10月号
神戸市医師会設立60周年 会長インタビュー
地域医療を支えて60年
一般社団法人 神戸市医師会 会長 置塩 隆
2700名以上の会員が所属する全国的にも規模の大きな医師会にして、神戸市民の健康と生命を守る「砦」である神戸市医師会が今年、設立60年を迎えた。
その歩みや未来について、会長の置塩隆先生にうかがった。
「時代の一歩先」の歴史
─神戸市医師会は60年前の昭和31年の設立ですが、当時についてお聞かせください。
置塩 今の形の神戸市医師会が出来上がる以前から医師会としての活動はありました。現在とは区割りが違いますが各区に医師会があり、それぞれが神戸市行政すなわち、当時の衛生局と医療や保健に関する諸問題の折衝をおこなっていました。しかし、ばらばらに対応するよりは政令指定都市の神戸市の医師会としてまとまった方がやりやすいのではと、各区の医師会が社団法人の法人格を返上して連合し、いくつかあった意見の違いや数々の困難を乗り越えて統合し、新生・神戸市医師会が誕生したと聞いています。
─60年の活動の足跡を振り返っていかがですか。
置塩 神戸市との折衝の窓口一本化によりいわゆる保健衛生、予防接種や感染症などへの対応は大いに成果があったと思います。また、昭和38年医師会内に臨床検査センターを全国に先駆けて会員の共同利用施設として設立したことも大きな成果のひとつです。昭和41年にはもともと県医師会の所管だった看護学校を神戸市医師会の傘下に入れて、看護師育成にも力を入れてきました。初期救急に関しては、これも全国に先駆けて昭和46年より休日急病電話相談所を、東灘区医師会を皮切りに順次各区医師会に開設し、急病の相談や開いている地元の医療機関の紹介をおこないました。しかし、平成12年頃から地域で応需可能な小児科医の会員が減少してきたため、平成17年10月に西区に小児科休日急病診療所を開設しました。それでも1ヶ所だけでは小児救急には対応できなくなり、神戸市、神戸大学、神戸市小児科医会の協力を得て、平成22年11月に「神戸こども初期急病センター」をHAT神戸に立ち上げました。一方、内科においても開業医の高齢化や職住分離や院内処方可能な医師が少ない等の問題から、休日に応需できる医院が少なくなりました。そこで、急病診療所を定点化し、そこに出務していただき、急病の患者を迎えることで対応することにしました。
灘区民ホールに新設し、市医師会館の急病診療所の内科の充実及び、西区の小児科休日急病診療所に内科を併設し、市内3ヶ所で対応しています。また、365日24時間対応の急病電話相談センターの開設に向けて、現在神戸市と協議を行っており、さらなる初期救急の充実に努めていきたいと考えています。
また予防接種はそれまで集団接種でしたが、神戸市医師会は神戸市と連携し、各医療機関で個別に接種を受けることができるようにし、予期せぬ事故や健康被害が起きた際にすぐ対応できる体制にしました。昭和46年におこなわれたこの方式は当時「神戸方式」とよばれ、画期的なものでした。
平成21年5月1日に、国内一人目の新型インフルエンザ患者が神戸市内で確認されました。その1年前の11月頃に、WHOがH5N1は100%発生すると宣言したのを受け、早速行政や保健所の方々と新型インフルエンザ対策会議を立ち上げ、マスク、ガウンを共同購入して備えをしていましたが、その最中に発生しました。市長にも、もし発生すればアメリカでは全ての行事を中止しているとお伝えし、神戸でも一番のイベント「神戸まつり」も中止されました。また市長から、蔓延期に準じた形で全ての診療所で患者対応をしてもらえないかと依頼がありました。新型であり、その毒性もよくわからずワクチンもない状況でしたので、会員の命も守らなければいけないと考えましたが、社会的使命から応じることにしました。幸い弱毒性であったため死者を出さずに済みましたが、強毒性の新型インフルエンザはいつやってくるかわかりませんので、現在も新型インフルエンザ対策会議において、ワクチン接種の手順等を検討しています。
