2019年
2月号
2月号
兵庫県のANDO建築探訪 ② 松村邸 神戸市東灘区 1975年完成
住まいとは、それがたつ場所、住まう人の価値観に応じて異なる形になるものです。1970年代前半、設計活動をスタートした頃に、大阪と神戸、それぞれの“住吉”で同時に住宅設計を頼まれたことがありました。大阪の“住吉”は、下町の三軒長屋の中央の一軒を全面コンクリートのコートハウスとして建て替えたもので、狭い敷地で雨風の入る中庭が家の真ん中という間取りが強引に見えたからでしょう、《住吉の長屋》という名前で発表すると、「建築家の横暴だ」と批判を受けました。
一方の神戸の“住吉”は高級住宅地らしい、石垣に囲まれた100坪余りの敷地で、中ほどには見事なクスノキが三本、根を下ろしていました。それが本当に落ち着いた、心地良い雰囲気だったので、私は「既存環境と穏やかに対話するような家をつくろう」と、周囲に馴染む三角屋根でレンガ壁の建築を、クスノキを残したままつくりました。
結果として二つの“住吉”の住宅は、大分隔たった佇まいになりましたが、発想の原点は、もとからある“環境”への応答で、変わりありません。
神戸の“住吉”――《松村邸》のクライアントは、大手商社創業者の血筋にあたる方で、娘さんが二人いました。大らかで温かな家庭でした。10年前、その娘さんから「生まれ育った家と同じ形で、軽井沢に別荘をつくりたい」と連絡を受けた時は驚きました。「魂の棲む家をもう一つはつくれないから」と丁重にお断りしたのですが、住いを愛しむ、彼女らの気持ちは心に響き、建築家の“責任”を改めて痛感しました。
《松村邸》は、昨年、メンテナンス工事を行い、40年前、完成当初の姿を取り戻しました。眺めていると、過去の時間が甦り、何か背筋の伸びる思いがします。やはり、住まいづくりこそが、私の建築の原点です。
by 閑野欣次
建築家
安藤 忠雄