9月号
ジェームス氏の精神を受け継いで
ジェームス山は1930年頃よりジェームス氏によって開発が始まりました。やがて戦争の影響でジェームス邸や外国人住宅も接収されましたが、ジェームス氏は苦心の上それらを取り戻すだけでなく、日本の復興を信じて1948年に外国人住宅の北側6万坪の土地を買い増しし、ゴルフ場やグランドなど、さらなる開発を進めようとしました。しかし、その計画は実現することなく、1952年にジェームス氏は亡くなられます。
その後、ジェームス邸や外国人住宅などのジェームス山の資産は、塩屋土地が引き継ぎました。
塩屋土地と関連会社はジェームス氏の資産だけでなく、先見性と塩屋に対する思いも受け継ぎ、さらに周辺の土地を取得の上、時代の要請に応じ地域に貢献する開発をおこなってきました。宅地開発のみならず、自動車学校「ジェームス山自動車学院」、大型商業施設「イオンジェームス山店」をはじめとする大型ショッピングゾーンや天然温泉「月の湯舟」など、地域をもっと便利に楽しくするような開発を実現しています。
また、公益財団法人井植記念会では文化振興事業として、井植文化賞の事業のほか、井植記念館において毎月音楽会や講演会などを開催し、地域文化の活性化への貢献を目指しています。
ジェームス山外国人住宅については、以前と変わらぬ景観を維持し管理・運営をおこなうだけでなく、灘区に安藤忠雄氏の設計による外国人向けアパートメント「パラマウント六甲」などを新設しました。
井植歳男の故郷である淡路島においても、「洲本ゴルフ倶楽部」や「ホテルアナガ」をはじめとするリゾート開発のみならず、「淡路フェリーボート」で神戸や鳴門と淡路島を結び、架橋後は事業を転換して淡路サービスエリアとハイウェイオアシスを運営しています。
ジェームス氏同様、地域貢献のために何ができるかを、今後も考えてまいります。
井植 啓悟さん
塩屋土地株式会社 常務取締役