10月号
神戸鉄人伝 第106回 声楽家 清水 光彦 (しみず みつひこ)さん
剪画・文
とみさわかよの
軽やかなイタリア歌曲、重厚なオペラアリア。長年歌い込んだ情感が聴衆の心に響きます。音楽生活47年の清水光彦さん。テノール歌手として舞台に立ち、教師・合唱団活動と激務をこなしてこられましたが、実は理系出身。「いきなりの進路変更で音楽の道へ進みまして」と笑う清水さんに、お話をうかがいました。
―最初は何を志しておられたのですか?
高校時代は工学部を目指して勉強していました。小学校に入学した頃から高校2年まで絵を習っていたので、建築デザインに興味がありました。ちょうど大阪万博でこれまでにない建物が次々建てられた時代でもあり、一級建築士の資格を取って働く夢を抱いていました。
―進路変更のきっかけは?
高校時代は工学部を目指して勉強していました。小学校に入学した頃から高校2年まで絵を習っていたので、建築デザインに興味がありました。ちょうど大阪万博でこれまでにない建物が次々建てられた時代でもあり、一級建築士の資格を取って働く夢を抱いていました。
高校3年生の9月、たまたま音楽室へ行ったら、大音量のバリトンの声が聞こえました。大阪音楽大学から実習で来ていた先輩が歌っていたのです。これはもう、衝撃でした。音楽、これはもしかするとすごい世界なのかもしれない、一生勉強する価値があるかもしれない、音大へ行ったらあんな声が出るのだろうか…思い悩んだ末両親に話し、音大に進むことを認めてもらいました。
―卒業後は留学、帰国後はソロ活動のほか神戸市を中心にした活動にも力を注いでこられましたね。
1981年から5年近くウィーン国立音楽大学で学び、この間ウィーン室内歌劇場にも所属して公演経験を積みました。帰国後はオペラや歌曲のソリストとして活動を開始、関西二期会の事務局長を8年間務めるなど拠点は関西でした。1989年に「神戸市混声合唱団」の設立にも関わり、2000年に退団するまで300回を超える公演に出演しました。また「神戸シティオペラ(後の神戸アーバンオペラハウス)」にも設立当初より実行委員として参加するなど、神戸の音楽界の様々なシーンに立ち会う幸運に恵まれました。
―そして2017年には、神戸市文化活動功労賞を受賞されました。
神戸での活動は、恩師である故・広岡隆正先生、田原正一郎先生、そして故・三室堯先生のお力添えあってのものです。先輩方をはじめ様々な方に支えていただき、今日までやって来ることができました。今年5月に感謝を込めた記念のリサイタルを開催しました。不思議な縁で音楽とつながり、この道を歩み続けることができたことに今一度感謝したいです。
(2018年7月25日取材)
ソリストとしての活動と、地元・神戸のための活動と。清水さんにとっては、車の両輪なのかもしれません。
とみさわ かよの
神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。平成25年度神戸市文化奨励賞、平成25年度半どんの会及川記念芸術文化奨励賞受賞。神戸市出身・在住。日本剪画協会会員・認定講師、神戸芸術文化会議会員、神戸新聞文化センター講師。