9月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から ㉘ 病床日誌
今村 欣史
書 ・ 六車明峰
前号に突然の入院のことを書いた。実はその入院体験をわたしはノートに記録していた。見るもの、聞くこと、感じること、身に起こることを記していったのである。その中から心動かされたことのいくつかを書き写してみよう。
〇月〇日 生まれて初めての救急車。看護師さんに入院も初めてだと言うと、「最初がICUとはね」と笑われた。
〇 右手首にマジックで〇印。左手首には青の印。左足首の名札は、まるで産院の新生児だ。足の甲にもマジックでマーク。太ももの辺りには、大きな青黒い内出血の周辺に波打ち際のような模様。胸には、赤、白、黒、黄、緑と、色とりどりのコードが飾られて、わたしの体は謎だらけだ。
〇月〇日 ICUのドアは開いたまま。カーテンの端も少し開けてある。看護師さんは口頭で「コンッコンッ」と言って明るく入ってくる。
〇 夜の時間の進まないこと。目が覚めて、一時間ほども経ったかな?と思ったら、時計の針は五分しか進んでいない。そんなことが何度も。心臓が狂えば時間感覚も狂うのか。
〇月〇日 深夜。
どこか遠くの方から電子音が聞こえてくる。
ピポ~ン ピポ~ン ピポ~ン
トゥルリン トゥルリン トゥルリン
ピップル~ ピップル~ ピップル~
それぞれが意味を持ち
「イッツ・ア・スモールワールド」のメロディーもあって
どの音も命を細くつないでいる。
〇 夜中。小さな音が近づいてくる。カーテンの端がちょっと開いて、遠ざかって行く。ナースの跫。
〇月〇日 よく夢を見る。目覚めればみんな忘れてしまっている。しかし、今朝四時ごろのは鮮やかに覚えている。病院にいるのだが、左の奥の方に家の台所があって、そこからT子(家内)が「さあいただきましょか」とおいしそうな料理を運んできた。なぜかぼくの右脇に咲友(孫)も座っていて覗いている。そこで、食べようとした一瞬、自分で「ダメダメダメ~ッ!ここは病院やから」と叫んだところで目が覚めた。惜しかった。
〇 四人部屋だが、患者同士の会話が一切ない。なぜだろうか?ナースとの会話は聞こえてくるので情報は入るが、お互いが口をきく雰囲気がない。みんな病気が深刻だからだろうか?
〇 斜め向かいの〇村さんが退院。言葉は交わしてはいない。顔を合わせてもいない。部屋の中では最も静かな人だった。看護師さんに話している。電車で三時間もかけて一人で帰宅するのだと。城崎温泉よりもっと向こうの日本海の町なのだと。後ろ姿をちょっと見ただけだが、首の細い、小さな人だった。本当にだれも迎えに来なかった。
〇 役所の福祉の人が話に来られる。退院後支援の話だった。介護認定を受けるかどうか。わたしには元気な妻がいるので大丈夫。しかし、「お前はもう弱者なんだぞ」と言われているみたい。
〇月〇日 午前二時ごろ。向かいのM田さんに看護師さんが言っている。「オシッコを出してほしいんですよォ」と、自分の願いごとのように。「出してください」ではなく、本当に親身になっての言葉。術後まだ出てないらしい。昔、父親が手術後にオシッコが出ずに尿毒症で死んだ体験があるので痛切に聞いた。
翌朝、「オシッコ、メッチャ出ましたねえ。良かったあ」と看護師さんのうれしそうな声。
〇月〇日 今朝は食パンだった。食パンの時はいつもジャムが付いているのに今日は無い。しばらく思案して、配膳係の人を探しに廊下へ出た。少し躊躇したが意を決して尋ねてみた。するとやはり忘れられていたのだった。ビニールに入った小さな消しゴムほどのリンゴジャム一個。いじましいぞ。恥ずかしいぞ。
〇月〇日 退院前日。病院から支給された冊子をテキストにレクチャーを受ける。中に《重篤になった場合、どこまでの治療を希望するか?》というのがあって、「ぼくは尊厳死の宣言書を何年も前に書いてあります」と言うと、その旨を病院に届けておいてくださいとのこと。やはりここ、心臓専門病院は、当然ながら「本気の命の場」だ。
〇 午後五時半。今日もまた、川の向こうの古刹、海清寺から、「ゴォ~~~~ン」と晩鐘が聞こえてくる。これまでの来し方を問われている響きだ。
■六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。
■今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)ほか。