2月号
触媒のうた 12
―宮崎修二朗翁の話をもとに―
出石アカル
題字 ・ 六車明峰
「久坂葉子がね…」
驚きました。宮翁さんから久坂の名が出るとは。しかし当然でもあるわけで、昭和20年代の兵庫県の文学を語る時に彼女の名は忘れてはならない名だ。だが久坂についてはすでに多くの人が書き尽くしているのでここでは詳しくは書かない。
久坂葉子=1931年生まれ。本名、川崎澄子。神戸川崎財閥を興した川崎正蔵の曾孫。雑誌『VIKING』に所属。1950年、19歳で芥川賞候補。度々の自殺未遂の末、1952年大晦日に阪急六甲駅にて鉄道自殺。井上靖は「久坂葉子は背後に光芒をひいて飛び去った一個の流星に似ている」と評した。
その久坂と宮翁さん、交流があったのだと。
「震災で焼き物はみんな失くしましたが、“鯊壺(はぜつぼ)”※というのが不思議に残ってましてね、それを見ると彼女を思い出すんです」
そう言えば宮翁さんには『やきものの旅』(保育社・カラーブックス)という著書があり、焼き物にもお詳しいのだった。その本は電子書籍になっていたりして、しかし宮翁さん、そのことをご存知なかったのだ。ひどい話ですね。電子化する時に普通は著者の許可を得るものでしょう。やはりもう、著者は鬼籍に入っていると思われたのだろうか。
「中国の焼き物で“鶏冠壷(けいかんこ)”というのがありますが、それをことのほか愛したのが久坂葉子でした。それとこの鯊壺の曲線が一致するんですよ」
宮翁さんの話はどう転回するか分からないので油断できない。
「えっ、久坂葉子とお知り合いで?」
「はい、バイキングの中にただ一人、女性がいるということで取材しました。若い女海賊がいるってんでね。僕はまだ大阪の国際新聞にいる時でした。変わった子だなというのが第一印象でしたね。その後、度々新聞社にやって来るようになってね、話してると面白くて、妹のような感覚で付き合ってました。今でも覚えてるのが、「竹中郁をやっつけてよ」というのでした。竹中さんというのは歯に衣着せない人でしたから何か彼女の癇に障ること言ったんでしょう」
『久坂葉子の手紙』という本の中の、久坂から富士正晴へのハガキの一部にこんなくだりがある。
「(父は)大層機嫌がわるく、竹中郁老人の影響もあってか、VIKINgに対する意見はなはだけしからぬものです」
これ、関連あるでしょうねえ。このハガキの日付が昭和25年2月27日。ということは、たしかに宮翁さん、まだ国際新聞時代である。竹中郁氏と宮翁さんの間にもちょっとしたエピソードがあるがそれはまた。
「そのうち、彼女から毎日のようにハガキが来るようになりました。絵も上手くてね、よく描いてきてました。名前も住所も書いてないんです。ただ、「HAPPA」とローマ字で署名がありました。「葉」です、名前の葉子からね。100枚ぐらいはあったでしょうね。けど僕、いつの間にか処分してしまいました。彼女が今のように話題になるなんて思いもしなかったですからねえ。それと彼女は絵が上手かった。神戸に水越松南(みずこし・しょうなん)という当時有名な南画家がいましてね、川崎家に出入りしていました。それで彼女も習ったんだろうと思います。南画を描く時は“登水”という名を使ってました。本名の澄子の「澄」からつけたんでしょう。で、いつだったかなあ、芦屋の打出焼※に連れて行きました。僕、その窯元の坂口砂山さんと懇意でね。「なにか焼かへんか?」と言ってね。で、彼女、額皿に南画を描いて焼きました。それが僕んとこに残ってたんです」
久坂は焼き物も好きで、『久坂葉子の手紙』には彼女作成の焼き物の絵はがきが付録についている。いい筆さばきの絵だ。
「で、その額皿ですがね」と話された内容がおもしろい。
「足立巻一※さんの幼友達に米田透※というのがいましてね、飲み屋を始めるんですが、その店に「貧乏神」と名をつけたのが足立さんなんですよ。名前だけでなく色んな援助を足立さんはしたんですけどね。なんでそんな名をつけたかというと、東京の詩人、草野心平の店の名が「火の車」で、それにあやかったんです。で、僕は開店祝いに、その久坂の額皿を持って行ったんですよ。もう久坂は死んでいました。だから、お客さんに聞かれたら「あの久坂の作品だ」と教えてあげなさいとね。ところが「貧乏神」は長く持たずに店を閉めた。で、僕、「あの額皿はどうした?」と聞いたら、「えっ、なに?」というようなことで、どこに行ったか分からんようになってた。米田は、その皿の由来がよう解ってへんかったんやね。そんなことがありました」
つづく
※鯊壺=岡山県の大原焼。
※打出焼=芦屋市打出にあった坂口砂山の窯元。与謝野鉄幹、晶子夫妻も訪ねて皿に歌を記し、歌会の参会者への贈り物にしたという。現在は廃窯。
※足立巻一=神戸の詩人、作家。『やちまた』で芸術選奨文部大臣賞。
※米田透=詩人。本連載第四回目に登場。
出石アカル(いずし・あかる)
一九四三年兵庫県生まれ。「風媒花」「火曜日」同人。兵庫県現代詩協会会員。詩集「コーヒーカップの耳」(編集工房ノア刊)にて、二〇〇二年度第三十一回ブルーメール賞文学部門受賞。喫茶店《輪》のマスター。