2017年
9月号
9月号
サルトルとボーヴォワールと神戸|神戸っ子アーカイブ Vol.5
十月四日夜。大阪から神戸のオリエンタルホテルに向かう途中、ジャン・ポール・サルトル(実在主義者)とシモーヌ・ド・ボーヴォーワール(女流作家)のタクシーが磯辺通で交通事故に遭った。事故直後はショックでノーコメント。しかし翌朝、九州への船旅に中突堤へ向かう二人はしごく元気で、サインにも気軽に応じて周囲をほっとさせた。そして、「交通事故が多いのはどこでも同じ、フランスでもよくあることですよ」とユーモアまじりに予期せぬ出来事への感想を置いて、関西汽船のタラップを上がって行った。
神戸とサルトル
慶応大学教授 白井 浩司
あなたの事件を報道した新聞記者が、「交通事故の実在的体験」という見出しがついていたと言うと、サルトルは大笑いした。広島に着いてまた彼に会い、夕食をともにとりながらの話である。神戸の名はこうして、彼の記憶の中に残るだろうし、もしもボーヴォワールが将来、回想録を書けば、必ず神戸で起こった事故についての記述があるだろう。昭和四十二年十月四日の夜、という日づけも彼らにとっては歴史的にあるだろう。しかしこれは必ずしも神戸の不名誉にはならないと思う。なぜなら、事故の責任は、大阪でひろったタクシーの運転手にあったからだ。事故現場が暗すぎたという説もあり、これは改善の余地はあるが、乱暴な運転をする人間がいる限り、事故は絶えまい。それにしても不幸中の幸いは、彼らがほとんどなんのけがもしなかったことだ。十月五日早朝、彼らは船に乗り込んでしまったので、神戸の楽しさを十分に味わえなかったのが、私には心残りである。
1966年
『神戸っ子』12月号掲載