6月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から61 川柳集『われもこう』
今村 欣史
書 ・ 六車明峰
昨年末で看板の灯を落とした「輪」にこのほど初対面のご来客があった。
後期高齢者のわたしがいうのは失礼かもしれないが、少し背が丸くなっておられるかわいいおばあちゃん。
神戸の川柳作家で、今も講師を務める島村美津子さん。神戸湊東区生まれの90歳。川柳界の与謝野晶子と称された時実新子さんの愛弟子だったとおっしゃる。
美津子さんの最近の句集『われもこう』(神戸新聞総合出版センター)を読んだわたしが、大いに共感し感動したその感想をブログに載せたところ、それを美津子さんの体操の先生が見つけ、美津子さんに知らせたと。
実は美津子さん、体操教室に通っておられて、縄跳びが得意。90歳の今も連続飛び百回を達成されていて、その様子がユーチューブに上っている。しっかりした声、しかも早口、とんでもなくお元気な人なのだ。
わたしのブログを読んだ美津子さんは、「この人に会いたい」と思ってくださり、仲介者の中野文廣さんともども川柳仲間三人でやってこられた。
ブログでは20句を紹介したのだが、ここでは特に好きな10句を上げよう。それぞれの句にわたしなりの感想もあるが、それを書いては読者の邪魔になりそうだ。句の奥行や広がりを妨げてしまう。
さくらにはなれずごめんねお兄ちゃん
老人も生きたいのですお月さま
生きてゆく軽いさみしい咳をして
父かも知れぬ一つ大きな蝉の声
うつ伏して泣いた机のニスの香よ
父さんごめんね母さんばかりひいきして
父と兄とてんこち釣った須磨の海
花びらは死者の冷たさみんな死ぬ
動くものみんなさみしくなる日暮れ
あかり消し誰にともなくありがとう
そしてこう書き添えた。
《さすがに新子さんの愛弟子さんです。こんなにシンプルな言葉を使って、読む者の心を動かす。まるで優れた童謡みたいです。読む者の心に応じて働きかけてくるような。》
世間で流行るサラリーマン川柳とは違って、心に染み入る文学性豊かな句である。
若いころから文学好きだった美津子さんは、大阪文学学校へ通った経験をお持ちだ。
「第七期生でした。同期の人と『ラッキーセブンやねえ』と話したのを覚えています」
第七期は昭和32年前期だ。田辺聖子さんはすでに出られた後だったと。しかし、「田辺さんは時折顔を見せられまして、みんなに取り囲まれて、面白い話をしてはりました」
「どなたの教えを受けられましたか?」とわたし。
「富士正晴さんでした」と。
これにも驚いた。
最近交流させていただいている「富士正晴記念館」の元職員、中尾務さんにこの話をしてみると、
「富士正晴が文学学校で教えたのは、創立時、昭和29年6月から12月までです」とのこと。少しつじつまが合わないが、富士氏は臨時講師にでも出られたのだろうか、
「富士先生に大そう褒められたことがありました。けど先生はこんなことを言わはったんです。『血を吐きながらでも書かなあかん』と。それで、わたしにはできへん思て小説はあきらめました」
その後、短歌や俳句をたしなむのだが、
「大阪市が夜の川柳教室の生徒を募集しているのを知って参加しました」
それが50歳のころ。
その時の講師は新子さんではなかったのだが、後に新子川柳に入門。生涯の師と仰ぐことになる。
あ、忘れてはいけない。ご来訪のときに一冊のかわいい句集を戴いた。『姉ちゃんは百歳』(2017年刊)。お姉さんの絹恵さんが百歳になられた時にお祝いに作られたもの。20年ばかり前に姉妹双方がご主人を亡くしてから美津子さんのマンションで同居したのだと。絹江さんは2018年に百一歳でお亡くなりになるのだが、自宅で美津子さんが看取られた。
その句集から一句。
いいんだよ何度も 同じこと聞いて
そして、『われもこう』からもう一句。
詩に記す他には
何も残さない
奥深く、しかも潔い人生だ。
※『われもこう』は送料込み千円。お問い合わせは島村美津子・FAX・078(856)5123まで。
■六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。
■今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。西宮芸術文化協会会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)ほか。