10月号
神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~(78)後編 志村喬
志村喬
演技に捧げた人生……生涯の伴侶は神戸の女性
自らを語らぬ俳優
《己れを語ることをほとんどせず、演ずることがすべてであった志村喬の死からやがて一二年。語らなかった志村喬の沈黙の世界をたどろうとする》
生前から志村喬と親交の深かった作家、澤地久枝は、1994年に上梓した志村について書いた評伝『男ありて 志村喬の世界』(文芸春秋)の冒頭、こう綴っている。
ここで澤地が明かしているように、長年、国民的俳優として活躍した志村だが、生前、積極的に自分について語ることはほとんどなかったといわれている。
興味深いのは、志村の評伝を書いた澤地が、、当初は志村の妻である政子に夫である志村の評伝を書くことを強く勧めていたことだ。
志村の妻となる山田政子は神戸で生まれ育った。実家は神戸の老舗の料亭だった。
志村と同様、政子とも仲の良かった澤地が、何度も「志村についてあなたが書くべきだ」とその思いを伝えていることを生前、志村も知っていて彼自身もそれを望んでいたという。
澤地が手掛けたこの評伝は、今、志村の人生について知ることができる数少ない貴重な一冊だ。それだけに、澤地がこの評伝を書こうと決意するまでの覚悟について、政子との会話のなかで、こう打ち明けている。
《巡礼として四国八十八カ所を夫人とともに歩き、満願成就のあと、もう一度執筆をすすめ、書く意志はないとはっきり言われたころから、なにかがわたしの心にきざした。
「本当に書かないの?」
「書かない」
「それじゃ、わたしが書かせてもらっていい?」
「志村はきっと喜ぶわ」》
この政子の言葉で澤地の迷いは吹っ切れた。
〝志村喬の世界〟について、自分が責任をもって書こう。彼女はそう決意した。
運命の出会い
志村の妻、山田政子は、志村とお見合いをした当時は、神戸市須磨区で暮らしており、実家から神戸市の百貨店「神戸大丸」の計算部に通勤していた。
この評伝には、志村と政子が交際していたときの手紙のやりとりが詳しく綴られている。志村夫妻と澤地との信頼関係の証だろう。
二人が澤地に託した往復書簡から、志村と政子の謙虚な人間性が垣間見えてくる。
たとえば、交際時の二人の〝生真面目すぎる〟エピソードがこんなふうに明かされている。
ある日、志村とのデートから帰宅した政子は、とても怒っていた。
《政子さんはわが家へ駆けもどってきて二階にとじこもった。母親は、志村が娘になにかしたと直感する。
「なにしたんや、なにしたんや」
「あんな人大きらい。無礼よ」
と言うばかりの娘は、母にさらに聞きただされてやっと言う。
「おしっこしたんや」
母はゲラゲラ笑い出し、
「こりゃあいい、まあちゃん、志村さんとこへいきなはれ」》
この日のデートの場所は神戸の海岸だったというから、その場所は政子の自宅近くの須磨海岸だと思われる。
《志村が政子宅をたずねたある日、海岸へ散歩に行った(今でいうデイト。しかし手をふれることさえないつきあいだったという)。日が落ちかけて仄暗い突堤を歩いていたとき、ついと離れた志村は、背を向くと放尿しはじめた》
潔癖な政子は、志村の須磨海岸での立小便を許せなかったのだ。
志村の朴訥さを示すエピソードでもある。デートの途中で政子が怒って帰宅したことにあわてた志村はすぐに手紙を送っている。その内容は、政子を迎えるために広い家を借りることを決めてきました―というもの。
澤地は、いつもの〝志村らしくない〟必死さが伝わる珍しい手紙である、とこのエピソードを微笑ましく紹介している。
夫婦ともに心を許した近しい澤地にさえ、「演じることがすべて」と言わしめた俳優。
それが志村喬だった。
映画館のスクリーンから放たれる唯一無二の圧倒的な存在感こそが、彼のすべてだったのかもしれない。
幼いころ志村が暮らした兵庫県の生野鉱山職員社宅は、現在、復元され、「志村喬記念館」として公開されている。1876年竣工の、この建物は、現存する「日本最古の社宅」とされ、朝来市指定文化財にもなっている。
歴史を留める「志村喬記念館」は全国から志村ファンや映画ファン、観光客たちが詰めかける市の観光名所のひとつとなっている。
NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で、主人公の黒田官兵衛を演じた俳優、岡田准一も、尊敬する大先輩の俳優、志村のことを少しでも知ろうと、この記念館を訪ねている。
映画『七人の侍』で農民を守るために命を懸けて闘う七人の報酬は食事のみ。「白米を腹いっぱい食べさせてくれたらそれだけでいい」と志村演じる勘兵衛は農民と約束を交わすのだ。
一切の妥協を許さないのが黒澤明監督の撮影現場。志村は戦闘場面の撮影中、飛んできた弓矢に足を貫かれ、大怪我を負うが、何事もなかったかのように振る舞い続けたという。
自分の為に撮影を止めたくなかったからだ。
「演じることがすべて」。言葉で語らず行動で示した勘兵衛と志村の生きざまが重なる。
=終わり。次は作家、佐藤愛子
(戸津井康之)












