8月号
「中内㓛さんとの思い出」|福岡ソフトバンクホークス会長 王 貞治さん
失敗を恐れずチャレンジすることを自身で示した人
福岡ソフトバンクホークス会長 王 貞治さん
昭和63年(1988)、日本プロ球界に激震が走る。南海電鉄とダイエーの間で球団譲渡が決定し新球団『福岡ダイエーホークス』、そしてオーナー・中内㓛が誕生した。創立5年目には念願の福岡ドームが完成、大型トレード、FA、ドラフトで有望選手獲得にも成功した。大きな転換期を迎えた平成6年(1994)10月、新監督発表記者会見の場に現れたのは世界の王貞治さんだった。オーナーと監督の立場で苦楽を共にした10年間。戦友、中内㓛の素顔を福岡ソフトバンクホークス・王貞治会長に振り返っていただきました。
―監督就任に至る経緯と中内さんとの出会いについてお聞かせください。
それまでは畑も違うしお会いすることはなかったです。あの頃のダイエーは、イケイケドンドンの時代でしたから、名前と業績は充分に分かっていましたし、すごい人だなと思いました。座敷に通され監督を依頼されました。九州には現役時代、宮崎キャンプで行っていましたが、自分としては「う〜ん」という気持ちがありました。でもジャイアンツのユニホームを脱いで6年、現場を離れて淋しかった。しんどいのは分かっていたが「やってくれ」と言われ嬉しかったです。最後は思い入れの強さに根負けして引き受けました。やるという気持ちが勝った…とにかく野球がしたかったですね。その時、中内さんからは「優勝できるチームにして欲しい」と言われました。
―昭和63年(1988)に中内さんは流通科学大学を創立し、自身が教壇に立ち学生を指導されていました。時同じくして常勝球団「ホークス」の礎を築いた王会長の人材育成術をお聞かせください。
ああしなさい、こうしなさいは言わない。自分の長所を気づかせてやることが大事です。君にはこういう良いところがあるってね。人間ってどうしても自身の弱いところや欠点ばかりを見てしまう。若い人は褒めて育てる…中内さんもそういう部分は持っていましたね。あとは失敗を恐れず、とことん自分で挑戦する気持ちにしてやらないといけません。自分自身もこれまで色々な経験をしてきました。経験がないと不安になります。「見ていてやるからおもいっきり行け」と尻を叩き背中を押す感じですね。これは今も昔も変わりません。野球は身体で表現する仕事ですから、日々の練習量は絶対です。そして試合は勝負ですから勝つことに対して、いかに自分の才能を結び付けるかが重要です。やればある程度はうまくいきます。選手には未知の世界へチャレンジさせるようにしています。でも最後は本人がその気にならないとダメですね。
―流通科学大学の理事長時代、中内さんは週1回のペースで『from Rijicho』を在学生宅に送付していました。そのような若い世代とのコミュニケーションについてお感じになられることはありますか?
理事長から直々に葉書をもらうのはすごくいいことだと思います。僕も若い人と話すときは目線を合わせるようにしています。絶対に勝つんだという気持ちになるよう対話しています。中内さんもそうでした。仕事に対して厳しく、時には社員の胸にあるネームプレートを取り上げたという話も聞きました。でもね、意外と褒めることもしていました。いいところは、なかなか世の中に伝わらないですね。その点、僕は自分である程度やれたもんですから甘いですよ(笑)。
―平成11年(1999)に悲願の日本一に輝きました。その時の心境をお聞かせください。
前の年が大事でした。今まで3年間苦労したけど、形になり成績もそこそこ良かったんです。これでプロとしてやっていけると、手応えを感じた選手も多かった。技術に関しては何度もやってみることだと話しました。そうなると伸びるんですよ。監督に就任してから中内さんは野球に関して一切、口を挟まず任せてくれました。シーズン中は電話でも話したことはありません。お忙しい人でしたから、グラウンドには年に一度しか姿を見せませんでしたね。でも優勝が決まった時、とにかく中内さんは喜ばれていました。僕自身はユニホームを着た時に交わした約束がようやく果たせて内心ほっとしました。
―流通科学大学の卒業生は約2 5000名、在学生は約3600名にのぼります。様々な分野で活躍する中内チルドレンにメッセージをお願いします。
中内さんは、あそこまで上り詰め大きな偉業を成し遂げた。失敗を恐れずチャレンジすることを自身で示した人です。流通科学大学は今の時代にすごくあっています。そこへ進学するということは、自分なりの考えをもって決めた道だと思います。学んだものを土台にして、もっともっと上を目指してほしい。とにかく中内さんが実践したように、失敗を恐れずガンガンやってほしいですね。
―今年8月2日は中内㓛さん生誕100年を迎えます。王会長が何かお感じになられることはございますか。
戦争を経験し厳しい時代を乗り越え、一代で大きな事業を成功した人。スーパーを研究するためにアメリカへも出向き、常に時代を先取りする姿勢に不屈の闘志を感じました。でもね、普段は意外と好々爺でしたよ。ご縁ができて嬉しかった。中内さんから行動することが大事だと学びました。生誕100年、こういう形でお役に立てて嬉しいです。
(聞き手/岡力)
王 貞治(おう さだはる)
福岡ソフトバンクホークス株式会社取締役会長
一般財団法人世界少年野球推進財団理事長
日本プロフェッショナル野球組織コミッショナー特別顧問
<略 歴>
1940年5月20日、東京生まれ。早稲田実業から読売巨人軍に入団。一本足打法を完成させ、通算15回、本塁打王を独占。1973、1974年には連続の三冠王。1977年9月3日にはハンク・アーロンの大リーグ本塁打記録を破る756号を記録、生涯通算本塁打868号。巨人軍監督、福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)監督を歴任。リーグ優勝4回、日本シリーズ優勝2回。2006年「第1回ワールド・ベースボール・クラシック世界大会」日本代表チーム監督として、日本を初代チャンピオンへと導いた。1990年より世界少年野球大会を主宰し、少年野球の世界的な指導・普及活動等を通じてスポーツ振興や青少年育成に努めている。