─先進的な取り組みが多いのはなぜですか。
置塩 歴史をたどれば、神戸は外国の影響を受けて発展した街です。神戸には明治時代から医師組合という医師会の前身のような組織があったのですが、そこから新しいものを積極的にとり入れる風潮を受け継いでいるのだと思います。患者さんに何をしてあげれば喜ばれるのか普段から患者さんのニーズを考えつつ、医師会として有意義なことができるのかを常に先輩方が考えていたのでしょう。
また平成7年の阪神・淡路大震災の経験が、その後の事業をすすめる上での危機管理意識を高め、神戸市医師会にとって大きな財産になっています。災害医療対策、感染症対策はもちろんのこと、神戸市の各種医療介護福祉政策についても、市民にとって安全・安心でかつ倫理上問題ないかを判断基準として、常に危機管理意識をもって対応しています。時には神戸市行政と激しい議論になることもあります。
─神戸市医師会では市民への啓発活動も積極的ですよね。
置塩 神戸市とタイアップして昭和50年よりスタートした「神戸市民健康大学講座」は今年で42回目を迎えます。患者さんにも医学の知識を身につけていただき、日々の健康に留意していただくという趣旨ではじめたものです。ここ数年は200名以上の申込があります。平成4年以降は最終回に会長自ら登壇して、市民のみなさまに知っていただきたいことをお話ししています。11回以上受講された方には修了証をお渡しし、卒後講座2回を受けることができる仕組みになっています。
─設立60周年に関し、どのような記念事業がありますか。
置塩 10月29日にホテルオークラ神戸で記念式典をおこないますが、ゴリラの研究で有名な京都大学総長の山極壽一先生に「ゴリラから学ぶ、人間社会と教育」と題して記念講演をお願いしています。また、建築後全く手つかずで老朽化していた医師会館4階大ホールの大改修をおこない、5月にお披露目会をおこないました。医師会では会員交流の場として野球、テニス、ゴルフ、フットサルや写真、囲碁などさまざまなクラブ活動がおこなわれていますが、今年は各々に60周年記念の大会をおこなって、祝賀会で表彰することにしています。
被災経験を備えに生かす
─神戸市医師会は震災を経験しましたが、その教訓は何か生かされましたか。
置塩 平成7年に未曾有の大災害、阪神・淡路大震災が発生しました。本当に予期せぬことで、手探りの状態の中で走りながら考えていた状況でしたが、さまざまな経験をもとに次の大災害に向け、医師会としてできることは何なのかを考えてきました。ひとつは大都市医師会の連合会である十四大都市医師会連絡協議会の中で、神戸市医師会の提案による、大災害発生時に医師会同士で助け合うシステムを構築、平成19年に「十四大都市医師会災害時相互支援協定」を締結しました。
─どのようなシステムですか。
置塩 メンバーの医師会が、地震、津波、噴火などの天災や、大規模な火事や爆発などで大被害を受けて医師会そのものが機能しにくくなり、災害時医療活動が困難になった際に、当該医師会が要請すれば他の医師会が支援するものです。被災医師会の所在地によって支援本部となる医師会をあらかじめ決めておくことで、効率的な支援が出来るようになっています。例えば2011年の東日本大震災の際には仙台市医師会が被災しましたが、決められていたとおり札幌市医師会が支援本部を立ち上げ、神戸市を含む12の医師会は札幌市医師会の指示のもとに支援活動をおこないました。一挙に多くの支援チームが全国から押しかけて混乱した阪神・淡路大震災の経験がこの支援スキームに生きているのです。また、この十四大都市の協定をモデルとして結成され、全国の被災地を支援する日本医師会のJMAT(日本医師会災害医療チーム)のもとでも、救護所や避難所での診察、被災医療機関の応援を積極的におこなっています。そこでも震災を経験した医師会としてのノウハウが生かされました。熊本地震への支援においても、地元医師会になり替わり対策本部を立ち上げ統括し、少しでも現場の混乱を減らす方向で支援しました。
