7月号
神戸で始まって 神戸で終る ⑱
前回は横尾忠則現代美術館ができるまでの僕の側から見たエピソードを語ってきたが、今回は僕の知らない、目に見えないところで、色々とご苦労があったと思う、内部から見た人の話を中心に語ります。先ず、井戸知事さんを紹介する形になった山崎均さんは現在、神戸芸術工科大学の教授だが、僕の美術館の計画を進行する役割を果たす、最初の重要な一員であった。
美術館創設の進行具合は山崎さんから逐一報告はあったが、僕には進展の過程はほとんどつかめなかった。こういう大きい計画はそう簡単に動くわけではないが、阪神・淡路大震災後の1997年にこの計画が動き始めた。
そして地震の被害に遭った兵庫県立近代美術館の西館が候補に上ると同時に、早急に地震のメンテナンスの工事に入った。その頃には県庁の担当者とのミーティングがアトリエで定期的に行われたが、目に見えて進行する状態でもなかった。山崎さんもこのミーティングには何度も顔を出された。山崎さんは夢想家で、現実的な話をしなければいけない時でも夢のような非現実的な話をしながら空想にふけっていた。神戸の僕の美術館と当時、西脇にあった西脇市岡之山美術館を地下道で結ぶという、勿論空想上の話であるが、そんな突飛なロマンチックなところがあった。
一方、兵庫県立美術館の学芸員である出原均さんも横尾美術館の準備室の一員として何度も現場に足を運んでくれていた。出原さんは広島現代美術館の学芸員で、かつて「森羅万象」展が東京都現代美術館と広島市現代美術館で開催された時に学芸員のひとりとしてこの個展のキュレーションに関わっていただいていた。その後、兵庫県立美術館で開催された「冒険王」展でも担当学芸員としてお世話になっている。出原さんが美術館構想に関わっているということを知って、心強かったが、目に見えて進行し始めたのは2009~10年頃だった。すでにスタートして3、4年が経っていた。建物が決まり次第、すぐ開館すると思っていたが、現実化するためには様々な要望が必要で、出原さんは美術館に必要な備品をリスト化したり、その予算を組み込んでもらうとか、とにかくそう簡単に実現するものではなかったようだ。そうしたことが一切見えない僕は、なんでこんなに時間がかかるんだろうと時にはやきもきすることがあったが、最近になって出原さんから、当時の進行過程を聞いて、本当に大変だったことがわかった。その進行過程の全てを僕がもし知ったら、大いに気に病んだと思う。
美術館の開館と同時に長いつき合いの気心の知れた出原さんが学芸員として関わってもらえると思っていたが、結局は下準備の段階で終ってしまったことが僕としては残念であったが、兵庫県立美術館で、神戸ビエンナーレの一環として出原さんが「日本原景旅行」展をキュレーションして、久し振りでまた仕事が出来たことは嬉しかった。
美術館の正式名は「横尾忠則現代美術館」に決定して、館長は兵庫県立美術館の館長の蓑豊さんが兼任されることになった。蓑さんとは蓑さんが金沢21世紀美術館の館長時代に知り合って、ここで僕の個展を決定したあとニューヨークのサザビーズに移ってしまったために、一緒に展覧会を実行させていくことができず残念であった。そんな経緯を経て、蓑さんとは再び、深いつき合いが始まった。
そして、いよいよ2012年に「横尾忠則現代美術館」が開館した。井戸知事さんと面会して6年目に、開館のオープニング祝賀式で、久し振りにお会いした。ちょっと口では表し得ない感動の一瞬であった。当日は東京から美術関係者も沢山来席され、セレモニーのステージにはゲストとして瀬戸内寂聴さん、三宅一生さん、安藤忠雄さんの三人の出席を得て、豪華なセレモニーが行われた。僕はなんだか足が地につかず、身体が宙に浮いた状態で、夢と現実の間を浮遊しているように思えた。
王子動物園の前の道をはさんだところに完成した美術館は、実はかつて新婚時代に住んでいた青谷のアパートから徒歩で20分もしない場所に出来たのである。まるでシャケが自分の生地に戻ってきた気分でセレモニーの挨拶に「僕はまるでシャケになったような気分です」と語り、その一方で、「この白い建物は僕の墓石でもあります」と生誕の地と墓地を想定したおかしな挨拶をしてしまった。それにしても、こんな奇遇な出来ごとが現実に起こったのである。今も当時のアパートは存在しているが、もし、あの住まいだった部屋から、この建物を見たら、見えるのではないのかと思う。この偶然を僕は奇蹟だと思う。新婚当時の同じ地域に引き寄せられたこのエネルギーとは一体何なんだろうと思うばかりだ。
このエッセイのタイトルが、「神戸で始まって神戸で終る」というのは以上のような運命的な引き寄せがあって初めて成立する物語である。本当に人生は物語であると僕は常々想っているが、65年の長い年月を経て、昔の土地に戻ってきたこの奇蹟を想う度に、人生の不思議なめぐり合わせである奇縁に思わず感謝の念を抱いてしまうのである。ひょんな一言が時空を越えて、想像だにしていなかった現実にフィクションが持ち込まれたような気がして、未だに現実味が乏しいのである。人の想像力というか空想力は見えない四次元空間を動かして三次元空間に物質現象を起こすという事実を目の当たりにして、僕はいつも横尾忠則現代美術館に足を踏み入れているのである。
美術家 横尾 忠則
1936年兵庫県生まれ。ニューヨーク近代美術館、パリのカルティエ財団現代美術館など世界各国で個展を開催。旭日小綬章、朝日賞、高松宮殿下記念世界文化賞受賞。横尾忠則現代美術館にて「Curators in Panic ~横尾忠則展 学芸員危機一髪」開催中(8月22日まで)。
http://www.tadanoriyokoo.com
GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?
何を描くかではなくて、どう描くかでもなく、如何に生きるかでもなく・・・・・・。―横尾忠則
すべての人間の魂のふるさと「原郷」から汲み上げた、豊かで奔放なイメージの世界「幻境」は数多の独創的な絵画に描き出してきました。本展は、そうした横尾忠則の「現況」にも触れることのできる展覧会です。
■会期:2021年7月17日(土)~10月17日(日)
■休館日:月曜日(8/9、9/20は開館)、8/10、9/21
■開館時間:10:00-18:00(展示室入場は閉館の30分前まで)
■会場:東京都現代美術館 企画展示室1F/3F(東京都江東区三好4-1-1)
■主催:公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都現代美術館、朝日新聞社、テレビ朝日、文化庁、独立行政法人日本芸術文化振興会
■特別協力:横尾忠則現代美術館、国立国際美術館、カルティエ現代美術財団
■お問い合わせ:050-5541-8600
(ハローダイヤル/9:00-20:00 年中無休)
■展覧会公式Twitter:@GENKYO_Yokooten