5月号
連載 教えて 多田先生! 素粒子物理学者の宇宙物理学教室|〜第11回〜
空はなぜ落ちてこないのか
自然界で最も大きな存在が宇宙、そして最も小さな存在が素粒子と考えられている。素粒子を研究することで、宇宙のはじまり、人間の存在を解明する―― 日本の誇りをかけて、その最前線で日々研究に打ち込む素粒子物理学者・多田将先生。今月号から、謎に包まれた宇宙について多田先生に教えていただきます。さあ、授業のはじまりです!
前回までは、素粒子の中でも、ニュートリノについてシリーズでお話しし、最後には「我々はなぜ存在しているのか」という「人類最大の謎」を解き明かす実験についての話で締めくくりました。
今回からは、少し趣向を変えて、宇宙の謎についてのお話しをしていくことにしましょう。その最初のテーマは「ビッグバン」です。宇宙物理学になじみのない方でも、「ビッグバン」という言葉は聞いたことがあるかも知れません。宇宙の始まりを象徴するような言葉です。これを直訳すると「大きな爆発」ですので、多くの人は、宇宙は最初、大きな爆発によって始まったと思っているかも知れません。しかし、一般に想像されるような「爆発」などなかったのです。では宇宙の始まりにはいったい何があったのか。それについて、数回にわたってお話ししていきましょう。
宇宙の大きさで考えるときに、それぞれの天体の間で働いている力というのは、実は重力くらいしかありません。はるか彼方にまで影響を及ぼす力というと、ほかには電磁力くらいしかありませんが、電磁力を働かせるには、天体が電気か磁気を帯びている必要があります。しかし、局所的ならともかく、恒星や、恒星系や、銀河や、そういった巨大な大きさで考えると、電気や磁気は均衡が取られていて、結局はその大きさで働く力は重力しかありません。
すると、ここに大きな問題が生じます。重力は、引き合う方向にしか力が働かないのです。それの何が問題かというと、引き合う力しか働かないのであれば、やがて天体は互いにくっつき合って、宇宙は一箇所に固まってしまうことになります。ところが、実際の宇宙は、百億年以上にわたって、広い空間に散らばって生き永らえていることもわかっています。この矛盾はいったいどういうことでしょうか。たとえるなら、今仮に我々がボールを手にし、それから手を離すと、ボールは落下していきます。地球の重力に引かれるからです。空中で安定して止まっていることなどないでしょう。ではなぜ宇宙は百億年以上にもわたって「空中に留まっていられる」のでしょうか。
このことをより数学的に表現したのが一般相対性理論におけるアインシュタイン方程式です。この詳細についてはずっとあとのほうでお話ししますが、ここでは、重力と空間の関係を示した式だ、くらいに思っていただければ結構です。重力だけが影響を及ぼすとすると、さきほどのように宇宙は不安定になってしまうので、式を考え出したアルベルト=アインシュタインはここに「宇宙項」なるものを強引に入れました。この宇宙項と重力がつりあって宇宙は安定となる、というわけです。しかし、式の上でつけ加えるのは簡単ですが、ではこれが実際の宇宙で何を意味するのかというとまったく不明で、アインシュタイン自身ものちにこれを入れたことは大失敗であったと認めています。ところが、この宇宙項が、現代になってとても重要な要素であることが判明します。それについてはこの一連の「ビッグバン」シリーズのあとのほうでお話しします。
「空はなぜ落ちてこないのか」というのは、わりと昔から問われてきたことでした。重力は引き合う力なので、ずっと宙に浮いているほうが不自然なのです。よく言われる俗説に、「ニュートンはリンゴが落ちるのを見て重力を発見した」というのがありますが、これは間違いです。そんなことで重力を発見できるなら、青森のリンゴ農家の方々はもっとすごい発見をしているはずです。サー=アイザック=ニュートンは、普通ならリンゴと同様に落下するはずの天体が、なぜ宙に留まっているのか、を考え、そこから運動の法則を導き出したのです。ニュートンの慧眼は、地上のリンゴと、宇宙の天体とが、同じ物理法則に従うことに気づいたところです。
では、なぜ空は落ちてこないのか。理由はかんたんです。落ちないように必死で運動しているからです。たとえば静止衛星なども、たんに地上のある点から見て同じ相対位置にあるだけで、「静止」などはしておらず、地球の自転と同じ回転速度で動いているのです。その運動のおかげで、落下せずに高度を維持できているだけです。
さきほどのボールの落下の話だと、上に向かって投げ上げたボールは、上向きの速度が零になるまでは、重力が下向きにかかっているにもかかわらず、空中に留まっています。我々は百億年以上にわたって、その状態を見ているだけ、と考えれば、別に大きな矛盾は生じないのです。そして、そのためには、宇宙の最初に相当な速度でボールを投げ上げる必要があり、この投げ上げる瞬間、あるいは投げ上げる行為が「ビッグバン」に相当するのです。
では、次に考えることは、果たして実際の宇宙では、天体は本当に「落ちないように必死で運動して」いるのか、ということです。次回はそれについてお話ししましょう。
PROFILE
多田 将 (ただ しょう)
1970年、大阪府生まれ。京都大学理学研究科博士課程修了。理学博士。京都大学化学研究所非常勤講師を経て、現在、高エネルギー加速器研究機構・素粒子原子核研究所、准教授。加速器を用いたニュートリノの研究を行う。著書に『すごい実験 高校生にもわかる素粒子物理の最前線』『すごい宇宙講義』『宇宙のはじまり』『ミリタリーテクノロジーの物理学〈核兵器〉』『ニュートリノ もっとも身近で、もっとも謎の物質』(すべてイースト・プレス)がある。