─今後、南海トラフ巨大地震の発生が危惧されていますが、備えはいかがですか。
置塩 「東南海・南海地震における津波への対策会議」を繰り返し開催し、万一に備えています。もちろん、関連団体や神戸市行政にも参加してもらい連携もとれています。神戸市の場合、津波被害は沿岸の特定の区に限定され、北区等では被害がないと想定されますので、支援や受け入れ体制のシミュレーションもおこなっています。区ごとに被害が違うため、それぞれが状況に合わせて臨機応変に動くことが基本となります。何が起こるかわからないということを常に念頭に置く必要があり、対応マニュアルを整備しています。
─市民へ向けた震災フォーラムも開催していますね。
置塩 阪神・淡路大震災から10年目と20年目の昨年及び、東日本大震災の後と計3回開催しましたが、災害に対する考えや備えが市民にも浸透しつつあると思います。神戸市医師会も危機管理に対しいろいろと考え、対応できるということを知っていただくことで安心していただければと思っています。
次の時代へ向けて
─高齢者医療に、医師会はどのように取り組んでいますか。
置塩 行政の高齢者に関するネットワーク会議へは、医師会からも委員として参加しています。高齢弱者を誰がどう面倒をみるかということは大きな課題ですが、家族だけでは限界があり、地域で見守ることが重要になっていくでしょう。医師もその一翼を担うだけでなく、介護や認知症などに関して予防や早期治療に結びつける努力も必要です。在宅医療推進委員会において、いかに多くの会員が在宅医療に関わっていけるかを検討していますし、本年度は市内4区に「在宅医療・介護連携支援センター」を開設し、来年度は残り5区にも設置する予定です。また、神戸市地域医療推進協議会のリーダーとして「豊かな老いを求めて」というテーマでの市民フォーラムをシリーズ化して開催しています。歳をとることは避けられませんが、豊かに幸せに歳をとることを目指し、どのような問題があるかをフォーラムで掘り下げています。
─医師会として、現在どのような課題がありますか。
置塩 医師会の多くの事業に関し、会員の参加する度合いのアンバランスはひとつの課題です。より積極的に会員に協力してもらえるようにしないといけません。また、神戸市医師会看護専門学校の事業も課題です。公益的な社会的事業ですが、運営は厳しくなってきています。そのために准看護師を正看護師へと育成する第二看護学科を来年の卒業生をもって廃止し、第一看護学科だけにする方向になっており、今後、存続のあり方が議論されるかもしれません。
神戸医療産業都市においては、医療関連企業もたくさん集積し、世界初のiPS細胞を用いた網膜の再生医療も期待されています。神戸市医師会としましては、引き続きブレることなく生命倫理、医療安全、公平性を充分に確認しながら協力していきたいと考えています。
─最後に、会長として今後どのようなことに取り組んでいきたいですか。
置塩 医師会は任意加入の団体ですが、できるだけたくさんの医師に加入していただきたいですね。これから在宅医療が増えてきますが、医師の連携においては医師会の会員と非会員を区別する訳にはいきません。しかし、神戸市の医療は医師会が関係する枠組みの中で動いていますので、医師会に所属していただきたいのです。まずは現会員の帰属意識を高め、ゆくゆくは医師会加入率を限りなく100%に近づけたいですね。そのためにも入りやすく親しみやすい医師会にしていきたいと思います。
置塩 隆(おきしお たかし)
一般社団法人 神戸市医師会 会長
1949年神戸市生まれ。1976年徳島大学医学部卒業。神戸大学病院、三木市民病院、公立日高病院などの病院勤務を経て、1987年神戸市中央区の内科循環器科置塩医院を継承。2006年より6年間神戸市中央区医師会長、2014年より神戸市医師会長を務めている