はジュンク堂内のPenStyle DEN、Journal Style&Chair Factory、梅田茶屋町店、神戸煉瓦倉庫店を展開しちょっと面白いモノ、面白いコトをご提案しています。
「書く文化の素晴らしさ」を広めたい
―DENは万年筆だけ。驚くほどの品ぞろえですね。
どれだけデジタル化されても、書く文化の素晴らしさを広めたいという思いがあります。宇宙へ行くロケットもノーベル賞も、「鉛筆で書く」ことから始まったはず。例えば、「パソコンで作るビジネスレターの最後には肉筆のサインをしよう」。ボールペンより万年筆の方がより個性が出せます。全世界に多くの万年筆メーカーがあり、お客様にはできるだけたくさん見て、触っていただきたいと、限られたスペースの中にギュッと詰め込みました。
―「Kobe INK物語」
開発の経緯は。
阪神・淡路大震災を経験して感じたことは、私たちの心に深く刻まれています。たくさん頂いたご恩をお返しするに当たって肉筆で手紙を書く機会が多く、開発室の竹内直行が「何か神戸からの発信ができないか」と色に思いをしたため3色から始めたのがKobe INK物語です。現在、82色(思い)のラインナップになりました。140年間の長きにわたり歴史を刻んでくることができた「神戸からの発信」という思いだけで、「ナガサワが作っている」という概念は持っていません。当初は、同業者の方から「地元のインクを作りたいけれどロイヤルティーが発生するのですか」というお問い合わせを頂きました。一切そんなつもりはなく、「皆さん一緒にやっていきましょう」とお伝えしたところ、全国各地にご当地インクが広まり、ありがたいことだと思っています。
―楽しそうな、そして本格的なイベントをたくさん開催されていますね。コロナ禍では。
従業員の「やりたい!」という気持ちが強く、いろいろなことにチャレンジしてくれています。イベントもその一つで、私は口出ししたくなる気持ちをグッと抑え、黙って見ているようにしています。実は、失敗したものもたくさんあります(笑)。緊急事態宣言下などではイベントは全て中止していました。街の様子を見ていると活気がなく寂しい。「コロナだからしょうがない」と言うだけでいいのか?中止は簡単だけど、お客様の安全を担保した上で、実施する方法を考えよう!と従業員に声をかけました。
―いかがでしたか?
まず、お客様には非常に喜んでいただきました。スタッフも忙しくしながら楽しそうですし、ご出展いただいている仕入先様にも笑顔が絶えない。その時間だけは、非日常の空間でコロナを忘れてみんなが楽しんでいる。改めて、商売の原点に気付かされました。
―コロナで社会が変化しました。影響を受けていますか。
パネルやマスクの需要は増えましたね。また、コロナでテレワークを取り入れ出社の必要がない企業が増えました。オフィスは縮小傾向にあり、フリーアドレスなどオフィス内の環境も変わりました。私共はオフィス空間づくりも手掛けていますので、その需要は増えています。
―140周年で何か計画はありますか。
式典などは予定していませんが、お客様、仕入先様に対しては何らかの発信をしていこうと思っています。実は130年以降毎年「+1」「+2」…と名刺に表記してきました。130年から1年で何ができたか?何もできていないのでは?自分を戒めるつもりで…。さて、「130+10」にするべきか「140」にするべきか?今、お悩み中です(笑)。
―150周年に向けて。
デジタル化やAIの台頭で社会は進化しています。でも、やはり基本は「人」です。従業員が個々に人として進化成長してくれれば、会社も成長します。いかにして個人が成長できる環境を会社が提供し続けられるかを大切にしたいと思っています。店頭小売では文房具を扱う大型店、量販店が増えてきました。売場面積と価格ではかなわないかもしれません。ナガサワを選んでいただく要因は何かといえば、やはり「人」です。人と接したくない、話したくないという若い方もおられる様ですが、それでも私たちは「人を介してお客様に提案し喜ばれることを生業とする」。基本姿勢は貫きたいと思っています。時代の流れに逆行していますが、こんな会社があってもいいんじゃないかな(笑)。
―街のためにも尽力されていますが、その思いは。
私が若い頃、「三宮は非常に楽しい街」だと思っていました。それを次の世代にも引き継ぎたい。今の若い人たちには私たちの頃とは違う楽しみ方があります。その力とアイデアをどんどん取り入れて、文化度の高い美しく楽しい街になって、神戸に住む人がもっと増えてくれたら良いと思います。大きなことは出来ませんが、少しでもお役に立てればと思います。
株式会社ナガサワ文具センター
代表取締役社長
長澤 宗弘(ながさわ むねひろ)
1970年神戸市生まれ。大学卒業後大手文具メーカーに就職。1995年震災直後にナガサワ文具センターに入社。社内の各部署部門を経て営業部長、取締役を歴任。2002年先代社長の急逝により代表取締役に就任。「神戸と共に」「神戸(KOBE)発信」を軸に社業を推し進めている。