5月号
⊘ 物語が始まる ⊘THE STORY BEGINS – vol.42 俳優 井浦 新さん
新作の小説や映画に新譜…。これら創作物が、漫然とこの世に生まれることはない。いずれも創作者たちが大切に温め蓄えてきたアイデアや知識を駆使し、紡ぎ出された想像力の結晶だ。「新たな物語が始まる瞬間を見てみたい」。そんな好奇心の赴くままに創作秘話を聞きにゆこう。第42回は、映画やドラマなどへの出演の他、美術番組のキャスターなどマルチに活躍。さらに活動の舞台は世界へと広がる。米映画に初主演した俳優、井浦新さんに聞いた。
文・戸津井 康之
撮影・服部プロセス
出演作の大小の規模は問わず…
脚本を超える覚悟で挑む
相次ぐ出演依頼
「映画で出演を決める基準ですか?作品の大小は関係ありません。大作でもインディーズ(芸術系)でも。呼んでくれたらスケジュールが許される限り、出演したいですから」。
この言葉通り、全国数百館で公開される大作にも、小規模な芸術系の作品にも、井浦さんは俳優としてデビュー以来、約25年間、幅広い役柄を演じながら数多くの映画に出演し続けている。
では、出演を選ぶ基準は、やはり脚本なのだろうか?
そう聞くと、「それも違いますね。もちろん、いい脚本であることは重要ですが、もし、そうでなかった場合、自分が演じることによって、この脚本をよりいい作品にできないだろうか…ということを考えるんです」と言葉を選ぶように語ると静かに微笑んだ。
これまで、取材してきた国内外の名優たちの多くが、出演作を選ぶ基準について質問すると、「いい脚本かどうかで決める」と毅然と語っていただけに、井浦さんの答えは新鮮だった。
作品を選ばず様々な役柄にチャレンジする源泉はどこから湧くのだろうか。
「もし、役にのめり込み過ぎたとき。もう、帰ってこれなくなるかもしれない…と思う瞬間があるんです。自分の演技を客観的に見つめる視点も本当は役者としては重要なことなのかもしれません。ただ、それでも、我を忘れるほどのめり込める役を演じ、そんな瞬間と出会えたとき。俳優としてやりがいを感じます」
冒頭でも紹介した通り、映画にドラマにと出演依頼が絶えない売れっ子俳優だが、新作映画のオファーは、米国の第一線で活躍する重鎮の映画人たちからだった…。
初の米映画主演
初めて米映画の主演作に挑んだそのタイトルは『東京カウボーイ』。
ディスカバリーチャンネルなどテレビ番組のディレクターを長年務めてきた米監督、マーク・マリオットと、ハリウッド大作「パイレーツ・オブ・カリビアン」などを手掛けた名物プロデューサー、ブリガム・テイラーからの直々のオファーだった。
「マーク監督はこれまでの私の出演作をずっと観てくれていて、それで私に出演依頼が来たのです。これまでも、私はとくに海外作品に出たいという意識はなかったのですが、俳優として取り組んできたことが、米監督からのオファーにつながった…ということが、日本の俳優として素直にうれしかったです」
過去に何度も海外進出のチャンスがあった日本を代表する実力派俳優が、しみじみと、謙虚かつ真摯に語る表情が強く印象に残った。
マーク・マリオットは、日本映画が好きで山田洋次監督に弟子入りを志願。『男はつらいよ』シリーズの海外ロケで撮影を手伝ったキャリアを持つ日本通でもある。
『東京カウボーイ』で、井浦さんが演じたのは、東京の会社でブランドマネジャーとして働く〝敏腕ビジネスマン〟のヒデキ。会社の上司で長年婚約中の恋人、ケイコ(藤谷文子)と東京で一緒に暮らすための新居を探していた。一方、ブランドマネジャーとして、米モンタナ州で経営不振に陥っている牧場を立て直す計画を練っていた。ヒデキは神戸牛を育てる名人、ワダ(國村隼)を連れて、渡米するが…。
「モンタナ州で約15日間、撮影が行われました。初めてのアメリカでの映画撮影は、日本とは勝手が違って本当に戸惑うことばかりで。モンタナへ出張したヒデキの現地での戸惑いと、まったく同じ心境でした」と苦笑しながら打ち明けた。
恋人のケイコ役を演じた藤谷さんは、今作では脚本家としても関わっている。
「米国での暮らしが長い藤谷さんには、撮影現場でも、また、米国滞在中の生活面でも親切にサポートしてもらい、本当に感謝しています」
自信家のヒデキが意気揚々とモンタナへ乗り込むが、現地の牧場主たちとの交渉でつまづき葛藤する姿。そんなヒデキを心配し、陰から激励するケイコ…。
