8月号
卒業生に聞く 理事長、CEO中内さんからのご教示
「For the Customers」こそ最大の教え
|中内㓛 生誕100年
昭和63年(1988)、私は流通科学大学に一期生として入学し、92年の卒業後、株式会社ダイエーに入社しました。そして、平成25年(2013)より中内さんの創業された会社の一つ株式会社ビッグ・エーの9代目社長を務めております。この『ビッグ・エー』という社名は、Big=大(ダイ)とA(エー)ということで「ダイエー」に由来し、中内さんが命名しました。
ビッグ・エーは、昭和54年(1979)に埼玉県大宮市(現さいたま市)に1号店をオープンし、現在は首都圏に約350店舗、年商約1200億円の規模となっています。42年前のオープンの頃、マスコミはダイエーの中内さんがまた新たなディスカウント業態を開発したと大きく報じました。また、当時の初代店長に直接聴いたことですが、1号店のオープン式直後、中内さんから呼び寄せられ「これからのダイエーは、どこよりも安売りすることが難しくなる。だから、ビッグ・エーはずっと安さを追求していきなさい」と指導されたそうです。中内さんは、翌年にトポス(1980年)、その後もDマート(1981年)、バンドール(1985年)とディスカウント業態を開発し続けていきます。安さへの飽くなき追求です。これは、中内さんが生涯貫かれたものであり、私にも伝承して頂いたものであると思っています。
昭和32年(1957)、ダイエーを創業されたとき、中内さんはダイエー憲法も制定されています。それが、「よい品をどんどん安く」です。
主婦の店ダイエーの1号店が大阪・千林駅前でオープンしてからまだ何年もしないうちに、安売りへの激しい抗議の声が上がりました。神戸三宮事務所にもメーカーや問屋、小売商が文句を言うために押し寄せたそうです。そうした中、中内さんは扉の前に1枚の紙を貼りました。そこには、「日用の生活必需品を最低の値段で消費者に提供するために、商人が精魂を傾けて努力しその努力の合理性が商品の売価を最低にできたという事が何で悪いのであらうか?」と書かれていました。今もこの文を読むと胸が熱くなります。中内さんは、その後も「日本の物価を半分にする」を旗印に掲げ、「安さは正義である」ということを世に問い、知らしめてこられました。やはり、安さへの執念は、中内さんからの大切な教えです。
学生時代の話になりますが、私が流通科学大4回生の時に主将を務めていたバスケットボール部が兵庫県の大会で初優勝しました。表彰状とトロフィーを持って理事長の中内さんに報告に行きました。想像以上にとても喜んでくれました。あの時の嬉しそうな笑顔は今も忘れません。そして、中内さんは、皆でステーキでも食べなさいとポケットマネーを出してくれました。しかし、質より量を取り皆とカツ丼やラーメンの大盛を食べていると偶然そこを中内さんが通られ、当時プロ野球ダイエーホークスの門田選手を例に挙げ、スポーツマンは何より体づくり、栄養摂取が先決だからステーキを食べなさいと、またポケットマネーから倍の額を出してくれました。中内さんは、若い人たちに期待を寄せ、接するのが好きでした。そして、色々なことを教えて下さいました。大学を創設してしまうほどの教育への情熱、このトップの人財育成への志も中内さんの大きな教えの一つです。
そして何より、中内さんが常に唱え実践してこられた「For the Customers」こそ最大の教えだと思っています。中内さんは、常にお客さまの立場でビジネスを捉え、挑戦し続けてこられました。消費者主権も流通革命も「For the Customers」の実現のためであったと思います。「よい品をどんどん安く」も、その目的を達成させるための最高の手段であったのだと思います。中内さんは、そのことを生涯を通じ、身をもって教えて下さいました。
㈱ビッグ・エー代表取締役社長
三浦 弘(みうら ひろし)
1969年神戸市生まれ。88年兵庫県立御影高校卒業、流通科学大学入学(一期生)。92年流通科学大学卒業、㈱ダイエー入社。2008年グループ事業本部長。13年㈱ビッグ・エー代表取締役兼㈱ビッグ・エー関西代表取締役。14年㈱ダイエー執行役員、㈱ビッグ・エー代表取締役社長