7月号
⊘ 物語が始まる ⊘THE STORY BEGINS – vol.11 落語家 桂 吉弥さん
新作の小説や映画に新譜…。これら創作物が、漫然とこの世に生まれることはない。いずれも創作者たちが大切に温め蓄えてきたアイデアや知識を駆使し、紡ぎ出された想像力の結晶だ。「新たな物語が始まる瞬間を見てみたい」。そんな好奇心の赴くままに創作秘話を聞きにゆこう。第11回は落語家、桂吉弥さん。
見る人の心を豊かに…〝演じる力〟を信じて挑む舞台
舞台に立つ決意
「芝居を見ても、お腹いっぱいにはならないかもしれません。でも、少しでも元気になり、胸がいっぱいになってもらえれば。そんな思いを込めて演じたい。芝居にはそんな力があると信じていますから…」
コロナ禍、昨年夏の公演予定が延期されていた新作の舞台「はい!丸尾不動産です~本日、家で再会します~」が、ようやく9月に大阪、10月に姫路で上演されることが決まり、こう意気込む。
落語家の一方で、俳優として舞台やドラマなどに出演。5月まで放送されていた国民的人気のNHK連続テレビ小説「おちょやん」では初めて連続ドラマのナレーションにも挑戦した。
「落語は一人。高座では、すべての登場人物を一人で演じなければなりません。でも、ドラマや舞台は一人では出来ません。共演者やスタッフたち大勢の人と一緒にひとつの作品を作り上げていく。そんな仕事も、落語と同じように、とても好きで、これまで積極的に取り組んできました」
そのひとつが舞台だ。
2019年に初めて上演された「はい!丸尾不動産です~」は、初舞台以来、人気シリーズとなり、翌年に2回目が、そして今回3回目を迎えた。
初めての上演当初、漫才コンビ「矢野・兵動」の兵動さんと人気落語家による異色のW主演という試みは話題を集めた。
演出家で〝仕掛け人〟、関西テレビの木村淳さんは、その狙いについてこう説明する。
「吉本新喜劇でも松竹新喜劇でもない、これまでにない新しい喜劇を関西から発信したかった」と。
そこで白羽の矢を立てたのが、人気漫才師の兵動さん、そして上方落語界を牽引する桂米朝一門の実力派、吉弥さん。二人の〝異なる笑いの才能〟の融合だった。
「笑わせる」ための努力
うだつが上がらない不動産の営業マン、菅谷を兵動さんが、客の林田を吉弥さんが演じ、毎回、騒動が起きる…というドタバタ人情喜劇。
「シリーズとなり、兵動さん演じる菅谷さんは同じ設定ですが、私が演じる客の林田は名前は一緒ですが、毎回、違う人物なんです」
今回の林田は、いったいどんなキャラクターなのかも興味津々。二人の丁々発止のセリフの掛け合いが〝丸尾不動産ファン〟を増やし続ける原動力に違いないが、毎回共演するゲストも大きな魅力のひとつ。
新作では吉本新喜劇の〝永遠のマドンナ〟こと未知やすえさんが、ゲストとして初めて登場する。
「以前からテレビのバラエティー番組などで共演したり、同じ阪神タイガースファンとして甲子園球場へ一緒に応援に駈けつける間柄。仲良くやってきただけに、未知さんとの初共演はとても楽しみにしているのですが、舞台では勝手は違うと思います」と、台本読みやリハーサルを前に、〝競演者〟として早くも緊張感を漂わせる。
すると、その隣から今回も演出を務める木村さんが、「吉弥さんと兵動さんという笑いのプロのコンビによるお芝居。きっと稽古場は笑いに包まれている…と想像するでしょう?」と聞いてきた。
「それが、実はまったく笑いがないんですよ」と吉弥さん、木村さんの二人は苦笑しながら声を揃えた。
「どうやったら、より面白い芝居になるか?セリフ合わせの段階から、みんなで真剣に激しく意見を出し合いながら、毎回、舞台を作っているんです」と吉弥さんは説明し、こう続けた。
落語の導入部の〝枕〟にたとえ、「高座では、その日のお客さんの反応を見ながら、笑わせるために、次々とアドリブで話題を変えていくこともできますが、舞台では一切、それがないんです。アドリブはありません」
稽古の段階では、「どんなアイデアも自由で、それぞれ思いついたアドリブを出してもいいが、その中で繰り上げ、最終的に完成させた脚本は、本番では一切変えていない」のだと、この舞台での鉄則を教えてくれた。