共演した井浦さんと藤谷さんとの関係が、まるで劇中でのケイコとヒデキとの関係そのもので、現地での二人の姿が映画のワンシーンのように浮かんでくる。
日本パートのシーンは、マーク監督ら米スタッフらが来日し、東京で約5日間かけて撮影された。
「当初は、アメリカでセットを組んで東京のシーンを撮るという話も出ていたのですが、マークやブリガムたちは〝東京で撮ること〟にとてもこだわっていました。藤谷さんの脚本も日本の文化や慣習、日本語のセリフなどに嘘のないよう徹底し、書かれていました。私も東京で撮るのなら、この場所で、こんなシーンはどうか…など、いろいろとアイデアを出させてもらいました」と語る。
日本を少しでも理解し、知ってほしい―とモンタナで奮闘するヒデキの姿と、日本での撮影に積極的に意見を出していた井浦さんの姿とが重なるエピソードだ。
「モンタナでの撮影現場で学んだことは多かった」と振り返る。
「共演した米俳優たちは、撮影でカットがかかるたびに、『今の自分のセリフはあまり気持ちが入っていなかったと思う。もう、一回、演じさせてほしい』など積極的に意見を出します。日本人はどうしても、自分の意見を主張し過ぎてはいけないのでは…と、遠慮し、それを美徳とするような文化もあり、日本の撮影現場ではあまり見られない光景でした。でも、実はいい作品を作るためには、そうやって現場で互いに素直に意見を出し合うことは、とても重要なことではないかと痛感させられました」。
では、日本俳優の井浦さんの演技は米映画人たちにどう映っているのだろうか?
「感情を自然に表現し、それでいて、地に足のついた演技ができる。そんな俳優は他にはいない」
これが、マーク監督やプロデューサーのブリガムが、井浦さんを主演に抜擢した大きな理由だった、と明かしている。
尽きることのない演技への情熱
「出演を依頼され、スケジュールさえ合えば、できるだけ断らず、出演したいと思っています」と井浦さんは語る。
とはいうものの、昨年は出演した映画4本が公開され、ドラマ4本が放送、配信された。ジャンルも演じる役も多岐にわたる。
こんなハードスケジュールの中、いったい、いつ米国で『東京カウボーイ』が撮影されたのかが気になった。
「実は当初、依頼された時期は他のスケジュールが埋まっていました。だから、それらの撮影が終わるまで、監督やスタッフ、共演者たちはずっとアメリカで待ってくれていたんです」。
オファーは絶えないが、今後、演じてみたい役は、まだあるのだろうか。
「まだまだ演じていない役、やってみたい役はたくさんあります」と答え、「その一つは時代劇です」と教えてくれた。
過去にNHK大河ドラマ『平清盛』や現在放送中の大河ドラマ『光る君へ』にも出演しているが、「いずれも平安時代。今後演じたい役は、もっと後の時代なんです」。そう話し、続けて挙げた役の名を聞いて色めき立つ映画関係者は少なくないだろう。
「いつか、土方歳三を演じてみたい…」。
井浦さんは1974年、東京都日野市の出身。遡ること約140年前。日本の歴史の転換期に生きた幕臣、新選組副長の土方歳三は1835年に日野市に生まれている。
「私と同郷である彼の生き方に、ずっと惹かれてきました」。
崇徳上皇や藤原道隆、そして三島由紀夫…。時代を超えた幾多の歴史上の人物を演じてきた名優、井浦新が体現する土方歳三の生きざまとは…。
国内外からオファーが絶えず、米映画初主演も果たした。侍のように世界の映画界へ挑む日本俳優が満を持して挑む時代劇。その新境地を見てみたい―。そう願う映画ファンは多いに違いない。
井浦新(イウラ アラタ)
1974年生まれ、東京都出身。1998年、映画『ワンダフルライフ』で初主演を務める。以降、映画を中⼼にドラマ、ナレーションなど幅広く活動。アパレルブランド〈ELNEST CREATIVE ACTIVITY〉ディレクター。サステナブル・コスメブランド〈Kruhi〉のファウンダー。映画館を応援する「MINI THEATER PARK」の活動もしている。上映中の作品に、映画「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」、CX「アンメット ある脳外科医の日記」が放送中。今後の出演作に、WOWOW「連続ドラマW ゴールデンカムイ―北海道刺青囚人争奪編―」(今秋放送)がある。