2014年
9月号
ジェームス氏がこの地に住まいを構えた理由のひとつが、温暖な気候と海を望むこの光景。自邸を含めてイギリス人のための住宅地、約60棟を開発したことがそのはじまり

ジェームス山とは?

カテゴリ:神戸, 経済人

ジェームス山の歴史と今について、現在この地を管理し、歴史にも詳しい塩屋土地(株)取締役の山脇悠一郎さん、オーユージェイ(株)「月の湯舟」代表取締役の辻靖基さんのお二人にお話をうかがった。

思いを叶える塩屋の地

ジェームス山という名の由来は、開発者のアーネスト・W・ジェームス氏に由来している。1889年、ウェールズ出身の船乗りを父に、11人兄弟の4番目として神戸で誕生したジェームス氏は、学校を出たばかりの15歳の頃からビジネスの世界へ飛び込み、26歳の頃に名門、カメロン商会に幹部社員として入社した、叩き上げの人物。持ち前の経営手腕と天才的な取引で巨万の財を成し、1930年代より私財を投じて外国人向けの住宅開発を手がけた。
その場所としてなぜ塩屋が選ばれたのだろうか。山脇さんはこう語る。「外国人向け住宅地にふさわしいところをジェームスさんが探していたところ、気候温暖で暮らしやすい、神戸港に近いという条件に当てはまる候補は2つあったそうです。それはここ塩屋と、淡路島の灘山という、いまウェスティンホテル淡路があるあたりです。ただ、通勤のことを考えるとやはり塩屋だと、彼は自ら住むためにも山林約7万坪を開発し、60棟以上の住宅を建てたのです」。それ以前にも、塩屋の海岸線に近いところでは外国人による開発がおこなわれており、塩屋カントリークラブももとはキャプテン・ワトソンという人物が開設したものだ。彼は1927年に亡くなり、その後経営者がいなくなっていたものをジェームス氏が買い取り、自らの手がける住宅地の核に据えたようだ。

自然と調和する住環境

住宅地の設計思想は、イギリスのライフスタイルを継承。緑を残し、宅盤造成などによる大幅な地形改造をおこなわず、各家は小径でクラブハウスにつながっている。メインストリートは自動車が通れる幅を確保。水の問題や燃料の問題など、開発には相当な苦労があったようだ。特に水は数多くの井戸を掘って確保したそうで、辻さんによれば「最近も直径2.5m、深さ約65mもある巨大な井戸が見つかりまして、その修復をお願いしようと業者さんを探したら、なんとその井戸を掘った会社がまだ神戸にあったんです。先々代が掘ったものだそうです」と、文字通り歴史は「深い」。
ジェームス氏は遊び心に満ちた人物だったと伝えられ、シンボルのライオン像はその象徴とも言える。高砂で採れる3色の竜山石をモザイクにした石垣もユニークだ。また、ジェームス氏は子どもが大好きで、小さな動物園など子どもが楽しめる施設をたくさん設けたそうだ。

混乱と困難を乗り越えて

その後戦争の時代へと突入、戦後も占領軍に接収されていたが、やがてジェームス氏は奮闘のもと取り戻し、多大な費用と労力をかけ、さらに土地を6万坪取得して整備した。しかし、1952年に志半ばで亡くなり、その後は遺言執行人のハロルド・S・ウィリアム氏が運営していたが、多大な相続税などの問題もあり、塩屋土地に売却された。
激動の時代を切り抜けてきたジェームス山だが、美しい景観は今なお保持されている。現在は、約7万3千坪の広さに住宅が約40棟。各戸の敷地は300~500坪で、延床80~120坪の住宅が点在している。建物は時代とともにリニューアルされ、「現在は戦前の住宅は残っていませんが、50年くらい前の家は健在です。日本では新しい家の方が価値がありますが、イギリスではこつこつ手入れした古い家の方が価値が上がるのですよ」と辻さん。庭は日本のエッセンスを取り入れながら木々を剪定、各戸に暖炉を備え、その薪も敷地内で調達し、煙突掃除の必要もある。昔と変わらぬスタイルを継承するためとは言え、管理の苦労は相当なものだろう。塩屋土地はジェームス氏の遺産から土地や建物だけでなく、精神や文化も堅く守っている。

色あせない、思い出の地

長い歴史の中、この場所ではこれまで多くの外国人が生活を楽しんでいた。長い間ここで暮らし、この地を愛していた人も多い。お二人に印象深い人物を尋ねてみた。「フランス人の元ファッションモデル、マダム・ヴィカールは印象深いですね。1937年くらいから長い間こちらにお住まいで、塩屋カントリークラブの会員としても積極的に活動しました。スポーツも大好きで、彼女がクラブで勝ち取ったトロフィーとかも図書館に飾ってあります」と山脇さん。「スイス人のカザールさんは幼少の頃からここで過ごし、ご尊父が亡くなられた後も残られて、戦前から最近施設に入られるまでずっとお住まいでした。神戸赴任時に二世代で住まわれる方もいらっしゃいました。」と辻さん。
かつては企業家が多かったが、時代とともに住人の年齢が下がり、転勤で住む人が増え数年で入れ替わるようになっている。もともとヨーロッパから来た人が多かったが、アメリカ人が多くなったときもある。今はヨーロッパの人たちが多いそうで、ジェームス山の住人も時代とともに変わってきている。
一方で、かつてここに住んでいた人が何年かぶりにふらっと立ち寄ることも多く、最近では昔住んでいた人がインターネットのサイトをみて連絡することも多いとか。「昔住んでおられた方が訪ねてくるのは、春と秋に多いですね。春は桜がきれいに咲きます。景観があまり変わっていないところが喜ばれますね。今も昔もクラブハウスは子どもたちのイベントやスポーツの場ですので、幼い頃の思い出としてよく覚えているのかもしれません」と山脇さんが語るように、ジェームス山での幸せな思い出は、いつも彼らの心の中にあるのだろう。しかしそれは、幻ではない。故郷へと繋がる碧い海を望む緑の丘では、今も野鳥たちがさえずっている。昔と変わらぬこの環境は、ジェームス氏の思いとともに、時を超えて未来へと受け継がれている。

ジェームス氏がこの地に住まいを構えた理由のひとつが、温暖な気候と海を望むこの光景。自邸を含めてイギリス人のための住宅地、約60棟を開発したことがそのはじまり


塩屋カントリークラブに掛かる、アーネスト・W・ジェームス氏の写真


写真は、ジェームス山をこよなく愛したフランス人の元ファッションモデル、マダム・ヴィカール


塩屋カントリークラブに残る華やかなりし頃の写真。社交場として多くの外国人に愛された

参考文献

・『E.W. ジェームス 彼の生きた時代と神戸に残した遺産』国際交流・協力コース16期FM9
・『過去の明暗 塩屋のジェームス山』H.S. ウイリアムス
・”FOREVER FORREIGN EXPETRIATE LIVED IN HISTORICAL KOBE”─抄訳 田村恵子

山脇悠一郎さん(写真右)

塩屋土地(株)
取締役

辻靖基さん(写真左)

オーユージェイ(株)
代表取締役

〈2014年9月号〉
ぶらり私のKOBE散歩 Vol.19
9月 「月見の名所」
特集 ー扉 E.W.ジェームス氏が愛した塩屋
ジェームス山とは?
ジェームス山は「第二のふるさと」
昔も今も外国人居住者の社交場として塩屋カントリークラブ
ジェームス氏の精神を受け継いで
今も昔も変わらぬ、落ち着いた塩屋の駅と街
塩屋の邸宅文化を伝える旧ジェームス邸
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