米朝師匠の故郷で
今回、大阪公演に加え、初めて大阪を飛び出し、姫路公演が決まった。
「実は姫路は私にとって特別な地なんですよ」と、姫路公演に懸ける熱い思いを語り始めた…。
大阪府茨木市で生まれ、府内の中学校ではブラスバンド部に入り、フレンチホルンを担当。府立の高校ではサッカーに打ち込んだ。
そして神戸大学教育学部へ進学し、落語と出合う。
「新入生となり、友人と大学構内の階段に座って昼食のサンドイッチを食べていたら、着物姿の上級生が近づいてきて、『そんな所に座っていないで、落語を見に来ないか。見ながらサンドイッチを食べたらいいから』と誘ってくれたんです。落語研究会(落研)の先輩でした」
初めて高座に触れ、落語に興味を抱き、「次の日から落語を見ようと、一人で落研の部室へ通っていました」と振り返る。
高座名は「甲家楽破」(かぶとやらっぱ)。
「中学時代にフレンチホルンを吹いていましたからね」とにやり。〝六甲おろし〟のタイガース党にもちなんで…。
次第に、落語の魅力にのめり込み、教員志望はいつしか落語家志望へと変わっていた。
憧れていた落語家、桂吉朝の弟子入りを志願するも、「弟子は取らない主義」と何度も断られた。粘りに粘ってようやく弟子入りを果し、卒業したら吉朝の師匠、米朝の付き人となって本格的に修業する…。こう決まった矢先、1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生。
米朝師匠に頼み、1カ月間、弟子入りの猶予期間をもらう。「在学中からボランティア(児童対象のキャンプ活動など)に参加していたことから、1カ月間、王子公園の被災者支援の施設でボランティアスタッフをすることに決めたのです」
そして同年3月から3年間、米朝の下で付き人として修業した。
「師匠の故郷である姫路には、何度も車を運転し、通いました。今は師匠のお墓もあります。姫路は、私や米朝一門にとって、特別な場所なんです」
それだけに、「今回の舞台は姫路公演があると聞いて、いつも以上に、より力が入っているんです。〝ええもん届けます!〟。師匠のためにも…」と意欲を語る。
コロナ禍を乗り越えて
コロナ禍、「お客さんの前で演じられないことがこんなにつらいことなのか、と思い知らされました。しばらく落語の練習をする気持ちにもなれませんでした」と打ち明ける。だが、大学時代に、「落語は自分の生涯の仕事」と決めた。「寄席の客席で見られようが、見られまいが、そんなことに関係なく落語をしたい…」。そう思い立つと、すぐに行動を起こした。
「自宅近くの武庫川の土手へ行き、三脚を立てて、その前で落語をしたんです。その様子を動画で撮影し、ユーチューブで配信しました。着物を着て寄席で落語をするのではなく、私服姿で…」
好きな落語はどんな格好でも、どこでもできる、という思いを込め。
落語も漫才も舞台での芝居も。このまま何もしなければ淘汰される仕事かもしれない。そんな現実を突き付けられた後に、誰もいない土手の上で落語を披露し、「苦しくても続けていこう。自分に続く後輩のためにも…」と覚悟を新たにしたという。
「目の前のつらい現実、空腹を、少しの間だけでも忘れ、心から笑いたい…。震災でのボランティア経験でも感じたのですが、人が本当につらいと感じたとき。そう思わせる力が、落語や芝居にはある。コロナによる長い自粛期間の中で、そう強く実感しています」
アフターコロナを見据え、挑む舞台。どんな新たな笑いを届けてくれるのか…。ファンの期待は、いつにも増して膨らんでいる。
(戸津井康之)
桂 吉弥(かつら きちや)
1971年 大阪府茨木市生まれ。神戸大学教育学部卒。1994年 桂吉朝に入門。
平成17年咲くやこの花賞、平成20年5月第2回繁昌亭奨励賞、平成20年11月第3回繁昌亭大賞、平成20年文化庁芸術祭新人賞、平成24年国立演芸場花形演芸大賞金賞、平成25年国立演芸場花形演芸大賞、平成25年文化庁芸術祭賞優秀賞受賞